2011年6月17日 (金)

「こころ」 夏目漱石

こころ (新潮文庫) こころ (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
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ようやく、あぁ、ようやく本を読む時間が。幸せこの上ないです、はい。
なんだかもうダメなんですよ文字がないと、文字がないと気が狂いそうで。
いや、文字のない時間に気が狂いそうで。とりあえず映画で埋めていた
のですが、やっぱり文字じゃないとダメなんですよ。と夏目漱石。

親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、
自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品。
鎌倉の海岸で出会った“先生”という主人公の不思議な魅力にとりつかれた
学生の眼から間接的に主人公が描かれる前半と、
後半の主人公の告白体との対照が効果的で、“我執”の主題を
抑制された透明な文体で展開した後期三部作の終局をなす秀作である。
(Amazonより)

夏目漱石の中でわたしが一番好きな本。まぁ、一般でも、一番知られて
いる作品とも言えるからそういう人が多いかもしれない。『こころ』は
高校の教科書に載っていた。Kが死ぬ場面だったか。読んだときとても
衝撃を受けた思い出があるけど、教科書の一部分としてではなく、
一冊として読んだ時の構成の圧巻ぶりに、平伏した印象の方が強い。
この本は書生主人公の若い青臭い苦悩と「先生」と呼ばれる男の成熟した
どす黒い過去の独白から成り立っている。教科書にはその独白部分のみが
記載されているが、これを習う生徒が書生と同じような年齢と言うことから、
この抜粋はよくマッチしたものだったんだな、と今更ながら思った。
いつ読んでも明確かつ単純、しかし、年長者が若年者に教授する、という
場合において、これ以上素晴らしい構成を未だかつて読んだことがない。
何がよくて惹かれるのか分からない魅力を持つ「先生」を、主人公は慕う。
「先生」は「先生」と呼ばれながらも、何を教えるでもなく、
何も施してはくれない。けれど後に語られる先生の手紙の独白を読むと、
なぜ何もしない人間にあんなにも惹かれたのか、という理由を垣間見る
ことができる。それは人間の「死」である。そしてその「死」を乗り越える、
という人間の根本概念の極地である。人間の命の重さは等しいはずで、
しかしその死に方によって残された人間のこころには、命の重さの差異が
生まれる。生前に欺いた、あるいは陥れた、もしくは裏切った、という
懺悔は、死人に伝える事ができず、怨念以上の深さを持って人間を襲うのだ。
死んだ他人が祟る、のではなく、自らの後悔と懺悔と戒めの念が、
自らを縛り付けるという。それは最大の過ちであって、修正することが
できない。自分の欲望からその怖ろしい選択をしてしまった悔いと懺悔を、
自らの死の覚悟をもって伝えるという凄まじさに、若い書生、
あるいはそのような経験のない人間のこころを揺さぶるのだった。
人間を殺したという自らへの自責の戒めとして死ななくては気がすまない、
他人に裁かれなかった人間の末路はやはり「死」なのだ、と。
「そんなことはない」と反論したいが、けれど「先生」は死に絶え、
存在しないのである。論議の余地は皆無である。だから、他人に裁かれ
なかった人間の末路は「死」だ、という「先生」の論理を覆す事は不可能だ。
その絶望的な衝撃は、いつ読んでもこころを掴み揺さぶる傑作である。

★★★★★*95

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*過去の感想文(2006/7/16)

こころ こころ

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
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夏目さんの最高傑作といっても過言ではないかと。
言わずと知れたこの話、高校の教科書に載っていましたね。
凄く好きなんです、ブログのためにまた読んでしまったくらいです。

