« ■雑談:一番好きな野菜はピーマンです | トップページ | 「デュラララ!!」 成田良悟 »

2011年4月21日 (木)

「螢川・泥の河」 宮本輝

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫) 川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

著者:宮本 輝
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


何度目かわかりませんが、再読です。最近、五月雨読み(勝手に自分で
そう言っているだけ)が復活しました。大体5、6冊を中途半端にぐるぐる
読みまわすのが一番本を早く読み終わる方法だったりします。ある意味
飽きっぽい残念さと、ストーリーを暫く絶対に忘れない特技な面がある。

「泥の河」
戦後間もなくの昭和三十年大阪。川べりにあるうどん屋の息子・信雄は、
ある時一人の少年と知り合った。小学二年生であり信雄と同じ歳であったが
学校には行っていないと言った。見慣れないその少年の家は、川に浮かぶ
粗末で小さな船だった。少年に招かれ船に入って見ると、中の部屋は狭く
なにもない。飲み水さえも甕にため、つつましやかに生活していた。
少年・喜一と姉の銀子と仲良くなるなか、信雄は不思議な思いを抱える
ようになった。喜一の人懐っこく、しかしどこかがおかしかった。
信雄の入った部屋とは別に、船には薄い壁を挟みもう一つの部屋があった。
壁の向こうからは、少年の母親のかすれた声だけが聞こえてくる。
その甘い空気に奇妙にも惹かれる信雄だが……。

これまた前回同様よくわからないあらすじになったが、まぁ短いし読んだら
いいのではないでしょうか。(なんて投げやりな)一番最後に読んでから、
実に3年も経っているので、少しは感想が変わったかしら、と期待したの
だけれども、まったく同じような感情を得て残念な気分になった。宮本さん
の本は(わたしにだけかもしれないが)とりあえずその土地・年代の空気が
まったく漂ってこないのである。話の主題である「ポンポン船」の息子
と主人公とのやりとりで得られる、どこかハキハキとしてしかしどす黒い
現実というのは大変よく伝わってくるのだけれども、それらの物語の背景
(「背景」とは素の意味で、部屋や店やその他の物品から漂う物語性)が
まったく感じないのだった。単に描写が今ひとつのところで足りないのだ
と思う。川べりのぐちゃぐちゃした泥んこになる部分からどのようにして
船に辿り着けるのか。船はどのような色で、中はどうだったのか。喜一や
銀子が着ている服は、どのように粗末だったのか。信雄の店は、どのような
店だったのか。(間取りの説明すらない)もはや平成で育ったわたしとしては、
「戦後間もなく」と言われても、それがどのような状態なのか体感して
いないため、宮本さんが伝えたいだろうことが、どこか欠落した状態で
伝わってくるのだった。わたしでこんななのだから、平成生まれの子どもに
この本を読んで何を思うかと言われてもまずポンポン船のことから話さねば
ならないし、このような背景の薄さで、今後も語り継がれる物語か、と
聞かれると、疑問が浮かぶばかりだった。まるで北村薫の『鷺と雪』の
ような違和感と、賞の選考委員の方々の自分の世代への嵌りっぷりが、
どうも虚しく思え後世に残る物として(わたしは)考えられないのだった。
「今の若い子の考えることがわからない」とその世代の人間が嘆くように、
今の若い子どもたちにとっては、説明のない謙譲のない過去には嘆きたく
なる。感覚だけを表現した文章で知らない人間を嘲笑うのではなく、
丹念に言葉を並べ過去を教え伝える方をわたしは支持したい。

★★★☆☆*85

------------------------------------------------------------------
*過去の感想文(2008/2/20)

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫) 川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

著者:宮本 輝
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

デビュー作にして受賞作。しかも太宰治賞と、芥川賞。
当時はさぞ話題になったことでしょう。
しかし、私はどうにも好きになれずにいます。
私の理解力不足なのか、それとも一度では伝わらない描写が欠点なのか?

「泥の河」
昭和三十年大阪。うどん屋の息子である信雄は、
ある時一人の少年と知り合った。その少年・喜一の家はと言うと、
近くの川沿いに泊まっている小さな船だった。
喜一に招かれ、船に行ってみると中は部屋は酷く狭かった。
そして二つに分かれた部屋の、もう一つからは、
喜一の母親の甘い匂いが漂ってくる。
その空気に信雄は惹かれ、けれどなぜ自分が惹かれるのかを知れなかった。

あらすじがよくわからなくなったけど、まぁいいや。
私はこの本があまり好きではない。
と言いながら、もう三回は読んでいるのは、
きっとどこかにもう一度読みたいと思わせる魅力があるのかも知れない。
けれども、それが何であるか分からないのは、
私の理解力が不足しているから、というのが現状である気がする。
そんな私が気にかかる事の一つは、賞を二つもとった作品という事で、
それだけで読者が手放しで褒めすぎているように思う点。
この本の特徴として、イメージに頼っている、という癖がある。
冒頭やシーンの文頭にくる「昭和三十年大阪」「雨が降っていた」
という文に注目して欲しい。これは読者にイメージを植え付ける、又は
引き出させる文である。これを読むことによって読者に
「昭和三十年の大阪か~こんな雰囲気だろう」と思わせるのだ。
しかし、私は昭和三十年にまだ生きていなかった。
おまけに大阪にはUSJにしか行った事がない。(事実です。笑)
という風になってくると、果たしてこの効果は生きるのか?と思える。
もっと言うなら、賞の審査員さんは、近しい昭和を生きていたわけで、
想像できてしまうんですね。だから、効果的に見えるものも、
こうして時間が立って読んでみると、そうでもない、と思えなくもない。
もう一つは、こんな小学二年生の男の子が、
女性の「性」について、興味を示すのか?という点。
確かにスカート捲りなんかだったらわかる気もしますが、
性的なことに興味が湧くような心理構造に成長しているのか分からない。
「蛍川」でも小学生の時に「少女のお尻の穴に指を入れた」などの
描写があるけれど、これもちょっと頷きがたい気もする。
それから最後に一つは、全てを「希望」を目的にしている点。
人が死んだり、とっても貧乏で苦しいというシーンが幾つも出てくるが、
最後のシーンでは「そんな人にも微かな希望があるさ」的な感じに、
なっていて、どうも好きになれないのである。
以上、私がこの本をどうも好きになれない理由でした。
と言いつつ、数年後にはきっとまた読んでるんだろうなぁ、と思いますよ。

★★★☆☆*83

|

« ■雑談:一番好きな野菜はピーマンです | トップページ | 「デュラララ!!」 成田良悟 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/126354/10650845

この記事へのトラックバック一覧です: 「螢川・泥の河」 宮本輝:

« ■雑談:一番好きな野菜はピーマンです | トップページ | 「デュラララ!!」 成田良悟 »