2011年6月19日 (日)

「羊をめぐる冒険 下」 村上春樹

羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫) 羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)

著者:村上 春樹
販売元:講談社
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相変わらず、いろんな人がいろんなことを言っている作品である。しかし、
一つの作品について、こんなにも多くの議論が交わされるということは、
やはりその曖昧さも含め素晴らしい作品なんだと思う。なんだと思う
なんていう曖昧な感想を述べているのも、その素晴らしい証拠なんだと思う。

どうやら羊をめぐる冒険に僕を誘い込んだのは、古い友人である鼠という
あだ名の男らしいと判明した。それと同時に耳の素敵な彼女の選び抜いた、
いるかホテルに宿泊していると、徐々に羊について近づく結果となった。
僕は羊が体の中にいた、と語る男性の話を聞き、自分が探している羊が
その男の体の中にいた羊とまったく同じものであることが分かった。
羊を語った男の話から、彼が昔住んでいたという雪深い綿羊牧場へと
鼠を探し足を運ぶのだが……。

とにもかくにも、この本は一気に一息に読む本であると思う。まぁそんな
ことをしなくても、読んでいればページが止まらなくなり、大体の人間が
一気読みすることになるだろう。この本は、実に緩やかに、次第に急激に、
絶望に向かい前進してゆく本である。絶望に向かい前進、とは妙なものだが、
前向きな意味合いを持って、予期せぬ力によって今まで持っていた全ての
ものを処分される物語である。ところで、よく人間にとって一番怖いことは、
痛覚を感じなくなることだ、と言う。頭痛などでもそうだが、同じ薬を飲み
続けたりすると、しだいに効力に慣れてしまい、効かなくなる。あるいは、
痛みを我慢することになれてしまうと、痛い、という刺激に体が慣れてしまい
本当に痛い死に至る頭痛がやってきたときにも、人間は我慢することを
自然と選んでしまうのだ。それは生きている社会の中でも同じことで、
毎日毎日繰り返される単調な日々の中で、人間は何かに「慣れ」る。
例えば満員電車の通勤ラッシュや、上司からの過度なストレスなどに、
または、自分自身にとって利益のない非生産性の強い物事に慣れてしまう。
それはとても怖ろしい事であり、しかし自ら日常において気づくのは、
非常に困難なことだ。……とそんなことを考えながら読んでいると、この本
には、それらの毒素を抜く作用が含まれていることを理解する。彼女が
いなくなったあたりの描写で、悲しいと思えるだけまだましだと思った、
というような描写が出てくるのだが、すべての物事において、「終わった」
ときに何も心が動かない状態まで「慣れ」てしまい「麻痺」してしまう
ことは、非常によくないことだ。だから羊という名の王位とも空虚とも
つかぬ輝かしい位を手に入れるという幻影を追いかけさせられることで、
僕が失った数々は、失われるべきときに失った、大切なものと言えるだろう。
なにせ、二時間も泣いたのだから。そして、さり気なくジェイという、
まだ失われていない希望も残っている。さて、これからどうするのか。
考えるだけで眩暈がする。一から何かを始めるということは、けれど一では
なく、一×「羊」×「これから」といった乗算になるに違いない。

★★★★☆*87

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2011年5月 8日 (日)

「羊をめぐる冒険 上」 村上春樹

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

著者:村上 春樹
販売元:講談社
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そう言えば「1Q84 BOOK3」予約してまで買ったのに、読んでなかったや。
と思ったら急に村上春樹が読みたくなって、本当は「ダンス・ダンス・ダンス」
を読みたかったんだけど、でもやっぱり「ダンス・ダンス・ダンス」読む
なら、ひつじさんから読まなきゃなぁとかいう流れで、この本でございます。

昔の友人の葬式に出た後家に戻ると、部屋には妻がいた。正確に言えば
一ヶ月ほど前に離婚した妻だ。荷物を取りに来たのである。彼女は
少しの挨拶を残し早々に部屋を出て行ってしまった。彼女の出て行った
部屋には、彼女のものは何もなかった。衣類もレコードも本も。アルバムの
中さえ、僕を残し、すべての「彼女」が切り取られていた。元々そこに
彼女なんていなかったかのように、僕の過去は修正された。僕は数ヶ月後に
仕事の関係で、とある女の子と知り合いになった。彼女は、特別な「耳」を
持っていて、僕はその不思議な魅力に引き寄せられたのだった。彼女と
時間を過ごしていると、彼女は突然言った。「今から少しすると電話があるわ」
僕は困惑した。「ひつじのことよ」数分後、部屋には僕の相棒から電話が
かかってきた。「どうせひつじのことだろう」と言うと、空気が張り詰めた。
「なぜ知っているんだ」僕はひつじをめぐる冒険に出ることになった。