人間の心が揺れ動く様を、ここまで美しく描かれた作品はそう無いと思います。
Kを自分の元に呼び寄せ金の工面してやろうと言う親切心と、
呼び寄せてしまった事により、お嬢さんを取られてしまう事を心配する、
「私」の心情が主人公へ宛てた手紙として書かれています。
良心の為、今更Kを追い出すわけにもいかず、
しかしお嬢さんを取られしまうのも耐え難い・・・そう思い、
Kを囃し立てた「私」は、その前にKには内緒にお嬢さんと婚約してしまう。
そしてその後の後悔の念は、Kが生きていれば挽回できたでしょうが、
死んでしまった今はどうする事も出来ない。
Kがそう考えていたかわかりませんが、私はKは死ぬ事によって
「私」に一種の呪いとも言える復讐を掛けたのではと思いました。
勿論、ただKは自分に耐え切れなくなっただけかも知れませんが、
結果的に「私」も導かれる様に自ら命を絶ってしまうからです。
「覚悟? 覚悟ならないこともない」
このKの言葉はドラマや映画で音声を聞いているわけじゃないのに、
なぜかこの言葉は、頭に響いて残っているような感じがしました。
この後、Kは自殺をするわけで、
その覚悟とは、お嬢さんに告白をする覚悟なのか、
お嬢さんの事を好きになるのを止める覚悟なのか、
告白をせずに自殺をする覚悟なのか、このあたりから悩むところです。
まだ「私」は婚約を持ちかける前なので2つ目が有力だと思いますが・・・。
「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」
「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」
この言葉はまさしく人生の教訓みたいですね。
もうお札ではなくなってしまいましたが、
威厳ある日本の文学者の作品としても、
1度は読んで夏目さんの世界に浸ってみるのはいかがでしょう。

ちなみにNHKで10年位前に単発ドラマをやったそうです。
高校の授業で見せてもらいましたが、短い割りになかなか。
残念ながら再放送もDVDも出ていないそうで、かなり貴重な映像のようです。
それを家で録画して10年間も取って置いてくれた先生に感謝です。笑
主人公は確か「ハムの人」でした・・・(名前忘れた・・・役所さん?

*90

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2011年5月 7日 (土)

「吾輩は猫である」 夏目漱石

吾輩は猫である (新潮文庫) 吾輩は猫である (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
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久しぶりに読んだ。こんな話だったんだなぁ、と自分の記憶を残念に思う
と同時に、人間のとりとめのない日々をよくぞこの視点で書いたな、と、
脱帽感服である。「死」を意識すると同時に、「生きている」という、
ただそれだけで滑稽な人間と言う存在を客観的に感じることは安心を得る。

漱石の処女作であると共に、一躍その名を高からしめた代表作でもある。
苦沙弥先生に飼われる一匹の猫にたくして展開される痛烈な社会批判は、
今日なお読者の心に爽快な共感を呼ぶ。
(Amazonより)

「吾輩は猫である。名前はまだない」あまりにも有名なこの文句は、本を
あまり読まないにわか読書家でも知っている言葉の一つであろう。わたしも
この冒頭の句はとても印象に残っていて、それと、金田のおばさんが
苦沙弥先生を尋ねてくるあたりまでは良く覚えているのだけど、つい、
後半に向かうまでの流れを忘れてしまい、どんな話しだっけなぁ……
となるのであった。今回読み直して分かった事だが、この本にストーリー
などと言うものはほぼないと言って差し支えない。だから内容を覚えていない
のである、というのもかなり強引だが、本の中身で一貫した出来事と言えば、
金田の娘を誰が貰うか、というただその一点のみである。その他泥棒に
ついても一応の完結はあるものの、苦沙弥先生の元へは迷亭やら寒月やら
珍妙な客ばかり訪れ、話を蹴散らかし、話題をアサッテに飛ばして帰って
ゆくので、西洋美学の話をしていたと思いきや、金田のおばさんの鼻の
芸術性なんかを神妙に論議し始めたりする。中でも一番面白いのは、
なんと言っても泥棒に遭ったときの、細君とのやりとりである。
「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」
「いくらするか」「山の芋のねだんまでは知りません」
「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、
いくら唐津から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
最高に笑える一こまである。滑稽極まりない。どうでもよい日常が、
人間には流れており、そのどうでもよい時間に何か意味を持たせようと
頑張っている様子を、「はなはだ滑稽だがしかし生きているからには、
何かしなくてはならんのだ」と客観視する余裕派な正論が、読み手を冷静にし、
「何もせず(できず)にいるのは自分ばかりではない」という安心と、
少しの心地よい焦燥を得ることが出来る。それにしても、「十一」で
繰り広げられる、未来予言なる言葉は、見事に的中しているようで、
読みながら生唾を飲み込むような思いだった。千年経ったら、死亡理由は、
すべて自殺になるに違いない。けらけら笑われるように語られる、
その予言は、今や現実に近づきつつある。「個性」「個性」と言われ、
「個」を大事にするばかりで、自殺が増え、夫婦は成り立たなくなり、
離婚が増えるだろう、と。今の世はまさにそれではないか。
インターネットなどと言う人間の愚の産物を見た夏目漱石は、なんて言う
だろう。やっぱり「馬鹿野郎」だろうか。こんな世の中でも、願わくば
ありがたいありがたいと思いながら死にたいものである。

