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2011年4月 3日 (日)

「草枕」 夏目漱石

草枕 (新潮文庫) 草枕 (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
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洒落すぎて難しいから、もう少し簡単に書いてくれたら、いい本なのに。
本文中の3割くらいの意味がわからなかった。なぜなら漢文、漢詩、俳句、
当時の醍醐味、などがだらだらと無意味に羅列されていたりして、わたしが
その意味を知らないからだった。なんだ自分のせいじゃないか、と嘆く悔しさ。

小説についてもそうだが、絵を画にしても重要なのは人間ではない。
人間の心の移り変わりなどを主にするのではなく、ただただ流れゆくときを
描写することが大切なのであり、それは山や花や川といった自然を
ありのままに書き写す事だ。かの中国の漢詩などは、みなそうではないか。
もし人間についての描写する場合でも、ただそこの背景に人がたまたまいる
のであって、余が彼らについて思っている事柄を絵に含める必要はないのだ。
絵を描くため田舎に逗留することに決めた余は、一軒の家に世話になる
ことにした。そこには少しばかり変わった女がおり、大変魅力的ではあるが、
余が絵にしようと思うには、何かひとつ欠けているのだった。山々を
巡りながら、女の奇行を何度も目にしながらも、必死に自然を追い求めるが…

掌から何かをとりこぼしたかのような悔しさは、自分の知識のなさにある
と同時に、自分しかわからなくてもいいや、と他を配慮せず書かれた雰囲気
のある本だった。中には、漱石自身が気に入っていると思われる漢詩や、
洋画家の絵についてが、穏やかな農村を背景に、だらだらと語られており、
芸術の醍醐味とは、こういうことなのではないか、と確かに納得して
しまいそうな趣ある心地のよい間延びであった。まるでカンヌ映画賞を
狙って作られたフランス映画のような。そう言えば、語られている
洋画家のひとりに、ジョン・エヴァレット・ミレイがあるが、わたしも
とりわけミレイの「オフィーリア」が好きであるため(大学の論文も
書いたし、美術館も何度か観に行っている。かなり好きである)
そう言えばその時にこの本を読み返したな、と思い出した。なぜ、あの
物語の中から、この死体の部分を選び絵にしたのか。はなはだわたしも
疑問であるが、あの圧倒的な描写を見ているだけで、「何かある」と
思ってしまう。夏目漱石もそう思ったのか、自分も納得のいく死体の絵を
描きたいなどと語っている。全体にわたって景色や自然物の描写が多く、
「これは小説ではない」としつこく念を押しながらも、しかしこうして、
ときおり人間の心が滲み出る。その瞬間がとても面白く、どうでもいい
非人情と言い合う会話が、それこそ滑稽な舞台の脚本のセリフのようで、
やっぱり人情じゃないか、と笑ってしまいそうだった。何しろ、「余」が
描いてもよいと思った女の絵は、「大切な人との惜別の憐れな表情」だった
のだから、ますます人情である。汽車に乗った久一は、日露戦争に向かうが、
それが当たり前の如く描かれている。いや、汽車という二十世紀の悪の産物
により、こことは切り離された世へと久一を連れ去る、という表現とも
とれるだろうか。現実は不治の胃病に苦しみ、そして戦時が待ち受ける。
そのような、ごたごたした乱世を描くよりも、本当は、本当に存在したかった
世界は、とて、描いた本かもしれない。汽車が悪の産物と捉えた夏目漱石が
今もし生きていたとしたら、何を思っただろう。東京は地下も地上も、
網の目の線路で埋め尽くされているこの世界は、嘆かわしいものだろうか。

★★★★☆*86

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