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2011年5月

2011年5月31日 (火)

■雑談:遭遇率

明日は映画の日で激混みだろうなあ……と思って、
本日ナイトショーで映画『ブラック・スワン』を観てきた。
時間ないとかいいながら、何やってるんでしょうな。

感想は後ほど。
久々に鏡を見るのが怖くなった映画だった。笑
ナタリー・ポートマンの迫真の演技はとてもよかった。
しかし映画としていいか、って言われると、うーん。
理由は、感想で後ほど。

そう言えば東宝のシネマイレージが貯まって、
2回分タダで観られるはずなのだが、
ついつい貯めてしまい、いつ使おうか迷うところである。

松山ケンイチの『うさぎドロップ』ででも使うかな……。

***

帰り道、公園を横切ったら、何かの撮影をやっていて、
いつものルートで帰れなかった。
つい先日、阿部寛を生で見かけたばかりだが、
今度は何の撮影だったんだろう?

これだけ映画やドラマをやっているのだから、
東京のどこかしらで撮影しているはずで、
でもそれにしては遭遇率が低い気がする。

わたしだけかしら。

いつもきてくださり、どうもありがとうございます。

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2011年5月29日 (日)

■雑談:今日に辿り着くと知らない無敵のイメージを思い出してみる

しばらくライブにも行けそうにないので、
やることはたくさんあるのですけど、現実逃避して、
雑多なものを整理していました。
まさに現実逃避以外のなにものでもありませんな。

今までにわたしの人生に楽しさを加えてくださった
皆さまのいろいろなもの。
心より感謝申し上げます。

201105292332000

・左側 : the HANGOVERSのセットリスト(09/03/03@千葉LOOK)
・中央 : つばきのセットリスト(08/12/31@高円寺CLUB LINER)
・右上 : つばきのセットリスト(10/01/24@高松DIME)
・その他 : いろいろなサイン入りチケット

意外に中央下のウラニーノのサインはレアかもしれませんね。
 
つーか画像流出させんなよ、って怒られそうだな。
……ま、いいか。

※あ、削除願いいただければすぐ消しますので。

201105292348000

これもレアですな、FoZZtone全員揃い。
これしか持ってない気がします。
……というか彼らにはまともに話しかけに行ったことがないので。笑
こんなに観てるのに。気持ち悪いファンだと思われていることでしょう。
この日は地元栃木だったので、意を決して集めたのでした。
左より渡會さん、竹王、こっしー、キャノン。

201105300030000

こちらはa flood of circle勢ぞろい。……とは言っても岡庭さんが
いた頃にサインを貰ったことはなかったようだ、と気づきました。
そもそも彼らにはまともに話しかけに行ったことがなかったので。笑
FoZZtoneと同じく気持ち悪いファンだと思われていることでしょう。
これも2年弱前くらいのサインかと思いますが。
左上なべちゃん、左下佐々木さん、右下石井ちゃん。
右上のなんか変なのは、当時はやりの石井おばけちゃんです。

その他石井ちゃんについては膨大な各地名言(謎言?)集があります。
いろいろ書いてもらったね、どうもありがとう。

201105292340000

極めつけは、某一色画伯のイラスト入りの
つばきメンバーツアー前意気込み宣言集。
軽くピカソを超えていますな。
つばきのサインは怖ろしくたくさんあります。
どうやってとっておこうか迷うところです。どうしましょう。

 
 
 
さて、頑張りますかね、わたしも。
まだまだたくさんあるんですが、まぁ、
それは心にそっととっておくとします。

もう書いてくれたことなどすっかりお忘れかも知れませんが、
みなさんどうもありがとうございます。
今後もしっかり保管予定でございます。

今から、今日に辿り着くと知らない無敵のイメージを
思い出してみることにしようと思います。

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2011年5月28日 (土)

「女に」 谷川俊太郎

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なんだか物凄くやる気が出ないのだが、これは台風のせいに違いない、
とか暗示のように言い聞かせて、どうにか生きている今日この頃。
システム系の仕事に就きながらも、インターネットなんて生まれなければ
よかったのになぁ、とかテクノロジーを恨む根暗な女。「女に」

きりのないふたつの旋律のようにからみあう、
詩とエッチングの織りなす愛の物語。
(Amazonより)