★★★★★*91

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2011年4月 3日 (日)

「草枕」 夏目漱石

草枕 (新潮文庫) 草枕 (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
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洒落すぎて難しいから、もう少し簡単に書いてくれたら、いい本なのに。
本文中の3割くらいの意味がわからなかった。なぜなら漢文、漢詩、俳句、
当時の醍醐味、などがだらだらと無意味に羅列されていたりして、わたしが
その意味を知らないからだった。なんだ自分のせいじゃないか、と嘆く悔しさ。

小説についてもそうだが、絵を画にしても重要なのは人間ではない。
人間の心の移り変わりなどを主にするのではなく、ただただ流れゆくときを
描写することが大切なのであり、それは山や花や川といった自然を
ありのままに書き写す事だ。かの中国の漢詩などは、みなそうではないか。
もし人間についての描写する場合でも、ただそこの背景に人がたまたまいる
のであって、余が彼らについて思っている事柄を絵に含める必要はないのだ。
絵を描くため田舎に逗留することに決めた余は、一軒の家に世話になる
ことにした。そこには少しばかり変わった女がおり、大変魅力的ではあるが、
余が絵にしようと思うには、何かひとつ欠けているのだった。山々を
巡りながら、女の奇行を何度も目にしながらも、必死に自然を追い求めるが…

掌から何かをとりこぼしたかのような悔しさは、自分の知識のなさにある
と同時に、自分しかわからなくてもいいや、と他を配慮せず書かれた雰囲気
のある本だった。中には、漱石自身が気に入っていると思われる漢詩や、
洋画家の絵についてが、穏やかな農村を背景に、だらだらと語られており、
芸術の醍醐味とは、こういうことなのではないか、と確かに納得して
しまいそうな趣ある心地のよい間延びであった。まるでカンヌ映画賞を
狙って作られたフランス映画のような。そう言えば、語られている
洋画家のひとりに、ジョン・エヴァレット・ミレイがあるが、わたしも
とりわけミレイの「オフィーリア」が好きであるため(大学の論文も
書いたし、美術館も何度か観に行っている。かなり好きである)
そう言えばその時にこの本を読み返したな、と思い出した。なぜ、あの
物語の中から、この死体の部分を選び絵にしたのか。はなはだわたしも
疑問であるが、あの圧倒的な描写を見ているだけで、「何かある」と
思ってしまう。夏目漱石もそう思ったのか、自分も納得のいく死体の絵を
描きたいなどと語っている。全体にわたって景色や自然物の描写が多く、
「これは小説ではない」としつこく念を押しながらも、しかしこうして、
ときおり人間の心が滲み出る。その瞬間がとても面白く、どうでもいい
非人情と言い合う会話が、それこそ滑稽な舞台の脚本のセリフのようで、
やっぱり人情じゃないか、と笑ってしまいそうだった。何しろ、「余」が
描いてもよいと思った女の絵は、「大切な人との惜別の憐れな表情」だった
のだから、ますます人情である。汽車に乗った久一は、日露戦争に向かうが、
それが当たり前の如く描かれている。いや、汽車という二十世紀の悪の産物
により、こことは切り離された世へと久一を連れ去る、という表現とも
とれるだろうか。現実は不治の胃病に苦しみ、そして戦時が待ち受ける。
そのような、ごたごたした乱世を描くよりも、本当は、本当に存在したかった
世界は、とて、描いた本かもしれない。汽車が悪の産物と捉えた夏目漱石が
今もし生きていたとしたら、何を思っただろう。東京は地下も地上も、
網の目の線路で埋め尽くされているこの世界は、嘆かわしいものだろうか。

