2011年5月28日 (土)

「女に」 谷川俊太郎

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なんだか物凄くやる気が出ないのだが、これは台風のせいに違いない、
とか暗示のように言い聞かせて、どうにか生きている今日この頃。
システム系の仕事に就きながらも、インターネットなんて生まれなければ
よかったのになぁ、とかテクノロジーを恨む根暗な女。「女に」

きりのないふたつの旋律のようにからみあう、
詩とエッチングの織りなす愛の物語。
(Amazonより)

短い詩集なので、だいぶ前に読み終わっていたのだが、感想を書く暇が
なくて今になり、ついでなのでもう一回読んでこの感想を書いている。
「女に」とタイトルにあるように、そこに愛する人がいることを前提
として描かれた詩たちだった。どれも短く5、6行しかないのだが、
しっかりと、男と女の一場面が描かれていて、詩は書くものではなく、
描くものだ、という強い認識を受ける本だった。たった5行で、
映画のワンシーンが作れそうだ。文字の羅列のすき間から、わたしたち
読者に送られる信号はなんとも感覚的で、しかし誰しも持ちえる感覚の
奥深くを言い当てられているものだがら、共感を得ながらも、読む人
それぞれの感情と風景画思い浮かぶ巧みな詩たちばかりであった。
特に好きだったのは「こぶし」と「川」という詩だった。この二つは、
この本の中でいえば対極に位置するような詩だろうと思う。「こぶし」
は物を使い投げつける女の感情が(というか女と言う性質を)「川」は
ただあなたに会いに行くそれだけの過程が描かれている。どちらもやはり
映画のワンシーンになり得るだろう。たった5行で。いつもは「孤独」や
「寂しさ」を漂わせている谷川さんだが、この本に限っては「あなた」がいる
というような、他人を慕う温かさを猛烈に感じた。愛情というやつでしょうか。
「女に」と贈られたようなタイトルになっているが「女と」とつけても良さそうな、
愛が溢れている詩集だった。その人への愛が自分にとっての何だったのか
を忘れそうになったときに読んだらいいだろう。「何だったのか」なんて
ことはわからずも、ともに死ねたら幸せだろうと思えるのではないか。
それにしても、佐野洋子さんの絵が絶妙である。

★★★★★*90

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2011年5月 9日 (月)

「シャガールと木の葉」 谷川俊太郎

シャガールと木の葉 シャガールと木の葉

著者:谷川 俊太郎
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


あたり一面に「死」が満ち満ちている本だった。どこの詩だったか、
「詩は言葉では表現されない場所で姿を見つけてくれるのを待っている」
というような内容の詩があったが、見つけるも何もこんなにあふれていては
零れないように救い止めるのが大変で仕方がなかった、そんな本。

清冽な印象をたたえた全36編の詩集。
〈憎悪を理解しようとすること/それこそ愛のはじまりだ〉
伝えたい言葉があり、心にとどめたい詩がある。
さらに軽やかに描かれる、瑞々しい言葉の果実たち。
(Amazonより)

思いを文章で伝えるのは難しい。特にこうしたインターネット上の
無機質な文字体になってしまうと、それはそれは冷たく、だから、
谷川さんの詩集が電子書籍などであまり読まれて欲しくないなぁ、
なんて思うのだった。横文字で表された日本語からは、その隙間から
漂ってくる「詩」と(谷川さんに)呼ばれる部分が、すっぽりと抜け落ちて、
あるいは、違う形に変容して、伝わってしまうことだろう。
わたしはメールがあまり好きではない。いくら絵文字を使っても、
言いたいことが相手に伝わらないように、ただ隣に居てくれればいい、
それだけのことを伝えることが、どうも上手くいかないのである。
わたしもだけど、それはわたしに限ったことでなく、人間はへたくそだなぁ、
と思うのだ。それは人間が言葉を覚えてしまったことへの罰なのか、
あるいは、気持ちを具現化するための課題の途中なのか。
本の中身は、「死」を扱ったものばかりだった。谷川さんもお年を召され、
周りの同輩の方々も年を重ねて行くばかりだ。大事な親が、大事な妻が、
大事な友が死ぬたびに、谷川さんの紡ぐ言葉は、なんだか少しずつ
形を変えているように思う。人はいつか死ぬなんて、わかってはいるけれど、
けれど周りの誰かが順に亡くなってゆくと、「次はそろそろわたしの番
なのかしらん」と頭を過ぎるような、そんな詩であったように思う。
色んなことを「詩」として読んでいるのに、その隙間から漂っているのは、
「次はそろそろわたしの番なのかしらん」という、寂しさと心細さと、
でも大丈夫、という少しの強がりなのだった。それが一番に表れているのが、
「願い」であって、なんだかこの詩だけ飛びぬけたように生々しく、
『これが私の優しさです』で感じた時のような、鋭利な谷川さんの
心の叫びであるように思った。もう来るなと言っても、来て欲しい。
言葉では上手く伝えられない思いである。