短い詩集なので、だいぶ前に読み終わっていたのだが、感想を書く暇が
なくて今になり、ついでなのでもう一回読んでこの感想を書いている。
「女に」とタイトルにあるように、そこに愛する人がいることを前提
として描かれた詩たちだった。どれも短く5、6行しかないのだが、
しっかりと、男と女の一場面が描かれていて、詩は書くものではなく、
描くものだ、という強い認識を受ける本だった。たった5行で、
映画のワンシーンが作れそうだ。文字の羅列のすき間から、わたしたち
読者に送られる信号はなんとも感覚的で、しかし誰しも持ちえる感覚の
奥深くを言い当てられているものだがら、共感を得ながらも、読む人
それぞれの感情と風景画思い浮かぶ巧みな詩たちばかりであった。
特に好きだったのは「こぶし」と「川」という詩だった。この二つは、
この本の中でいえば対極に位置するような詩だろうと思う。「こぶし」
は物を使い投げつける女の感情が(というか女と言う性質を)「川」は
ただあなたに会いに行くそれだけの過程が描かれている。どちらもやはり
映画のワンシーンになり得るだろう。たった5行で。いつもは「孤独」や
「寂しさ」を漂わせている谷川さんだが、この本に限っては「あなた」がいる
というような、他人を慕う温かさを猛烈に感じた。愛情というやつでしょうか。
「女に」と贈られたようなタイトルになっているが「女と」とつけても良さそうな、
愛が溢れている詩集だった。その人への愛が自分にとっての何だったのか
を忘れそうになったときに読んだらいいだろう。「何だったのか」なんて
ことはわからずも、ともに死ねたら幸せだろうと思えるのではないか。
それにしても、佐野洋子さんの絵が絶妙である。

★★★★★*90

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2011年5月27日 (金)

5/27FoZZtone、a flood of circle@新宿LOFT

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5/27FoZZtone、a flood of circle@新宿LOFT

■セットリスト(FoZZtone)
(絶対間違っているので(出ないと思いますが)公式出たら直します。特に順番)

 白鯨
 Stone in the black boots
 音楽
 ???(新曲)
 NAME
 口笛男(新曲)
 レインメイカー
 エネミー(新曲)
 4D
 黒点
 ブランケット

■セットリスト(a flood of circle)
(絶対間違っているので公式出たら直します。特に順番)

 Hide & Seek Blues(新曲)
 フェルディナン・グリフォン・サーカス
 Sweet Home Battle Field
 シーガル
 Black Magic Fun Club 
 月に吠える
 Blood Red Shoes(新曲)
 Human License
 Miss X DAY
 プシケ
 ロストワールド・エレジー
 世界は君のもの

EN
 
 ロシナンテ

■セットリスト(バーステージ)
(絶対間違っているので(出ないと思いますが)公式出たら直します。特に順番)

 泥水のメロディ(渡會弾き語り)
 チワワ(渡會弾き語り、途中からキャプテン参加)
 Black sheep dog(渡會+キャプテン)
 よくわからないセッション1(キャノン+竹尾+渡邊)
 よくわからないセッション2(キャノン+竹尾+渡邊+佐々木)
 よくわからないセッション3(キャノン+竹尾+渡邊+佐々木+渡會)
 Knockin' On Heaven's Door/Bob Dylan
(キャノン+竹尾+渡邊+佐々木+渡會)

 
今日のわたしの最高潮は「Black sheep dog(渡會+キャプテン)」でした。
まったくもって本編じゃなくてすみません。

どうもありがとうございました。
3年以上FoZZtoneを観てきて初めて聴きました。
鳴りだしたとき一瞬なんの曲なのかわかりませんでした。
もう何回観に行ったのでしょうね、って感じなんですけれども
一回も聴いたことがなかったのです。一番好きな曲なのに。
どうもありがとうございました。

※MCはアバウトです

●FoZZtone

で、本編についてですが。
これまた久しぶりに「NAME」を聴きました。
あと「口笛男(新曲)」→「レインメイカー」の流れが、とても好きでした。
 
これまたこれまた久しぶりに前の方に行ってみたりしたので、
押しつぶされて仕方がありませんでした。
いやぁもう前で観るのは引退だね、とか思いました。

あぁ、初めてFoZZtoneを観た日はお客さんが一列しかいなかった……
などと頭を過ぎり、竹王氏の当時流行っていたコサックダンスを
思い出したり、当時の渡會さんの髪の毛はテクノカットで、
おばあちゃんのハンカチみたいなシャツを着ていたなぁ、なんて、
今日は白いシャツなどを珍しく着ているものだから考えたりしました。

いつしか古いタオルを持っている人もあまり見なくなって、
ファンも増えつつ、入れ替わっているのかしらん、と思いました。
けっして古株ぶっているわけではなくて、
何だか今日は時の流れのようなものを大きく感じて、
街頭演説みたいな渡會さんのMCと、ぎこちないキャノンの告知が
懐かしかったなぁ、とか思ったのでした。

脳は変わらないからね。
『細胞は一ヶ月ごとに入れかわるのよ。こうしている今でもね……あなたが
知ってると思ってるものの殆んどは私についてのただの記憶にすぎないのよ』

渡會「えー俺は天才なんですけども。この天才と凡人と雨男と、
あのギターヒーローでFoZZtoneをおおくりしております。
そうそう、今日は、この後出てくるロック好きの青年たち、
俺らもあっちもいろいろあったバンドたちですが、
この長い歴史の中での、初めてのツーマンライブです。
俺は「馴れ合い」つーのが嫌いなもんで、しっかり勝って帰ろうと思います。
まぁ俺は天才だから、その時点で勝ってるけどな。
なぁ、いつだって俺たちは敵同士、エネミーだったじゃないか」