★★★★☆*86

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2011年3月27日 (日)

「坑夫」 夏目漱石

坑夫 (新潮文庫) 坑夫 (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
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とある人が「僕は坑夫になりたい」と書いていたので、「はて、
夏目漱石の坑夫はそんな話だったかしらん……」ともやもやして、
読み返した。中身をほとんど覚えていないものだなぁ、と最近
つくづく自分の記憶力を残念に思う。わたしはまだ坑夫にはなりたくない。

家出をし、道をひたすらに歩いて疲れ果てたと思っていたところ、
茶屋で長蔵という男に声を掛けられた。長蔵は「坑夫にならないか」
と言う。自分の中の、坑夫という職業のイメージは大変悪かったが、
ついぞ先ほどまで死ぬ気で家を出てきたものなのだから、坑夫という
落ちぶれた職業に就いてもみるのも悪くはないだろうと思った。
連れられ歩いて行くうち、長蔵は自分の他にも二人の人間を坑夫に
誘った。四人は山を目掛けて夜道を無言で歩いていった。それだけでも
死に物狂いに思えたが、山の坑の中は、更に酷かった。目が落ち窪み、
瞳をギョロつかせた坑夫たちからは、体も細く、新参者の自分には、
この職業が勤まるわけがないと愚弄された。それでも家には帰りたく
なかった。家に帰ったあとの苦痛を考えたら、坑の中で無言で労働
する方が、地獄と言う意味でも、自分では収拾のつけられない人の
感情から遠ざかるためにも、いいように思えた。

坑夫という職業について「こんなにも最悪の条件下でしか働くことが
できない身分の人間」とわたしは解釈した。そのため、まだわたしは
坑夫にはなりたくない。最悪の条件下というものがあるとするのなら、
それを決めるのは自分ではない。ことにこの主人公であっても、
主人公にとっての最悪の条件下は、家にいて艶子と澄江という女との
三角関係に悩む、という平々凡々かつ、自分ではどうしようも解決
しがたい深刻混迷なものだ。けれども、諸氏一般の最悪の条件下は、
安さんがいうように、坑夫の方がよっぽど下であろう。というように、
この本は、個人的な最悪の条件下から逃れるために坑夫を選ぶ、
という構図になる。「坑夫になりたい」という言葉は、個人的な
最悪な条件下から逃れる、もしくはその条件下をなかったものとし、
更なる最悪な条件を突きつけられたい、ということになる。
自分にとっては最悪でも一般にはぜんぜん最悪ではないということだ。
あるいは、個人の捕らえ方は様々であるから、坑夫のような、
「ストイックさ」のような、それにしか打ち込めない人間の様子、
と受け取ったのかもしれない。そういう意味でなら、わたしも
「坑夫になりたい」ような気もする。しかし、どう見積もっても、
回りまわって、この本の重点は、個人的な最悪な条件下から逃げる、
というものにしかわたしは思えない。逃げちゃあいけない。
そのまたあるいは、「生み出さない」決められた仕事という意味かしらん。
主人公も、いろいろな葛藤の末、結局東京に戻る。ある意味その
ような様子を匂わす描写があるから安心して読めるのだ。
「坑夫になりたい」という言葉は、だから、坑夫よりも不完全な
自分への戒めを感じているという心理を裏付ける言葉だろう。
まったく主人公と同じである。ところで、この本は夏目漱石が35歳
のときに書いた本である。あの時代だったら、35歳と言えば、
だいぶいい年端だったのかもしれないが、それにしても心理描写が
なんとも重々しく、まるで精神科医のごとく人間の心をしげしげと
観察している様子が、恐ろしく冷静で且つ丁寧であった。
こうとまで人間の心理を小説に描かれては、何も文句の書きようもない
のである。夏目漱石ほど「先生」と言う言葉が似合う人間を
わたしは知らない。最近、そういう人、いないよなぁ。人間の真髄は、
今も昔も変わらないと思う。現に、今この本を読んでも心に響く。
それなら今時の「坑夫」ではない形で、その心のうつろいを、
誰か美しく描いてはくれまいか、と嘆きたくなる。誰か、誰か。
今の時代の心の叫びを。地味で尻切れながら、この重み、脱帽である。