なんだかんだ言って村上春樹の本は、大学生の時に全部制覇した記憶がある。
全部読んだことがある、と言いながら、しかも実はハルキストなんて、言い
ながら、実際のところ村上春樹がなぜそこまで世の中に持て囃されるのか
イマイチよく分かっていなかったりする。わたしの頭には難解すぎるのだ。
これがもし、わたしが男だったら、「ハードボイルド」な感じに共感を得て、
それだけで楽しみが増えるのかもしれないが、考えてみて欲しい、
新刊が出るたびに、その本の「読解本」なる本が様々な出版社から発売され、
「え、あの一行にはあんな意味が?!」「そうかだからあれがそれで……」
と言った、「トリックの種明かし」的な事後談を聞く鈍感者の身を。
それを読むたびにわたしは、なんともげんなりした気分になり、自分の中で
得たはずの感情、および、感想が、ことごとくちっぽけで、方向違いである
ように感じるのだった。ということからして、こういった感想についても、
きっと「読解本」なる本がどこかで出版されていて、わたしはそれと
まったく違ったところを賞賛し、あるいは楽しみを十分出来ないまま、
褒めそやしているのではないか、などと愚な考えが先に浮かび、だから
実際のところ村上春樹がなぜそこまで世の中に持て囃されるのか、イマイチ
よく分からないのだった。内田樹先生の「もういちど 村上春樹にご用心」
がこの間出たので、だからそれも読もうか読むまいか迷うところである。
で、感想が押し押しになったが、村上春樹を読んでいて感じるのは、
なんだか自分の人生どうでもよいという気分になる、というものだ。実に
馬鹿馬鹿しい感想だが、本当にそうなのである。この主人公「僕」に
おいても、その僕の「人生」はうっちゃっている。投げやりである。
もうなんでも自分では「どうしようもない圧力」によって封じられ、
今までの人生はもはやなかったも同然の趣がある。しかも羊のために。
馬鹿馬鹿しく、それでいて「やるしかないしょうがなさ」みたいなものが、
本全体に蔓延していて、だから読んでいるこちらとしても、主人公と
同じく人生をうちゃってしまう時が来るかも知れないし、でもそれは、
なんだか「必然」でやってくるんだから、やるしかないんだよね。という
気持ちになる。それってもしかして、「ハードボイルド」ってヤツなんで
しょうか? こんなに本を読んでいるけど、よく「ハードボイルド」の
定義がわからんし。だからそう、とてもいい意味で、村上春樹の本は、
なんだか今の自分の人生がどうでもよいという気分になる、のであった。
だって、次、何起きるかわからんじゃんか。である。やれやれ。だ。

★★★★☆*87

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2009年9月12日 (土)

「中国行きのスロウ・ボート」 村上春樹

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫) 中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

著者:村上 春樹
販売元:中央公論社
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この本買ったの大学2年の時なんで(生協のレシートが挟まっていた)
だいぶ前なんだけど、なんだか何回も読んでいるのに、
感想を一度も書いたことがなかった。春樹さんの短編の中でも、
とても読みやすい短編集の1つ。だいぶ古い本なんだけどね。

「最後の午後の芝生」
僕には当時おないどしの彼女がいたが、彼女はちょっとした事情が
あって、ずっと遠くに住んでいた。彼女と実際に会えるのは、
1年に換算するとだいたい2週間くらいだったろう。しかし、
その年の夏、彼女は手紙で別れを告げてきた。他に男が出来たのだ。
僕はその時芝刈りのバイトをしていたのだが、そのバイトも
辞めてしまおうと思った。この仕事が嫌いになったわけではない。
何せ金が必要ないのだから、こうしてせっせと働いていている理由が
なかったのだ。これが最後だと決めて向かった先は、丘の中腹にあった。
いつも通り芝を刈り、帰ろうと言う時、依頼主の女性に声を掛けられる。