『エネミー』

いつもありがとうございます。

***

●a flood of circle

やっぱりなべちゃん始まりいいね。

佐々木「今日は特別な日なので最後はきっちりしめて終わりたいと思います」
からの「ロストワールド・エレジー」→「世界は君のもの」
石井へ捧げるソングですか、な並び順で何だか動く事もできず、
じっと佐々木さんを見つめてしまいました。

98度の酒を煽ってからステージにあがったという「飲んだくれ」の演奏
でしたが、「ロストワールド・エレジー」→「世界は君のもの」は
別物みたいに輝いていて、心に響きました。

「Black Magic Fun Club」が久しぶりでしたかね。
ヒサヨさんになってから初めて?観たかもしれません。

最初はヒサヨさんの前で観ていたのですが、
男性陣がやはり多くて見づらくて中央に移動したら、
あばれ回っている人たちがいて見づらくて、結局また移動して右前へ。
曽根さんはまんまとスピーカーで見えず残念でしたが、
なんだかわたしの中でフラッドは右から観ると染み付いているので
(フォズもそうですが)安心する角度でした。

そう言えば、佐々木さんのMCからブラックが抜けて、素になりました。
「猫かぶり→ブラック→素」となりましたな。
「僕の経験上、どんどん悪い方向にいく」というようなことを
言っていましたが、ここの部分だけをとって言うなら、
わたしは今の佐々木さんの方がいいと思いますけれどもね。

佐々木「メンバー失踪からのアルバム発売したと思ったら
メンバー脱退っていうね。そのうち俺かなべちゃんが死ぬんじゃないかって」

渡邊「マジ、俺死にそう。最近咳がとまらねぇんだよ」

曽根「え、なべちゃんが咳してるとこ俺見たことないんやけど」

佐々木「俺も」

渡邊「それはいつも俺のことを見てくれてないってことですよ」

曽根「ちゃうて、ほんまに見たことあらへんで。なぁ」

佐々木「そうそう。俺もこれは放置しといてもいいパターンだなって」

楽しそうに笑っているように見えました。
いつもありがとうございます。

わたしにとってこれ以上ないゴールデンツーマンでした。
最後のバーステージは、なんだかもう可笑しくて可笑しくて、
笑って泣いて大変でした。
どうもありがとうございます。

もう一度両方のバンドに言っておきます、
どうもありがとうございます。

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2011年5月26日 (木)

■雑談:おくやみ

先日、児玉清さんが亡くなった。
『阪急電車』を読んだばかりだったので(児玉さんが解説を書いている)
なんだかとても大きな衝撃を受けた。

胃癌だったそうで、うちの祖父も同じくらいの年齢の時、
胃カメラを飲んだのだった、と思い出した。
祖父の病状はかなり進んでおり胃を全摘出し、
腸と食道を繋ぐ大掛かりな手術をした。

「今夜が峠だと思ってください」
というドラマのようなセリフをあのとき医者から聞いた。

その後祖父は9年生きたが、一昨年の夏亡くなってしまった。
「一度俺は死んでいるから」と言いながらも、
死ぬのが怖くてしかたがないようだった。
「今日はうちに帰れるのけぇ?」
と言ったのが病院での最後の言葉だったとか、母が言っていた。


どうでもいい話だが、下野新聞(栃木県のローカル新聞)を
Yahoo!で検索しようとすると、「下野新聞」の後ろに「おくやみ」
とついてくる。みんなよく検索するのだろう。

田舎の人間はよく新聞のおくやみ欄を見る。
父も毎日おくやみ欄は欠かさず読んでいたな、
とか思い出し、田舎の人間は死に敏感なのかしらん、と思ったりした。

私の友達の名も何回か載った。
病死だったり、交通事故だったりしたが、
なんだかわたしは葬式にやたらよく巡り合っている気がする。
そうして気づいたことだが、賑やかな葬式ほど幸せなものはない。
ということだ。

今日もまた一段と賑やかで素敵な会場だった。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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2011年5月23日 (月)

【映画】八日目の蝉

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久しぶりの映画だった。わたし映画好きなんだなぁ、と思った。
映画館で観る映画が。再生できるものがないので、DVDはほとんど
持っていないが、例えばDVDが出ているものでも、リバイバル映画館で
それがやっていたら、迷わずリバイバルを観に行く。それくらい好き。

赤ちゃんを抱え、私は走り出していた。
鍵の掛かっていない家から盗み出した、あの人の子ども。
本当は私が生むはずだった、赤ちゃん。胸に抱いたその顔を見ると、
私は幸福と言う波に襲われた。この子は私が育てる、
絶対に手放したりはしない。そう心に誓った。
本当は連れ出すつもりなどなかった。けれど泣き出した赤ん坊の
声を聞くうち、体は勝手に動いて、どうすることも出来なかった。
もう後戻りは出来ない。私は混乱する頭を抑え、
必死に逃げ、そして生き抜くことを考える。