★★★★☆*88

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2011年3月21日 (月)

「彼岸過迄」 夏目漱石

彼岸過迄 (新潮文庫) 彼岸過迄 (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
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夏目さんの本はぼちぼち読むのですが、とりわけ感想を書くでもなく。
文句ある感想を書くのもおこがましいと思うほど、敬愛している作家
であったりします。と言いながら、今回感想を書いたりしていますが。
最近のわたしの密かなる楽しみは、夏目漱石の千円札を集めることです。

敬太郎は須永という偏屈な友人から、事業家である叔父を紹介して
もらい、相当な地位を得ようと考えていた。須永は元より、こうして
いろいろな地位が得られるのを知りながら、それを断り続け何も行動
しない、なんとも奇妙な男なのだ。須永の叔父・田口は忙しい男で
一度は断りを受けたが、懲りずに訪ねたところ、面白い仕事を
紹介された。なんでも額にホクロのある男を、駅で待ち伏せし、
様子を報告しろと言うのである。まるで探偵のような仕事に緊張した
敬太郎は、占い屋へ行ってみたり、験を担ぐため蒸発した冒険男の、
不気味なステッキを持ち、行動を行ったりした。そして実際のところ、
ホクロの男・松本は、実は須永や田口と親類であり、松本と会っていた
女は、須永の許嫁であることが知れた。狐につままれたような敬太郎
だったが、今度は須永から許嫁・千代子の話を聞くことになるのだが……。

敬太郎で始まって、敬太郎で閉じてあるが、この本の主人公は、
須永であると言っても過言ではないだろう。どことなく『こころ』を
彷彿とさせる構成になっており、主人公敬太郎は、ほとんどが聞き手
である。許嫁・千代子についての須永の独白は、もはや圧巻としか
言いようがなく、なぜか結婚に踏み切ることのできない自分の心情、
窮屈な性格と、その性格を育んだ不穏な空気を、見事に描いている。
幼なじみであり、昔からの許嫁として過ごしてきた須永と千代子は、
当然結婚するものと誰しも考えていた。とりわけ須永(市蔵)の母は、
それに積極的であり、この婚姻も彼女の策略に違いないのだった。
しかし、市蔵は、千代子を結婚相手の女として見る事が出来ない。
結婚したくないが、彼女が誰かと結婚するのだと考えると嫉妬する。
だが自分と一緒になることによって、千代子は不幸になるに違いない、
と考えて病まないのだった。どうしてそのような内向的な思考になって
しまうのか。松本からもたらされる真実の話は、虚をつくようであり、
大変納得のいくようであり、泣き出したい気持ちであるのだった。
自分に原因のない、それを知るものだけがひた隠していた市蔵の秘密は、
市蔵の周りで、奇妙な形を描きながら、彼にまとわりついていたと知る。
その「因果」に苦悩する市蔵、またその恋模様、さすが夏目漱石
と言わせるそれがここにあると思う。また森本のところで語られる
娘の死についても、死を知ったときの悲しみの衝撃を懐かしむような、
言いようのない不確かな心持も、とても納得がゆき、心に響いた。
わたしは去年祖父を亡くしたが、死んだ祖父の肉体を見た衝撃よりも、
お骨になり、骨と化した祖父を見て安心したのをよく覚えている。
「いなくなって安心した」これもまた妙な表現である。そして、
そのわなわなと唇が震えるようだった、通夜の夜の激しい心の波を、
とても愛しく思った。

★★★★☆*90

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2008年10月18日 (土)

