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2011年5月 9日 (月)

「シャガールと木の葉」 谷川俊太郎

シャガールと木の葉 シャガールと木の葉

著者:谷川 俊太郎
販売元:集英社
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あたり一面に「死」が満ち満ちている本だった。どこの詩だったか、
「詩は言葉では表現されない場所で姿を見つけてくれるのを待っている」
というような内容の詩があったが、見つけるも何もこんなにあふれていては
零れないように救い止めるのが大変で仕方がなかった、そんな本。

清冽な印象をたたえた全36編の詩集。
〈憎悪を理解しようとすること/それこそ愛のはじまりだ〉
伝えたい言葉があり、心にとどめたい詩がある。
さらに軽やかに描かれる、瑞々しい言葉の果実たち。
(Amazonより)

思いを文章で伝えるのは難しい。特にこうしたインターネット上の
無機質な文字体になってしまうと、それはそれは冷たく、だから、
谷川さんの詩集が電子書籍などであまり読まれて欲しくないなぁ、
なんて思うのだった。横文字で表された日本語からは、その隙間から
漂ってくる「詩」と(谷川さんに)呼ばれる部分が、すっぽりと抜け落ちて、
あるいは、違う形に変容して、伝わってしまうことだろう。
わたしはメールがあまり好きではない。いくら絵文字を使っても、
言いたいことが相手に伝わらないように、ただ隣に居てくれればいい、
それだけのことを伝えることが、どうも上手くいかないのである。
わたしもだけど、それはわたしに限ったことでなく、人間はへたくそだなぁ、
と思うのだ。それは人間が言葉を覚えてしまったことへの罰なのか、
あるいは、気持ちを具現化するための課題の途中なのか。
本の中身は、「死」を扱ったものばかりだった。谷川さんもお年を召され、
周りの同輩の方々も年を重ねて行くばかりだ。大事な親が、大事な妻が、
大事な友が死ぬたびに、谷川さんの紡ぐ言葉は、なんだか少しずつ
形を変えているように思う。人はいつか死ぬなんて、わかってはいるけれど、
けれど周りの誰かが順に亡くなってゆくと、「次はそろそろわたしの番
なのかしらん」と頭を過ぎるような、そんな詩であったように思う。
色んなことを「詩」として読んでいるのに、その隙間から漂っているのは、
「次はそろそろわたしの番なのかしらん」という、寂しさと心細さと、
でも大丈夫、という少しの強がりなのだった。それが一番に表れているのが、
「願い」であって、なんだかこの詩だけ飛びぬけたように生々しく、
『これが私の優しさです』で感じた時のような、鋭利な谷川さんの
心の叫びであるように思った。もう来るなと言っても、来て欲しい。
言葉では上手く伝えられない思いである。

★★★★★*90

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