3年前に単行本で原作を読んだわたしはこう書いている
「子どもを泥棒した女、そして四年後に無事家に帰された子ども。
この話を端的にまとめてしまうとこんな陳腐な言葉になる。
それはあまりに大事件過ぎて、真実味がないし、そもそも、
他人が理解できるような事件ではないからだ。けれども、
この本を読むと、読者は恐ろしい感覚を味わうことになる。
自分も赤ちゃんを盗むかもしれない、と思い始めるのだ。」
しかし、映画では、その部分がとても薄くなっていた。
話の重点は「恵理菜」視点で進められ、小説の第一部であった
希和子は回想形式で登場する。内容は誘拐事件によって
バラバラになってしまった家族と、そんなバラバラの家族に
育てられた誘拐された子どもの成長についてだ。恵理菜は千草
という元・宗教団体の女性と共に、過去誘拐され過ごしていた
場所を巡ってゆく。記憶を取り戻すと同時に、恵理菜自信も
不倫関係の男性との子供を妊娠していることについて考えてゆく。
自分を誘拐した犯人のように、子どもを下ろすのか、それとも
シングルマザーとして育てるのか……。そして、憎んでいたはずの
誘拐犯の愛情を思い出し、涙する。子どもを生むことにする。
と、いうストーリーになっていた。ある意味原作とまったく別物であった。
わたしは第一部の子どもを「誘拐してしまう心境」を実体験する
ような描写に脱帽したのだが、脚本家の奥寺さんが推したのは、
第二部の女同士の共感にポイントを置いたようだった。
不倫して人の夫を取ろうとした女は、堕胎して子どもの出来ない体に
なるのは当然の天罰で、その女は「がらんどう」なのだ、と恵津子は
言いつのる。しかし実際にその立場になった娘・恵理菜は、
それに歯向かうのだ。うーん。なんだかあからさまに「がらんどう」
「がらんどう」言いすぎじゃないのか。あと「八日目の蝉」についても。
何度も話され、なんとなくわざとらしい気がする。とても真摯に
作られた映画であることは分かるのだが。この作品のどこに重点を
置くかでこんなにも変わるんだな、と思う一方で、わたしの脱帽した
部分は薄くなっていたので、どうも残念だった。しかし、本当の親
よりも、子どもが欲しくて欲しくてでも出来なかった他人の方が
子どもを愛してくれる、というのはとても心に響いた。
願わくばずっと、誘拐されていればよかったのに、と。
それにしても永作さんと小池さんの演技は完璧だった。なにも
言うことがない。小池栄子に回ってくるあの奇妙な役たちは、
きっとすべての人間の期待に違いない。今回もとても奇抜な役だった。
そうそう、エンドロールの「角田光代」見逃しませんでしたよ。
書いた側の角田さんからしてみれば、「そうか、わたしの物語の
よさはこちらの面からもあったのか」と思っているのかしらん、
などと僭越ながら考えてみたりした。

★★★☆☆*85

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2011年5月22日 (日)

■雑談:映画館

久しぶりに行きました。
地震があってから初めてですな。
観たのは勿論『八日目の蝉』。
感想は後ほど……なんか、まあ、あれでした。

井上真央のわざとらしい演技がなんとも言えない感じで。
個人的な好みなのかもしれませんが。

それにしても永作さんと小池栄子は恐ろしいなあ。
なんなんだあの小池栄子の気持ち悪さ(良い意味)。
他の誰も真似できないよ。
映画『接吻』を思い出した。
いつも変人役多いね、笑
どれも気持ち悪くて最高だ。

いつも来てくださりどうもありがとうございます。

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2011年5月19日 (木)

■雑談:いつも、に意味がある

特別だ、と言ってから寄ってくる人は、
その「特別」に惹かれているわけであって、
わたしに「寄ってくる」ことに惹かれているのではない。
言わないとわからないとよく怒られるが、
言えるほどあなたはわたしの近くにいつもいないじゃないか。

やり仰せたら褒めてつかあさい。


いつも来てくださりどうもありがとうございます。

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2011年5月17日 (火)

■雑談:生きてます

最近、ちょっとしたワタクシ事で「わっ」となる事件が起きたため、
本を読んでいる時間がなくなってしまいました。

この先もしばしなさそうな予感……。
いや、読みますけどね、勿論。未だに夏目漱石再ブーム中。
あぁそして映画みたい……『八日目の蝉』涙。

「わっ」となったのですけど、
「わっ」となると同時くらいになんだかラッキーみたいな気分になって、
我ながらそうか、自分はそう思って生きていたのか、とか思いました。

いつ何があるかわからないから、人生って楽しい。

……とか言えるようになりたい。
ラッキーと思っただけマシかしら。

いつも来てくださり、どうもありがとうございます。

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2011年5月12日 (木)

■雑談:映画観たい症候群

うっかりしていたら、地震が起きてから
映画を1本も観ずに2ヶ月経ってしまいました。
早いものです、、。

昨日、思い出したかのように

584 11.05.11 ★★★★☆*89 「実験4号」 伊坂幸太郎、山下敦弘

をひっぱり出し、伊坂さんを読んでからの、
山下さんのDVDを深夜2時までかけて観てしまいました。
「あぁやっぱり映像はいいなぁ」と。
俄然映画が観たくなりました。

とりあえず「八日目の蝉」は観なければ、だな。

***

そう言えば探し物をしていたら、
段ボールの中から怖ろしい枚数の写真が出てきました。

その上、現像していない使い捨てカメラが4、5個も出てきて、
なんだか「あぁ……」としみじみ眺めてしまいました。

主に写真は高校生のわたし、でしたが、
だいぶよく笑う少女だったようです。
(今は何故こんななんでしょう……!)

