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2011年4月

2011年4月30日 (土)

■雑談:2011年4月に読んだ本

■2011年4月に読んだ本(12冊)
(年間通してはこちら →*読了本(580)

580 11.04.27 ★★☆☆☆*78 「夜をゆく飛行機」 角田光代
579 11.04.25 ★★★★☆*86 「どちらかが彼女を殺した」 東野圭吾
578 11.04.22 ★★★☆☆*84 「デュラララ!!」 成田良悟
577 11.04.21 ★★★☆☆*85 「螢川・泥の河」 宮本輝 (再読)
576 11.04.19 ★★★★☆*88 「ある微笑」 フランソワーズ・サガン
575 11.04.17 ★★★★☆*86 「阪急電車」 有川浩
574 11.04.15 ★★★★★*91 「下流志向」 内田樹
573 11.04.13 ★★★☆☆*82 「恋するように旅をして」 角田光代
572 11.04.10 ★★★☆☆*81 「太陽のパスタ、豆のスープ」 宮下奈都
571 11.04.05 ★★★★☆*86 「モルグ街の殺人・黄金虫」 エドガー・アラン ポー
570 11.04.03 ★★★★☆*86 「草枕」 夏目漱石
569 11.04.01 ★★★★☆*87 「これが私の優しさです」 谷川俊太郎

■2011年4月に行ったライブ(2本)
(年間通してはこちら →*ライブ(セットリスト一覧)

003 11.04.23 ★★★★★*90 FoZZtone@赤坂BLITZ
002 11.04.06 ★★★★☆*86 a flood of circle@渋谷O-EAST

FoZZtone@赤坂BLITZ、大変楽しかった。
何度もいうけど。どうもありがとう。なぜ好きだったか思い出した。
お陰さまで、3年目にて『黒点』買いました。
そろそろ聴きはじめて5年目、観始めて4年目になるFoZZtone。
これからも過剰に期待しています。

「下流志向」 内田樹、が面白すぎて、右に出るものはいない、
な1ヶ月でした。今一番講義を受けてみたい教授です。
でも関西なんですよねぇ、しかも今は大学もセキュリティが高く
なってきてるでしょうから「モグリ」なんて出来ないだろうな、とか。笑

ちなみにうちの某大学は「モグリ」し放題でしたけどね。
ちょっとやそっとじゃバレやしません。
電子学生証が必要なのは、図書室とPCルームだけでしたからね。

とかなんとか、5月も張り切っていきましょう。
作家の傾向がマンネリ化してきたので、
お気に入り作家を見つけたいところ。
お薦め本随時募集中。

いつもきてくださり、どうもありがとうございます。

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2011年4月28日 (木)

■雑談:収集癖

わたしはどうも収集癖がないようである。
独占欲もあまりないようである。

と、思ったのは、CD、本、の持っていなさ加減からである。
こんなにライブを観ているのに、わたしは持っていないCDが
嘘のようにたくさんあるのだ。

先日観たFoZZtoneのライブが大変良かったので、
(ライブの感想はこちら → 11.04.23 FoZZtone@赤坂BLITZ
『shuni-Hum-Yoro-Kobiwo』をまた聴きたくなったのだが、
『shuni-Hum-Yoro-Kobiwo』が入っている『黒点』のCDを持っていなかった。
……と、気づいた。

ライブで何度も聞いているし、特徴的な歌詞だから、
すっかり曲を覚えてしまっているが、実はCDを持っていなかったのである。
「あぁ、そう言えば買ってなかった気がする」である。
申し訳ありませんでした、某FoZZtone様方。

というわけで、本日某タワーレコードに問い合わせた。
しかし「在庫なし」とのこと。「とにかく都内にはありません」とのこと。
「辛うじて梅田店にあるかもしれません」とのこと。
「しかし弊社では店舗間の輸送は行っておりません」とのこと。
梅田まで取りに行くのか?!800円のCDを?
サービス悪っ。

そんなこんなで、某HMVオンラインショッピングを初めて利用した。
すらすらと注文が進み、「配送準備中」に。
あんまりオンラインショッピング使わないのだけど、楽ちんなんだね。
こりゃ買っちゃうわ、と思いつつ。
「あ、一緒にFoo Fightersの新譜頼めばよかった」とか。