本のタイトルが、「中国行きの~」なんて書いてあるから、
みんなアジアものなのかと勘違いしそうだが(私がそうだった)
他の短編集は全くそんなことはない。あえてあげるなら、
「最後の午後の芝生」が一番良かったように思う。他の方も、
みんなそういう方が多いですが、やっぱり何度読んでもいいな。
いつもながらはっきりと結末が記されているわけでもなく、
だけど、読み終わったときの心地よさが抜群。
春樹さんは短編作家なイメージが強く(いや、私だけか)、
しかも独特の、細切れ章の心地よさが売りだと思うのだが、
(これも私だけか?)この話は特にそれが良かった。
細切れにすることによって生まれる奥行きに気づくと、
本当に物語が違って見える。なにもわざわざ読みづらく分けているわけ
ではなく、区切られることによって、例えば別の日の出来事であった、
とか(書かなくてもそれを感じとれると言う意味合いで)
繋がっているようで、違う事を考えているのだったり、
そういうものを感じることが出来る。「最後の午後の芝生」は、
というと、芝を刈る長いシーンが、その前のシーンと絶妙に
絡んでよい。ただ説明されているだけなのに不思議ね。
最後に尋ねる、なぞの質問もいい。どんな風に感じるか。
知らない女の子の、知らない何かを。そう、みんなそうなんだと。

★★★★☆*86

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2009年7月26日 (日)

「1Q84 BOOK2」 村上春樹

1Q84 BOOK 2 1Q84 BOOK 2

著者:村上 春樹
販売元:新潮社
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だいぶ時間掛かったなぁ、ハードカバーは持ち歩くのが面倒。
いや、持ち歩くんですけど、実際。おまけに文庫よりも、
ハードカバーの本の方が、私は好きだったりしますけどね。全般的に。
というわけで、春樹さん2巻目、あぁそうきましたか、とね。

『空気さなぎ』の著者・深田絵里子、通称「ふかえり」の承諾を得て、
作品を書き直した天吾だったが、完成したそばから問題は山積みだった。
ふかえりは言語障害を抱えている。そんな少女が、天吾の書いたような
作品を書けるとは世間は信じないに決まっていた。だから全てを
隠さなくてはならなかった。嘘は嘘を呼び、嘘で塗り固められる。
また、ふかえりの両親が宗教団体のトップであることも、
大きな問題であった。『空気さなぎ』は事実を含んだ物語である。
次第に宗教団体から、天吾に脅迫めいた事態が起こり始めた。
後戻りできない天吾とふかえりは、2人で身を隠すことになった。
これからどうすればいいのだろう? ふと天吾が空を見上げると、
そこには月が2つ浮かんでいた。月が2つ……? 
それはまるで『空気さなぎ』に出てくるその風景と同じなのだった。

あらすじは「天吾」のものしか書いていませんが、
視点はもう一つあって、「青豆」という女が主になっているものが
あります。そう言えば主人公2人ともが、変わった名前で、
春樹さんにしてはめずらしいですね。いつも渡辺くんとか、直子なのに。笑
話は次第に『空気さなぎ』の中にもぐりこんでいきます。一番いいと思う点は、
やはり小説の中に小説が出てきているのに、うさんくさくない?、
馬鹿馬鹿しい感じにはなっていない、というところでしょうか。
それはくどくどしい説明文の賜物かと思いますけど、
見事に読者を物語の中の物語に引きずり込んでくれます。
いつの間にか浮かんでいる2つの月は、象徴するようにはっきりと、
そこに浮かんでいます。はっきりと、それが狙いですね。
他の場面がどんなにぼかされたとしても、月が2つ浮かんでいる限り、
それはフィクションなのだと、示しているのだから。
でも一体どこからが、フィクションだったのか?
天吾が月を見つけるまでには、結構な時間が掛かっている。
それに、残されているはずの自分の実体は、どこへ行ったのか?
踏み込んでしまったら、そこが現実になるのだというように、
変貌を遂げてゆく周りの世界は、「そうではなかったかもしれない」
の裏返しなのだろう。それが小説の中でいいのだろうか、と、
小さな世界に若干の疑問も浮かぶような気がしますが。
『世界の終わりと~』でピアジェの構造主義を模しているように、
心理学か何かの踏襲でもしてるんだろうか?
知らないので、思い当たらないなぁ、哲学書でも読もうかな、なんて。
あ、そうそうこの本「BOOK4」まで出るらしいですよ。
あはは、どおりで『ねじまき鳥』と同じ匂いがするわけですね。
なんというか、テンポがね。