何が撮られているかわからないカメラを現像してみるのも、
面白いかもしらん。まだ余ってるので埋めなきゃだけれども。

そう言えば、父親が某大手カメラ製造部門にいたことがあった。
そう言えば、わたし大学の時写真部だった。

とか、重要そうなのに、すっかり忘れていた事を思い出した。
そうそう、わたしは写真部だったんです。

でも、本のが好き。

いつも来てくださり、どうもありがとうございます。

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2011年5月11日 (水)

「実験4号」 伊坂幸太郎、山下敦弘

実験4号 実験4号

著者:伊坂 幸太郎,山下 敦弘
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


だいぶ前に入手していたのに、見ないまま今になっていた。
この本(?)は「小説→映像」と見るか、「映像→小説」と見るかで
大きな違いを生む作品だろう。そう言う意味でのタイトル『実験4号』
と取ってもいいのかもしれない。ちなみにわたしは「小説→映像」

「実験4号 It's a small world」※映像の方
舞台は今から100年後、温暖化のため火星移住計画の進んだ地球――。
地球温暖化を恐れた人間たちは、火星にへのロケットが開発されると、
次々にロケットに乗り込み、移住していった。地球に残された人間は、
ほんの一握りとなり、校長兼教諭のシマ子先生のこの小学校は
全校生徒3名であった。生徒はアビちゃん、ハル、しんちゃん、の
3人の男の子だ。けれども、火星に住んでいる父を持つアビちゃんは、
次のロケットで火星に行くことが決まっていた。明日はアビちゃんの
卒業式、兼、送別会だった。過疎化の進む地球上での別れは、
「寂しさ」はないのか? 普段どおりに進むやんちゃな3人の生活は
だんだん終わりに近づいてゆく。「みんな、ありがとう」

読書本の方に感想を書いてしまうけど、わたしは山下さんの映像の
方が心に響いた。この映像、気づいた方がいるかわからないが、
音楽が一切なかった。聴こえるのは、下手くそな中年バンドの
練習音だけだ。(その下手くそな中年バンドについての内容は、
伊坂幸太郎の小説の中に書かれているのだが)わたしはまず伊坂さんの
『後藤を待ちながら』を読んでから山下さんの『It's a small world』
を観た。設定は共に「舞台は今から100年後、温暖化のため火星移住
計画の進んだ地球」となっているので、伊坂さんの小説を読んだこと
により、その背景設定がより飲み込めた。火星へのロケットは半年に
1回飛ぶこと。移住計画が進み、「東京」に人がまったくといって
いいほどいないこと。ロックが廃れつつあること。小学校には
先生が1人と用務員が1人と生徒が3人しかいないこと。その後観た
『It's a small world』はだからその土台があってなりたった、
『It's a small world』であったと言ってもいい。だから、もしも
小説よりも先に『It's a small world』を観ていたとしたら、
火星へのロケットは半年に1回飛ぶこと。移住計画が進み、
「東京」に人がまったくといっていいほどいないこと。ロックが
廃れつつあること。小学校には先生が1人と用務員が1人と生徒が3人
しかいないこと。などがわからず映像を突きつけられたわけで、
だからもっと違った感想を得ただろうと思った。伊坂さんの小説は
単独で読むと何だかとても虚しい気分になる。重要と推される会話が
どれも誰かの言葉のであるからだ。(THEピースの)引用だらけの
文字群に、小説を目的として読んだ人間にとっては、伊坂味が伺えず
なんだか空振りを食らった感じだった。けれども、山下さんの
『It's a small world』を観てからは、文字の、文章の、意味・重要性
というものを突きつけられた気がした。読んでいて知っていたから、
得られた感情の多さに驚いたのである。まぁそれを差し引いても、
『It's a small world』はとてもいい映画だった。別れ際、淡々と
こなす別れの作業。そこには寂しさを失った子どもであるようで、
しかし、残っている僅かな感情がそわそわと動き出しどうしても、
「みんな、ありがとう」しか言えなくなる胸の詰まる思いを、
最大限に表現していた。映像は凄いなぁ、と思った。それは、
「小説→映像」にしたからかもしれない。「映像→小説」をやったら
小説は凄いと思い、終わったかもしれない。どちらを先にみるか。
最大の選択である。それこそ『実験4号』と呼ぶんだろう。

★★★★☆*89

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2011年5月10日 (火)

■雑談:号泣する準備はできている

『号泣する準備はできていた』という江國香織の本があるのだが、
このタイトルは非常に秀逸だと思う。
「今までに読んだ本の中で耳に残るタイトルベスト5」に入るな。
まぁ実は江國さんはあまり得意ではないのだが……。
(本の中身は恋愛で失敗し泣く女ばかりが出てきた気がする)