★★★★★*90

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2011年4月 1日 (金)

「これが私の優しさです」 谷川俊太郎

これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集 (集英社文庫) これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集 (集英社文庫)

著者:谷川 俊太郎
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


もっといろいろ読んでから、この本に手を出すんだったなぁ、と思った。
この本は谷川さんの60歳位までに出した大量の詩集から選りすぐられた、
詩たちの集合である。詩集というよりも、なんだか詩たちの集合、という
方が相応しいほど、収まりきらない何かが蠢いている。それは、あれなのか。

ことばが輝き、躍り、翔ぶ!
鋭敏な感覚と清新な詩風で築いた独自の抒情世界。
最もポピュラーな現代詩人・谷川俊太郎の代表作を収録した傑作詩集。
(解説・栗原 敦/鑑賞・さくらももこ)
(Amazonより)

最後に書かれていた栗原敦の解説や略年表を読んで、「あ、」と思った。
そうか、だからわたしの心に響くのだ。いや、谷川俊太郎と言えば、
日本で一番と言っていいほど名の知れた方である。ということは、
そういうことなのか。みんな寂しいのだ、と思った。どうでもよい話だが、
わたしは世の中に「寂しさの周波数」というようなものがあると思っている。
似たような寂しさ、濃度、感情の濾過具合によって、彼らは自然と
寄席集まる仕組みになっているような気がするのだ。それはどこでも
同じ。みんながこの詩集を褒め称え共感するということは、谷川さんが
するすると澄んだ空気のように、しかしとてつもない寂しさを滲ませて
いるその部分に、きっとみないろいろな形をもって感じているのだろう。
この詩集の中には、いくつか読んだことのあるものが含まれていたが、
一番わたしが敏感に感じ取ったのは、表題作の『これが私の優しさです』
だった。この詩には、「あなたが死にかけているときに あなたのについて
考えないでいいですか」とある。わたしはこの部分を読んで、泣きそうになった。
わたしも、まさにそう思っていたからだった。この『これが私の優しさです』
という詩は、おそらく父親に宛てられたものだと思う。詳しく調べていないし
調べるつもりもないので知らないが、たぶんそうだと思う。なぜなら、
わたしと同じ寂しさの周波数を感じたから。寄せ集められた作品たちは
どちらかと言えば、1冊ずつ読んだ方がいきいきとしている気がする。
でもその1冊に凝縮された何かは、ここではまた違った何かに化けていて、
だから、いろいろな本を読んだあとに、映画のエンドロールのように、
読むのがいいだろう。まぁ、まだまだ作品はたくさんあるので、
とりあえずは60歳までのエンドロールだ。どんなに裕福でも寂しさの苦しみ
には耐えられない。テレビで大家族特集を見るたびに、どこか不愉快で
羨ましげな気分になる。育まれた気持ちは取り返しようもなく、60歳に
なってもまだ、こうして滲ませ続ける。因果、結果オーライなのか。
生きるために何かを作る人間になりたい。

★★★★☆*87

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2011年3月19日 (土)