★★★★☆*87

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2009年7月25日 (土)

「1Q84 BOOK1」 村上春樹

1Q84 BOOK 1 1Q84 BOOK 1

著者:村上 春樹
販売元:新潮社
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長らく放置していてすみません。…というか誰も期待はしていない
気もするんですけど、まぁ気を取り直して。密かに読んではいました。
記憶が新しい順に書きます。春樹さんは近所の書店に並んでから
買いました。いやもう、すごいね。版数が半端じゃない。笑

塾の数学講師を勤める天吾は、小説家になることを目指していた。
数学を教えることは何より面白かったが、文字を書き起こすその作業は
彼により深い意欲を湧かせるのだった。しかし作品は今一歩のところで
賞を受賞することが出来ない。声を掛けてくれた編集者・小松の力により、
小さな文章の仕事を貰うことができたが、これと言って前進はしなかった。
そんなある日、小松からある仕事を提案された。それは他人の作品を
改稿し、新人賞を狙うと言うものだ。明らかに詐欺行為である。
一度は断った天吾であったが、その作品・深田絵里子の『空気さなぎ』
を読むうち、どうしてもその作品を自分の手で書き直してみたくなった。
17歳の少女が書いた、謎めいた小説。構造は完璧だが文章が酷い。
俺ならこの作品をより生きた作品に書きなおすことができる……。
天吾は一抹の不安を抱えながらも、作品を書き直し始めた。

あぁ長い。第一感想がそれかよ、な本ですが、楽しいは楽しいです。
何と言っても春樹さんがだいぶ妥協して書いています。
何に妥協って?現実と、自分のポリシーの相関妥協です。
なんと、この作品にはテレビや携帯電話が出てくるんですよ。
びっくりびっくり。読んだ瞬間から、春樹さんの気合の入れようを
見受けたような感じがしました。あとは、読者への配慮がある。
読者が初めて見るものに対しては、説明を詳しくしなくてはならない
という説明が出てくるが、この本に関してそれは完璧でした。
でも、まぁその他の部分でも説明、説明、説明、の連続なので、
「あぁ吉田修一が書いたら、半分の枚数で終わるわー」とか、
ちょっとばかり頭をかすめました。まぁそれがなかったら、
もはや村上春樹ではなくなるわけですが。
あとは、一人称が「俺」「おれ」「僕」といろいろ出てきて、
何だか違和感です。そもそも春樹さんの本で「俺」が出てくるのは、
大変珍しいことで(というかそんな本あったかな…)、
それだけでも春樹ファンとしては読んでいて多大な違和感でしたし。
たぶんどこが「現実」で、どこが「小説の中」なのかを、
分けるために書かれているんだろう?とか思ったのですが、
もしも考えなしに書かれたなら、話が面倒になる原因なので
文句を言いたい部分ではありますね。
ところでヤナーチェクのシンフォニエッタを聴いた事がないのですが、
買うのもなんかなーとか思いながら、やはり聴いてみたいですね。
で、一番小説で重要なのは、そう思わせることだと思うのです。
小説は文字でしかないけれど、そこに音楽が加わったら、
どんなに良かろうと、読者に思わせる、という大変さ。
そう言えば、天吾はいつもの春樹キャラと違って気取っていません。
ビールもあまり飲みません。やっぱり春樹さん頑張ってるんだと思います。

★★★★☆*87

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2008年9月27日 (土)

「神の子どもたちはみな踊る」 村上春樹

神の子どもたちはみな踊る 神の子どもたちはみな踊る

著者:村上 春樹
販売元:新潮社
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春樹さんも普通の人間なのだ、と思った短編小説。
随分前に読んであったのですが、再読しました。阪神淡路大震災が
あった後で書かれた小説なので、どこか「頑張って生きてください」感
が漂う小説が多い。ちょっとそれって普通だよね、みたいな。