『号泣する準備はできていた』とは、
要するにとても哀しい思いをするとわかっているのに、
より哀しい方へと笑いながら進んでいくことだろう。

「号泣」または「歓喜」するためには、それ相応に
自分をいじめつくすことが重要だから、最後まで怠ってはいけない。

最後に思い切り、歓喜し号泣するために。

いつも来てくださりどうもありがとうございます。

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2011年5月 9日 (月)

「シャガールと木の葉」 谷川俊太郎

シャガールと木の葉 シャガールと木の葉

著者:谷川 俊太郎
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


あたり一面に「死」が満ち満ちている本だった。どこの詩だったか、
「詩は言葉では表現されない場所で姿を見つけてくれるのを待っている」
というような内容の詩があったが、見つけるも何もこんなにあふれていては
零れないように救い止めるのが大変で仕方がなかった、そんな本。

清冽な印象をたたえた全36編の詩集。
〈憎悪を理解しようとすること/それこそ愛のはじまりだ〉
伝えたい言葉があり、心にとどめたい詩がある。
さらに軽やかに描かれる、瑞々しい言葉の果実たち。
(Amazonより)

思いを文章で伝えるのは難しい。特にこうしたインターネット上の
無機質な文字体になってしまうと、それはそれは冷たく、だから、
谷川さんの詩集が電子書籍などであまり読まれて欲しくないなぁ、
なんて思うのだった。横文字で表された日本語からは、その隙間から
漂ってくる「詩」と(谷川さんに)呼ばれる部分が、すっぽりと抜け落ちて、
あるいは、違う形に変容して、伝わってしまうことだろう。
わたしはメールがあまり好きではない。いくら絵文字を使っても、
言いたいことが相手に伝わらないように、ただ隣に居てくれればいい、
それだけのことを伝えることが、どうも上手くいかないのである。
わたしもだけど、それはわたしに限ったことでなく、人間はへたくそだなぁ、
と思うのだ。それは人間が言葉を覚えてしまったことへの罰なのか、
あるいは、気持ちを具現化するための課題の途中なのか。
本の中身は、「死」を扱ったものばかりだった。谷川さんもお年を召され、
周りの同輩の方々も年を重ねて行くばかりだ。大事な親が、大事な妻が、
大事な友が死ぬたびに、谷川さんの紡ぐ言葉は、なんだか少しずつ
形を変えているように思う。人はいつか死ぬなんて、わかってはいるけれど、
けれど周りの誰かが順に亡くなってゆくと、「次はそろそろわたしの番
なのかしらん」と頭を過ぎるような、そんな詩であったように思う。
色んなことを「詩」として読んでいるのに、その隙間から漂っているのは、
「次はそろそろわたしの番なのかしらん」という、寂しさと心細さと、
でも大丈夫、という少しの強がりなのだった。それが一番に表れているのが、
「願い」であって、なんだかこの詩だけ飛びぬけたように生々しく、
『これが私の優しさです』で感じた時のような、鋭利な谷川さんの
心の叫びであるように思った。もう来るなと言っても、来て欲しい。
言葉では上手く伝えられない思いである。

★★★★★*90

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2011年5月 8日 (日)

「羊をめぐる冒険 上」 村上春樹

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫) 羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

著者:村上 春樹
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


そう言えば「1Q84 BOOK3」予約してまで買ったのに、読んでなかったや。
と思ったら急に村上春樹が読みたくなって、本当は「ダンス・ダンス・ダンス」
を読みたかったんだけど、でもやっぱり「ダンス・ダンス・ダンス」読む
なら、ひつじさんから読まなきゃなぁとかいう流れで、この本でございます。

昔の友人の葬式に出た後家に戻ると、部屋には妻がいた。正確に言えば
一ヶ月ほど前に離婚した妻だ。荷物を取りに来たのである。彼女は
少しの挨拶を残し早々に部屋を出て行ってしまった。彼女の出て行った
部屋には、彼女のものは何もなかった。衣類もレコードも本も。アルバムの
中さえ、僕を残し、すべての「彼女」が切り取られていた。元々そこに
彼女なんていなかったかのように、僕の過去は修正された。僕は数ヶ月後に
仕事の関係で、とある女の子と知り合いになった。彼女は、特別な「耳」を
持っていて、僕はその不思議な魅力に引き寄せられたのだった。彼女と
時間を過ごしていると、彼女は突然言った。「今から少しすると電話があるわ」
僕は困惑した。「ひつじのことよ」数分後、部屋には僕の相棒から電話が
かかってきた。「どうせひつじのことだろう」と言うと、空気が張り詰めた。
「なぜ知っているんだ」僕はひつじをめぐる冒険に出ることになった。