「はだか」 谷川俊太郎

はだか―谷川俊太郎詩集 はだか―谷川俊太郎詩集

著者:谷川 俊太郎
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


この本は、谷川さんとは何も関係なく、わたしの大切なもの、であったり
します。わたしは基本的に人からものを貰ったりするのが苦手ですが、
あの時はただ、何かが欲しかったのです。「今」を思い出すための何かを。
思えばこんなことをしなくてもたくさん貰っていましたけど。見えないその形で。

筑摩書房、1988年発行。
全編ひらがなで綴られた、谷川俊太郎の詩集。

谷川さんが57歳のときの詩集である。現在も79歳でご存命でいらっしゃる。
先日読んだ『定義』は44歳の時の本で、あのとき感じた少し青臭い雰囲気
(詩を繰ってやるという意気込んだ感情というような)はこの本にはまったく
なく、ある意味拍子抜けであった。(実は『定義』の前に一度読んだのだけど)
中身はすべてひらがな。はっきり言ってとても読みづらい。小学生の坊やが
つぶやくようなたどたどしい言葉は、けれど、ぐっとこころを絞めつける
力を持っている。ある人は「この本の一番最初にある「さようなら」という
詩があるのだが、それを読んでいたら急に悲しくなって泣けてきた」
と言っていた。この「さようなら」という詩は、少年が、両親の元を離れ、
どこかへ行く、という詩である。詩であるから深くは語られず、それが
永遠の別れなのか、疎開ないのか、それともただ1日の別れなだけなのか、
ちっとも分からないのだが、たださようなら、とつぶやかれる。ふと少年を
呼び止めたくなるような気持ちになると同時に、わたしの中にも、
その小さな少年が佇んでいるような気持ちになった。そう言えば、わたしは
いっとき祖母と二人で暮らしていたことがある。1週間だったか2ヶ月だったか
よく覚えていないのだけれど、その頃父は病気で入院しており、母もまた
弟を産むために入院していたからだった。その時間をあまりよく覚えていない
のは、たぶん、覚えていたくないほど寂しかったからだろう。祖母にならって、
折り紙が得意になった。お手玉をした。お手玉の中身は小豆がよろしい、
と祖母が言った。わたしは頑張って、「偉い子」でいることにした。そう
すれば、みんな帰ってくる。そう思っていた。そんなことがあった。
わたしはこの詩の意図を考えながら思い出していた。きっと
「急に悲しくなって泣けてきた」と言ったその人とは、似ても似つかぬ
思い出に違いないが、するする滑り込む柔らかい「ひらがな」は
不意に読み手のこころの奥のほうをさらって撫でてゆき、忘れていた
その気持ちを、きゅっと蘇らせてくれるのだろう。忘れている、ということは、
まだ、覚えている、ということだ。何かをきっかけにして、その感情は蘇る。
蘇らせることができる。何かを思い出すために、あなたも読んだらいいだろう。
何を思い出すか、それは誰にもわからないけれど。永遠に「さようなら」
と思っていたその気持ちを思い出すことができるかもしれない。
研ぎ澄まされたその感性に、ただただ感心するばかりである。

★★★★★*92

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2011年3月 5日 (土)

「夜のミッキー・マウス」 谷川俊太郎

夜のミッキー・マウス (新潮文庫) 夜のミッキー・マウス (新潮文庫)

著者:谷川 俊太郎
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


なんだか最近詩集ばかり読んでいる気がする。あと、文壇もの。
詩は、短い文節の中に含まれるそれ、あるいはそれの置かれる順序、
あいるはそれの文字の形態、あいるいはそれを読まれることへの認識、
など、いろいろなことが絡んでいるのだなぁ、と思う。短いだけに。

星々は言葉をもつ 宇宙は文脈として 大地もまた 懐かしい無言のうちに-。
この上ない言葉たちが誘う、この上ない世界とのかかわり方。
『新潮』『文学の蔵』等に掲載された作品、書下ろしを収録した詩集。
(Amazonより)