「蜂蜜パイ」
淳平は沙羅に自分で作った童話を読み聞かせていた。
まさきちという小熊が、蜂蜜を街で売ると言う話。
淳平が作ったその話は即席であったから、至るところでボロが出て、
沙羅のたくさんの質問に根気よく答えなくてはいけなかった。
「どうしてまさきちは蜂蜜を蜂蜜パイにして売らないの」
ある日淳平は沙羅と小夜子と三人で動物園に行った。
動物園にいた熊は、まさきちの友達だと沙羅に説明してやった。
二人は仲良く蜂蜜パイを作って売ったとさ、めでたしめでたし。
そんな風に、淳平は小夜子と高槻との仲が上手くいけばいいと思った。

春樹さんらしくない話が、ある意味多いかもしれない、
と思われるこの短編小説集。全ての物語が地震に関係しているのだが、
地震について書かれていればいいでしょ、くらいのぞんざいな扱いに
思えてならない。きちんと地震を扱っているのは
「かえるくん、東京を救う」くらいじゃないでしょうか。
しかもかなり笑い狙い。しかし、この本を総合的に見て、
地震直後、心に傷を負った人が読んだとしたら、
それはそれは元気が出たのではないかと素直に思う。
だって、あの村上春樹が、災害にあった自分たちを励ますために、
「今を生きろ」とこんな本を書いてくれたのだから。
「UFO釧路に降りる」や「アイロンのある風景」なんかは、
まさにそんな感じだった。起きてしまったことは引き返せないが、
大切なのは今であり、頑張りどころだよ、
と春樹さんが必死に呼びかけているのだ。こんな本他にあるはずない。
だから、過ぎてしまった今、この本を読むと、
なんか春樹さん普通の人だね、とちょっと思ったりしたのだった。
ちょっと変人とまでは行かないけど、普通と違うイメージが、
この本を読むと壊れるように思う。それがいいのか、悪いのかは、
読む人しだいだと思うのだが。私は「蜂蜜パイ」が好きだった。
真っ直ぐに愛を望む淳平の様子が、あまり他では見られない、
春樹さんの表現のような気がしてならなかった。

★★★☆☆*85

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2008年2月 5日 (火)

「国境の南、太陽の西」 村上春樹

国境の南、太陽の西 (講談社文庫) 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

著者:村上 春樹
販売元:講談社
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結局は不倫小説。というとハルキファンに怒られそうですが、
きっと何の感慨もなく読む方は、ただの不倫小説に見えるでしょう。
けれど感じる人には感じる、愛や恋とは別に惹かれあってしまう、
というどうしようもない衝動が描かれています。

僕は島本さんという足の悪い少女に出会った。
それは十二歳という幼い時の事で、けれどそれは
目に見えない強い吸引力のようなもので、惹かれあっていた。
二人はお互い一人っ子だった。だからだろうか、話は合ったし、
それ以上の興味が彼女にはあるような気がした。
しかし、島本さんが転校してから、二人はバラバラになった。
僕は現在の妻と結婚し、二人の娘だって作った。
けれどその生活のどこかで、僕は島本さんを求め続けていた。
今は幸せだ、だけどそれとは別に彼女は僕に必要なのだ。

最初にも書いたけれど、結局は不倫小説である。
幸せなのに、初恋の少女の登場で、三十七歳の僕は不倫に走る。
それだけを聞くとどこにでもありそうな、ありふれた話だ。
だけれども、春樹さんの小説はそんな陳腐なものではない。
そもそも人間は一夫一婦制なのは、どうしてなのか。
愛と恋は別物ではないか。いくら今が幸せであっても、
でも必ず物足りないものはあるはずではないか。
などと深いところまで考えたくなるような不思議な魅力がある。
どうせ不倫でしょう、という見放した判断ではなく、
こんな状況に遭ったら、きっと「僕」でなくても、
みな島本さんの元へ行くだろうと思えるのだ。
もちろん有紀子に文句があるわけではない。
少しの刺激と、昔感じた劣等感を慰めあった心地よい空間が愛しく、
ふと、不倫という線を越えてみたくなるのである。
原因は少しのこと、しかし感情は有か無か、
どちからに振り切れる事しかできない。
結局駆け落ちに成功しない二人は、
だけどこれが一番よい結果に見えるのは私だけだろうか。
よく「結婚するのは、二番目に好きな人」という言葉を思いだした。
単調で、あまり印象のない話なので、私はつい内容を忘れるのですが
読むうちに、文章を追ううちにすっかり思い出す不思議な本です。
四回目くらいか?も。一番最初に読んだ時より、「僕」に
好感を持てるのは、偏った思考が修正されたからかもしれません。