なんだかんだ言って村上春樹の本は、大学生の時に全部制覇した記憶がある。
全部読んだことがある、と言いながら、しかも実はハルキストなんて、言い
ながら、実際のところ村上春樹がなぜそこまで世の中に持て囃されるのか
イマイチよく分かっていなかったりする。わたしの頭には難解すぎるのだ。
これがもし、わたしが男だったら、「ハードボイルド」な感じに共感を得て、
それだけで楽しみが増えるのかもしれないが、考えてみて欲しい、
新刊が出るたびに、その本の「読解本」なる本が様々な出版社から発売され、
「え、あの一行にはあんな意味が?!」「そうかだからあれがそれで……」
と言った、「トリックの種明かし」的な事後談を聞く鈍感者の身を。
それを読むたびにわたしは、なんともげんなりした気分になり、自分の中で
得たはずの感情、および、感想が、ことごとくちっぽけで、方向違いである
ように感じるのだった。ということからして、こういった感想についても、
きっと「読解本」なる本がどこかで出版されていて、わたしはそれと
まったく違ったところを賞賛し、あるいは楽しみを十分出来ないまま、
褒めそやしているのではないか、などと愚な考えが先に浮かび、だから
実際のところ村上春樹がなぜそこまで世の中に持て囃されるのか、イマイチ
よく分からないのだった。内田樹先生の「もういちど 村上春樹にご用心」
がこの間出たので、だからそれも読もうか読むまいか迷うところである。
で、感想が押し押しになったが、村上春樹を読んでいて感じるのは、
なんだか自分の人生どうでもよいという気分になる、というものだ。実に
馬鹿馬鹿しい感想だが、本当にそうなのである。この主人公「僕」に
おいても、その僕の「人生」はうっちゃっている。投げやりである。
もうなんでも自分では「どうしようもない圧力」によって封じられ、
今までの人生はもはやなかったも同然の趣がある。しかも羊のために。
馬鹿馬鹿しく、それでいて「やるしかないしょうがなさ」みたいなものが、
本全体に蔓延していて、だから読んでいるこちらとしても、主人公と
同じく人生をうちゃってしまう時が来るかも知れないし、でもそれは、
なんだか「必然」でやってくるんだから、やるしかないんだよね。という
気持ちになる。それってもしかして、「ハードボイルド」ってヤツなんで
しょうか? こんなに本を読んでいるけど、よく「ハードボイルド」の
定義がわからんし。だからそう、とてもいい意味で、村上春樹の本は、
なんだか今の自分の人生がどうでもよいという気分になる、のであった。
だって、次、何起きるかわからんじゃんか。である。やれやれ。だ。

★★★★☆*87

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2011年5月 7日 (土)

「吾輩は猫である」 夏目漱石

吾輩は猫である (新潮文庫) 吾輩は猫である (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


久しぶりに読んだ。こんな話だったんだなぁ、と自分の記憶を残念に思う
と同時に、人間のとりとめのない日々をよくぞこの視点で書いたな、と、
脱帽感服である。「死」を意識すると同時に、「生きている」という、
ただそれだけで滑稽な人間と言う存在を客観的に感じることは安心を得る。

漱石の処女作であると共に、一躍その名を高からしめた代表作でもある。
苦沙弥先生に飼われる一匹の猫にたくして展開される痛烈な社会批判は、
今日なお読者の心に爽快な共感を呼ぶ。
(Amazonより)

「吾輩は猫である。名前はまだない」あまりにも有名なこの文句は、本を
あまり読まないにわか読書家でも知っている言葉の一つであろう。わたしも
この冒頭の句はとても印象に残っていて、それと、金田のおばさんが
苦沙弥先生を尋ねてくるあたりまでは良く覚えているのだけど、つい、
後半に向かうまでの流れを忘れてしまい、どんな話しだっけなぁ……
となるのであった。今回読み直して分かった事だが、この本にストーリー
などと言うものはほぼないと言って差し支えない。だから内容を覚えていない
のである、というのもかなり強引だが、本の中身で一貫した出来事と言えば、
金田の娘を誰が貰うか、というただその一点のみである。その他泥棒に
ついても一応の完結はあるものの、苦沙弥先生の元へは迷亭やら寒月やら
珍妙な客ばかり訪れ、話を蹴散らかし、話題をアサッテに飛ばして帰って
ゆくので、西洋美学の話をしていたと思いきや、金田のおばさんの鼻の
芸術性なんかを神妙に論議し始めたりする。中でも一番面白いのは、
なんと言っても泥棒に遭ったときの、細君とのやりとりである。
「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」
「いくらするか」「山の芋のねだんまでは知りません」
「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、
いくら唐津から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
最高に笑える一こまである。滑稽極まりない。どうでもよい日常が、
人間には流れており、そのどうでもよい時間に何か意味を持たせようと
頑張っている様子を、「はなはだ滑稽だがしかし生きているからには、
何かしなくてはならんのだ」と客観視する余裕派な正論が、読み手を冷静にし、
「何もせず(できず)にいるのは自分ばかりではない」という安心と、
少しの心地よい焦燥を得ることが出来る。それにしても、「十一」で
繰り広げられる、未来予言なる言葉は、見事に的中しているようで、
読みながら生唾を飲み込むような思いだった。千年経ったら、死亡理由は、
すべて自殺になるに違いない。けらけら笑われるように語られる、
その予言は、今や現実に近づきつつある。「個性」「個性」と言われ、
「個」を大事にするばかりで、自殺が増え、夫婦は成り立たなくなり、
離婚が増えるだろう、と。今の世はまさにそれではないか。
インターネットなどと言う人間の愚の産物を見た夏目漱石は、なんて言う
だろう。やっぱり「馬鹿野郎」だろうか。こんな世の中でも、願わくば
ありがたいありがたいと思いながら死にたいものである。