詩集ってあらすじも何もないよな、と思う。特にこの本の中は、
とりわけ連載されていたものでもなく、1995年のものもあれば、
2004年のものもある。だから先日読んだような『定義』のような
一貫性はまったくなくて、むしろ自由に書かれたものを、自由に
纏めた、という雰囲気があった。けれども一冊を通して見てみると、
どこか「死」を感じさせる何かが漂っていた。死を瀬戸際にして
生かされている、いつ死んでもおかしくない、と言ったような
こころがどこかにあるようで、文字と文字の隙間からにじみ出ている
ように感じた。年を取るにつれ、あるいはいくつもの詩を連ねるにつれ、
行き着く境地というものがあるのだろうか。「ミッキー・マウス」や
「3D」という現代的な文字とは裏腹に、精錬され並べられた文章は、
なんともいえない凄みのようなものがあった。これ以上にない
研ぎ澄まされたものだけが残す何かである。まるでクロード・モネが、
晩年の死に際まで「睡蓮」を描いて描いて描いて描きまくったように。
あなたは知っているだろうか、あの「睡蓮」たちに囲まれた時の、
背筋をそっとなぞられるような、息を飲むひと時を。
谷川さんはこの『夜のミッキー・マウス』のあとにも作品を出して
いるが、きっと、それらを制作順に一気に読み干したら、
およそ増してそんな気持ちを得られるのではないか、と思った。

★★★★☆*86

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2011年2月27日 (日)

「定義」 谷川俊太郎

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あはははは、笑ってしまう。いえ、こちらの話。この本は、とある方に
お薦めされました。どうもありがとう。面白くて、堅苦しくて、偏屈で、
さすが、あなたのお薦めだと思いました。谷川さんは、柔らかい詩集たち
しか目にしてこなかったので、目から鱗、額縁から絵画が流れ出しそうです。

なんでもないものを、なんでもないものとして、描写することはできない。
なぜなら、「なんでもないもの」と書いてしまった時点で、それは
そこに存在するものになり得てしまい、「私」の意図するなんでもないもの、
ではなくなってしまうからだ。ものの、定義、それを定めるのは「私」
であり、そうして紙を前にした時生まれるそれもまた「詩」なる定義である。

堅苦しい文章で推し進められるそれは、一見難解なようで、実は馬鹿らしい
ほど単純である。とりわけ、「りんごへの固執」なんかは、要するに、
「もうりんごはりんごでしかない」とその他の言葉を用いて描写するのを
放棄しているのだから。思わず噴出してしまった。あるいは、
「壺部限定版詩集<世界ノ雛型>目録」なども、厳つい漢字をわざわざ
並べており、且つ、原子爆弾云々怖ろしい表記まで出てくるが、
必死に読み進めてゆくと、途中で「やっぱやめた」との記載が出てくる。
おいおい、ここまで頭を使わせて考えさせられたのに、「やっぱやめた」
かい。ここでもズッコケである。その上、この本が面白くない場合は、
爆弾で破壊せよ、などと書きながら、それも「やっぱやめた」読者に任せる。
である。おまけに、最後には向日葵を育て始める。なんとも楽しげで、
こころを弄ばれ、「ほら、楽しいだろう」と笑われた気がした。
ものの「定義」などと言うと、とても難しそうである。しかし、「それ」
例えば「ハサミ」をなぜ「ハサミ」という名前にしたかなんて、
分からないのである。だから考えようもない。その上、文字として描写
された「鋏」らしきものは、やはり「鋏らしきもの」であって、
作者が「鋏」と書かない限り、「鋏」ではないかもしれない可能性を
捨てきれない。すなわち、ものを見るときの「定義」と呼ばれる難解な
言葉は、「自分」もしくは「我」によってしか認めることができず、
してからに、その面白さと、必然の奇跡を教えてくれる本だった。
ページを繰るのがもったいないと思い、何故だか生きるのを急ぎたくなる
本だった。読み終わったら、たんぽぽの種がひとつ頬をかすめた気がした。

★★★★☆*87

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