★★★★☆*88

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2007年2月 6日 (火)

「ノルウェイの森 上」 村上春樹

ノルウェイの森〈上〉 ノルウェイの森〈上〉

著者:村上 春樹
販売元:講談社
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あぁ、やっぱりいいわ、春樹さん。と、安心させてくれる作品。
何回目だろう?4回くらい読んだかも。
「これって官能小説じゃないの?」何て聞いてきた人がいましたが、
違います、官能小説じゃありません。恋愛小説です。
そこんとこ、重要ですから。
しかしながら「ノルウェイの森」ってどの曲なんだろう?
探してみたけど、どれがそうなのか判りませんでした。

恋人同士の直子とキズキ、そこに僕。
こうした輪のような3人の関係は、とても心地がよく温かな空気が流れていた。
キズキの親友は僕であり、僕の親友はキズキだったし、
直子もそう言った点で僕を好いていてくれていたのだ。
しかし突如として起きたキズキの自殺は、
その親密な関係との代償に、僕とそして直子を酷く混乱させた。
数年後、そんな心に古傷を抱えながら再会してしまった僕たちは、
さらに傷ついたり、それでいて懐かしい空気に恋焦がれたりした。
だが、次第に悪化する直子の心の傷は、彼女自身を深く蝕んでゆく。

もう何回か読んでいますが、それでも色あせない輝きが素敵ですね。
そして毎度の事ながら、直子の
「『ノルウェイの森』を弾いて」の部分で鳥肌がたつのです。
いや、別に何とも無い一文なのですが、冒頭の僕ことワタナベが、
頭を抱え身悶えるほど何かを思い出す曲「ノルウェイの森」、
その発端となる彼女の一言に、思わずブルリと身震いしてしまうのです。
それぞれ悩みを抱える登場人物たち。
しかしそれは傾向であり、そう言った悩みは誰だってみな抱えている。
でも、直子のように爆発してしまうほどの衝撃になるには、
さて、どんな思いから来るのでしょうか、と言うのがこの作品。
姉の死、両親との不仲、幼馴染の死、キズキ以外を愛してしまう罪悪感、
直子にはそんな思いがごちゃまぜになって、
僕の言う「不完全な」体を保ち続け、そしてそれを治す事が出来ないでいる。
そんな葛藤が、頑張りたい、でも頑張ると壊れてしまうと言う葛藤が、
とても美しく描かれて、やはりこの味は春樹さんしか出せないと思う。
一番はそれを客体が説明をする部分であり、
その弱っていく様子を、僕がある意味淡々と眺めている様子が、
よりその哀しさを引き立たせる役目を担っていて、その上、
その死をもまた受け入れなくてはいけない僕の思いが辛さが、伝わってくる。
そして、それにはやはり「ノルウェイの森」と言う曲が必要で、
何故かしら付きまとうこの曲が、僕が直子の訴えを聞き続けている証拠なのだ。
突撃隊のように真っ直ぐ生きる人間を皆は笑っている。
でも、僕が言うように彼は少々真面目すぎるだけで笑われるような人間ではない。
だけど、そんな真っ直ぐに生きている人間さえも、
この歪んだ世の中には耐え切る事が出来ない、世知辛いよなのだと。
下巻~楽しみです。
後でゆっくり読みます。

★★★★★*98

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2006年10月11日 (水)

「ねじまき鳥クロニクル 第1部:泥棒かささぎ編」 村上春樹

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編

著者:村上 春樹
販売元:新潮社
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さて、春樹さんはノーベル賞とれるでしょうかねぇ・・・。
あと15時間後?位に発表かと思いますが。
是非とも受賞してしいてはインタビューコメントとか聞いてみたいですね。
多分、予想は文章でコメントだと思いますけれども・・・。

ねじまき鳥、いつ読んだんだっけ?と疑問に思うくらい昔に読みました。
中学生かなぁ。その時はこりゃ凄いや、と思った物でしたが、
今日は再読してみて、少し暖簾に腕押し気味でした。
何となくくどい感じがするんですけども、どうなんでしょう。
こんなに春樹さんの文章くどかった・・・?
久しぶりに「ノルウェイの森」も読みたくなりました。