「三四郎」 夏目漱石

三四郎 (新潮文庫) 三四郎 (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
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久しぶりに再読しました。あぁ、やっぱり夏目さんいい。
私は願わくばこの堅苦しい文章の時代に生まれたかった。
来客があってすぐに茶を出さずにいることが可笑しい、
そんな疑問すら浮かばないだろう慣習に浸りたかった。

熊本の片田舎から上京した三四郎は、東京の大学に通い始めた。
都会には電車も走っているし、物価の単価も、田舎に比べたら
雲泥の差である。少しずつ馴染み始めたつもりであったが、
ただ一つ分からないことがあった。
知人を通して知り合った女・美禰子の心情である。
傍におり、不適に微笑む彼女に次第に恋心を抱く三四郎だったが、
その微笑の理由が、全くもって分からない。謎めく彼女との会話に、
自分はここではまだ迷子なのだと、三四郎は思う。

上にお茶のことを書きましたが、内容とはさほど関係がありません。
この本に書かれているのは、田舎者の主人公と、都会娘・美禰子との
絶妙なやり取りである。絶妙というのは2人の会話が、
というのではなくて、絶妙な雰囲気を夏目さんが描いてくれているのだ。
いつの時代でも、男は女の心を分からない……確かそんな
キャッチフレーズがこの小説にはついていた気がするのだが、
まさに、その女の謎めく雰囲気と、上京したての不安な青年の心を、
丹念に書き連ねている。そこには夏目さんらしい洒落っ気もあり、
はたまた当時直面している俄かな問題も、自然に表されていて、
ただ読むだけで、当時の風景画さらりと画に浮かぶようで、
毎度ながら、本当に秀逸な文章だと思った。だって、今の作家で、
これが出来る人あんまりいないと思いますよ。宮部さんくらいじゃ
ないですかね、背景を丹念に伝えてくれるのは。
さておき、この小説での見所はやはり「Stray Sheep」でしょう。
今では、何かに余韻を持たせて引っ張るという手法は当たり前ですが、
その原点は、この夏目さんのような作品にあるだろう。
美禰子が不敵に呟く「Stray Sheep」。主人公は意味が分からず、
けれどその意味を知ったとき、それはまるで自分のようであり、
その姿を浮き彫りにするのは美禰子の存在があってこそ知りえた
自分の象徴だと、気づくのだ。「Stray Sheep」、最後に三四郎が
呟くこの一言は、恋が台風のように過ぎ去った戸惑いのようでもあり、
自分が不確かなところに立っていると気づかされ途方に暮れている
ようでもあり、それを呟いた美禰子の姿が過ぎ去るとき、
そっと三四郎の心を掬ってゆくのだろう。まるで、知れず不敵に。
素敵な作品ですね、あぁ本当に生まれる時代を間違えたと、
私は思います。けれどまぁ、後世に残ったからこそ、
輝き味が染み出るという利点もあるのかもしれませんが。

★★★★☆*89

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2008年10月 7日 (火)

「門」 夏目漱石

門 (新潮文庫) 門 (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
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折角だから『三四郎』と『それから』を先に読めばよかった、と後悔。
夏目さんは中学高校と読み続けていたので、大抵の本は読んで
いるはずなのだが、『門』のラストのあたりは、はて、
どんな終わりだったかしら、といつも忘れてしまう。

宗助と御米は横丁の隅でひっそりと暮らしていた。
自ら何をするでもなく、ただ淡々と過ぎてゆく毎日。
しかし、今がここにあり、こうして細君が隣にいるだけで、
宗助は全ての自分の人生が尽きていると思うのだった。
自分たちは罪人である。町を転々として、ようやく落ち着いた東京の
隅であったが、風の噂を聞くなり不安になる。
全ては神経衰弱のせいであろうが、その神経衰弱の原因は、
自らと御米の過ちであった。誰も門は開けてはくれぬ。
入るなら自分で空けろと、人は言うのである。