★★★★★*91

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2011年5月 6日 (金)

■雑談:恩

脱力病、あるいは虚脱病。
そんな病気があるなら、きっとわたしは
だいぶ前からそれに感染しているに違いない。
おそらく高校生くらいのときからである。
先日読んだ内田先生の『下流志向』のニート予備軍のごとく、
その一派を確実に体内で養成している自信がある。

でも極限に落ち込んだとき、なんか知らんけど天啓は降りてくる、
というのも、あながち間違いではない気もする。

最近、古い曲を聴きながしながら考えている。
a flood of circleのテンポの速い『ブラックバード』とか、
FoZZtoneの『shuni-Hum-Yoro-Kobiwo』とか。
なんだかもう聴くのも照れくさいつばきの『東京の空』とか。

焦り、そして何も考えていないのに、涙が流れる。
ライブはあんなに楽しいのに、ライブで泣くなんてことは、
まぁありえないくらいの自分なのに、わたしはCDを聴いて泣く。
しかも歌詞とはあまり関係のなく。
バンドへの思いやりとは別格で。
しかし彼らの音楽が、わたしの涙を誘う要因であることは、
やっぱり彼らの音楽が好きだと言うことにどこかで繋がっているとは思う。

でも、好きだから泣いているのではない。
ある意味、泣いているから、好きなのである。
ややこしい人。

今日はまた恩をいただいてしまった。
返さねば返さねば、と思う恩ばかりが積み重なり、
わたしはそれを避けるように遠回りする。

そう言えば、ぜんぜん話が飛ぶけど、
そろそろ20万打のようだ。
記事もいつしか1,000ページを超えて、5年目もそろそろ終わりに近づく。
およそ本が580Pの映画が80Pのライブが200Pの、
そしてくだらない雑談が100Pくらい。

いつも来てくださり、どうもありがとうございます。
お時間のある際は、これからもよろしくどうぞ。

その恩をもいつしか返せればと。

明日から篭ります。

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2011年5月 5日 (木)

■雑談:ただいま

東京に帰ってきました。

のんびりしようと思っていたのに、
ガーデニング用品の買出しに連れまわされ、へとへとな日々でした。
なにがゴールデンなのか、という疑問がときおり頭をかすめるほどの
重労働ぶりでした。あぁ無常……と嘆きたい。

20110505_3   

園芸ショップで買ってきたひまわりをお持ち帰り。
今年は上手く咲かせることが出来るかしらん。
これ種できる種類なんだろうか? ようわからん。

***

帰りに玄米を5キロ貰って帰ってきました。
さらっと書きましたが5キロって相当重いんですけどね……。

田舎で米は籾殻つきで収穫されているので、
『精米機』なるものが、町中に(突然)あって、
それでもって、『玄米』or『白米』をつくるのです。
籾殻つき米を機械に投入 → 『白米』の度合いのボタンを押す
→ 『玄米』もしくは『白米』に精製され、機械から出てくる。
都会の方にはさっぱりわからないでしょう……。

ちなみに、田舎では『玄米』はかなり劣化な食べ物です。
なんで美味しい『白米』にできるのに、わざわざ『玄米』にするんだ。
と、農家の大多数の方々は思っているに違いありません。
(だから流通も少ないから、都会では値段が高い)

『精米機』のボタンひとつで決まるのに。

今日はさっそく玄米ごはんを炊飯中。
水加減をよく調べないで白米どおりに炊いてしまったので、
出来上がりが不安なところ。

ま、大丈夫っしょ。

いつも来てくださりどうもありがとうございます。

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2011年5月 1日 (日)

■雑談:本日弟の誕生日です、がそれとは無関係に実家に帰ります

GWとか言いながら、暦どおりの出勤で、
ぜんぜんゴールデン感が得られない残念な心境ですが、
明日から実家に帰って連休感を得ようと試みます。

地震があってから二ヶ月近くたっていますが、
1度も実家に帰っていないので、
どんな惨事になっていることやら、心配なところ。

というわけで、数日更新が滞るかと思いますが、
田舎は暇以外のなにものでもないので、
それはそれはよい読書ができることでしょう。

みなさま、よい休暇を。

***

ちなみに弟には、「united arrows green label relaxing」と、
「URBAN RESEARCH」で服を買った。
毎年「TAKEO KIKUCHI」だったので、趣旨替えしてみた。
「URBAN RESEARCH」は友だちの会社が作った服を卸しているので、
もしかしたらそうだったりして、とか思わなくもなく。

ド派手な、感じにしました。
プレゼントはこれくらい派手じゃないとねぇ、春だし。
まぁ、弟からお返しを貰ったことは過去1度しかありませんが、
毎年懲りずにあげ続ける甲斐甲斐しい姉を演じております。

それにしても残念な日に生まれたもんだ。
GWのど真ん中。誰も祝ってくれない日ランキング上位だろうね。

いつも来てくださりどうもありがとうございます。

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