失業した「僕」が、日常に中で遭遇する、奇妙な出来事や人物の話。
家の猫を捜索して出会った、水を薦める不思議な力を持った加納マルタ。
突然電話を掛けてくる謎の女。裏路地で出会った足を引きずる少女。
「僕」に水に注意を促した死んだ占い師の遺品を配る義腕の老人・・・。
あまりに突飛な出来事が起きるため、順序立てて妻に話す事を諦めてしまい、
そこにちょっとした秘密が生まれてしまう。
そんな時、妻が「僕」の知らない香水の香りを漂わせていた。
出来事はこれから始まる予感がするし、それぞれのちょっとした秘密は、
いつの間にか取り返しがつかないものになってしまったようだと言う話。
3部作、1部目。

久しぶりに春樹さんを読んだ気がする。
やっぱりこの頃の文章がすきかなぁ。「世界の終り~」もいいんだけども。
そしてこの本の大部分は会話(と言うか一方的な語り)で成り立っている。
それがどうにもくどいなぁ、という感想を持ってしまったのですがね。
会った人、会った人が、こんなに長い話をしてくれる物だろうか?
とかちょっと皮肉な意見をもってしまい・・・・。
ストーリはまさに序章、と言った感じ。随分前に読んだままだったので、
水と井戸と不思議な能力の発端はここにあったのか、と納得した。
あと「僕」の義兄との対立?というか蟠りを長々と語った後の、
「オーケー、正直に認めよう、おそらく僕は綿谷ノボルを憎んでいるのだ」
と言う文で思わず苦笑。やってくれるね、春樹さんと。笑
前文で綿谷ノボルがどうなろうと関係ない、と言ってるくせに、
この開き直りに清々した気分にもなった。
後は、ノモンハン事件の事ばかりが頭に残っていますね。
老人が語る過去話は泥臭くリアリティがあり、グロテスク。
皮を剥ぐあたりは正直飛ばし読みしました。苦笑
相変わらず、まだまだこれから。次はどうなるの?
って漂わせる終りで読者を長編に引き込む力は抜群ですね。

★★★☆☆*86

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2006年9月 8日 (金)

「レキシントンの幽霊」 村上春樹

レキシントンの幽霊 レキシントンの幽霊

著者:村上 春樹
販売元:文藝春秋
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ん?なんだか春樹さんぽくないような・・・。
なんとなく他の長編作を書くための予備的な短編集、みないな。
そんな感じがする。
結構年代がバラバラに収録されているので、
あぁこの頃の春樹さんはこんな事を考えていたのね的。

一つ目は「緑色の獣」。
幼い頃から接してきた椎の木から緑色の獣が出現する話。
すんごく短い。
何が言いたいのか理解に苦しむのですが、
多分幼い頃の自分を知っている誰か(ここでは獣)を気持ち悪がる、と言う感じ。
突如現れて、「昔からあなたが好きだ」と言うような事を聞いて、
(自分の過去を嫌う)主人公は生理的にその存在を受け付けない。
そんな事を表しているのだと思います。
ここから連動して話が作られるのか・・・と思うとなるほどと感嘆です。
これは何となく表現が「世界の終わり~」の一角獣のような雰囲気。
でも表現している事は違いますけどね。

もう一つは「トニー滝谷」を。
孤独になりたくないけれど、いつしか周りは死んでいくものだし、
その悲しみを乗り越えるために、遺品をそばに置いておくのも辛い。
でも死人の影を振り落とすためには、やっぱり綺麗さっぱり捨ててしまうべきで、
そうすると、やっぱり独りぼっちになっちゃうよね、と言う話。
一度は皆体験するだろうと暗に訴えている部分に敏感に反応してしまった。
孤独を愛する人がいたとしても、誰かが周りにいる状態での孤独と、
本当に身寄りのいない天涯孤独ではわけが違うのだな、と思う。
トニー滝谷は名前からしてそう言う運命を辿るのだ、
と言っているようで、親の運命を受け継いでいる、そんな事も感じました。

うーん。面白みには欠けるかも知れないですが、
人間の感情を文章で表すとこんな感じになるのではないだろうかと。

*79

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