あぁ、読み終わってから本当に後悔。なんで『三四郎』から
読まなかったんだろう……、まぁ、いいか過ぎたことだ。後で読もう。
この本は、夏目さんのいいところである、過去回想が『こころ』同様、
とてもいい感じに盛り込まれている。もちろん『こころ』の
右に出るものはないと思うのだが、この始めのページと、
それから最後のページを捲るときのページの重みの違いに、
いつも心が震えるのである。序盤、家の中でごろごろするばかりで、
どうにも役に立ちそうにない宗助は、ただのぐうたら人間に見える。
しかし読み進めるにつれ、彼のイメージはは略奪愛という
重苦しい罪悪感に苛まれる惨めな男へと変わってゆく。
さらには、そんな罪を犯す前の、至って紳士な彼の姿を見ると、
あの最初のシーンで縁側に蹲る彼の様子は、とても心苦しい。
気障で洒落た好青年が、神経衰弱のボロボロの男に成長する。
それは成長、と言っては可笑しいのかもしれないが、
その変化をもたらす御米との愛が、果たして本当に良かったのか、
とどうしても疑わずにはいられないのだった。
子どもの生まれない二人に下る天罰は、まだあるのだろうか?
宗教に縋りつつも拭えないその罪悪感は、
きっと死ぬまで二人の心に刻まれ続けるだろう。
二人は逃げに逃げ続けて、けれどふと疲れて立ち止まっては、
また歩き出し、その永遠に続くかと思われる懺悔の日々に
押し潰されて、いつしか自ら死を選ぶような気がしてならない。
この本は、そんな夫婦の姿を克明に描いている。
もしかしたら、この物語に続きはないのかもしれない、と。

★★★★☆*88

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2006年8月 7日 (月)

「坊っちゃん」 夏目漱石

坊っちゃん 坊っちゃん

著者:夏目 漱石
販売元:岩波書店
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このユーモアセンス凄いよな~・・・といつも感嘆。
だってさ、何年前に書かれたと思う、50年以上前ですよ?
50年・・・そりゃ著作権も切れるさ。笑
お金の価値観さえ変わってなければ、新作でもいけますね。

江戸っ子で勇み肌の坊っちゃんが、ひょんな事から田舎の学校の先生になる話。
曲がった事が大嫌い、喧嘩っ早くて、だけど演説大嫌い。
そんな坊ちゃんは田舎の生活で、信用できない人間関係の中で空回りする。
自分自身は子供に教える教師の立場であり、
その上教師の中での上下の関係にも挟まれる、
そんな環境にいきなり放り込まれた真っ向人間はこうなるよ、みたいな。
人間は本来、悪い事は悪いし、正しい事は正しいと生きるべきだけど、
世の中の慣習や地域の枠組みの中に入ってしまうと、
一挙に考えるべき事が増えて、一体どれが正しいのか判らなくなってしまう。
だけどいくら自分が痛い目に遭おうと悪いヤツには制裁を。
と、言うのがコンセプトかな。
いや~一円五銭でさえも返しちゃう、そんな坊っちゃんの江戸の心意気が心地よい。
「この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた」
まずは出だしのこの部分から、坊っちゃんの性格がよく判ります。
昔の江戸っ子ってこんな坊っちゃんのような感じだったんでしょうかね。
そしてやっぱり一番の見所は、最後の赤シャツと野だを懲らしめる所。
あの生卵はたまりません、なんたって食べようと思っていたのに投げちゃう。
悪党を懲らしめた感がたっぷりで大満足でした。笑
それにあだ名が面白い。
果たして50年前からこんな面白いこと考えられるものなのでしょうか・・・。
赤シャツだの山嵐だの狸だのって。
あだ名にする事に滑稽さが増すし、やっぱりキャラクターを想像しやすい。
正直すぎて疑う事を知らず、すぐ馬鹿をみる坊ちゃんも、
清の登場で心のやさしい部分もしっかり表現されている。
さすがはさすが、夏目さん。
この時代、語り手が主人公って珍しかったんじゃないだろうか・・・。
(夏目さんと川端さん位しか読まないから、何ともいえませんけども;)
「こころ」とは違った面白さ、コミカル重視の超名作、是非一度は。

*90

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