特定の収集癖がない分、自分の「欲しい」と渇望した物が「ない」
と言われると、俄然ほしくなる性質なのかも知れない。

今はとてもFoZZtoneの『shuni-Hum-Yoro-Kobiwo』を聴きたい。

 
いつも来てくださり、どうもありがとうございます。

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2011年4月27日 (水)

「夜をゆく飛行機」 角田光代

夜をゆく飛行機 夜をゆく飛行機

著者:角田 光代
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


今年角田さん3冊目?結構なハイペースで読んでおりますなぁ。通算、
おそらく35冊目(感想書いていないものも含)この方何冊本を出されて
いるのでしょう……東野圭吾のそれを数えるのも怖いし、森博嗣のそれを
数えるのも怖いのですが、まぁあるだけ全部読むことでしょう、いずれ。

里々子は谷島酒店の四姉妹の末っ子である。長女の有子は嫁に行き、
次女素子は合コンに明け暮れる、三女琴子は大学生で、里々子は高校生、
何の変哲もない日常をおくっていた里々子たちであったが、ある日を
堺に、一家の様子は変わり始めた。ぼんやりと大学生をしていた琴子が
小説を書き新人賞に選ばれたのだ。家族中で大騒ぎしてお祝いをしたものの、
その小説に出てくるのは、紛れもなく谷島酒店一家の平々凡々とした、
事実の羅列なのであった。過去の駆け落ちを暴露された有子は激怒したし、
里々子も家族の事が知れ渡るのが恥ずかしくあった。しかも有子は、
その小説を読んだ事によって、不倫を始めた。里々子は受験した大学すべて
に落ちた。琴子はソムリエになるといい始め、父は店を改装すると言い
はじめる。母は入院した祖母の看病でやつれ、一家はまとまりをなくした。
そして里々子はアルバイト先で恋に落ちるのだが……。

『空中庭園』系。とても苦手である。なぜなら、まったく現実味がないから、
である。四姉妹という時点で角田さんの描写的に許容オーバーな気もし、
おまけにミハルおばさんや、ぴょん吉、松本、と言ったよくわからない
役割の人物が多々出てきて、それでいて話があまりにのっぺりとしている
ので、読んでも読んでもページが進まない感じがした。いなくなった人の
物語、というのもわからなくもないのだが、それでいくと、ぴょん吉、
ミハル、祖母、と3人もの死者が出てきて、そんなに必要だったのか?
と思わなくもない。ところどころに輝く角田光代的な映えた訴えも、
ぐちゃっとした家族構成で、「薄らぼんやり」になってしまったように思う。
死んだ弟をぴょん吉といい回想するポップな感じ、コミカルな姉妹の様子、
はもう少しなんとかスリムに纏めたら、主人公・里々子にとっての
感受性の変化、成長、を描けたように思うのだが、その部分は何の
方向性も定まらぬまま、終わってしまい、ちょっと残念だった。もちろん、
日常を切り取ったような生活、というのもわかるのだけれど。それなら、
もう少し現実味ある感じで書いた方が、設定が生きたように思えてならない。

★★☆☆☆*78

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2011年4月26日 (火)

■雑談:とりあえず

退院おめでとう。

http://blog.tsubaki-net.com/?eid=1046222

「根拠はないですが出来ると思います」
いままでもこれからも、分かち合いたいんだから、できますよ。

いつもありがとうございます。

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2011年4月25日 (月)

「どちらかが彼女を殺した」 東野圭吾

どちらかが彼女を殺した (講談社文庫) どちらかが彼女を殺した (講談社文庫)

著者:東野 圭吾
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


おーさすが東野圭吾である。あーやっぱり東野圭吾である。東野圭吾を
読むたびに思うのだが、このもやもやした気持ちをどう伝えられよう、
と悩むばかりである。まるで教科書のような。まるで読者がどう思うか
すべてを知り尽くしているかのような。あるいは上り詰めた頂点であるような。

和泉康正は数日前の妹との電話の内容が気になり、彼女の様子を見るため
上京することにした。妹・園子のマンションに着いてみると、呼び鈴を
鳴らしても何も反応がなかった。不審に思った康正は、合鍵を使い中へ
入った。園子はベッドに横たわり、――そして死んでいた。布団を捲ると
パジャマの中に電気コードのような物が繋がっているのが見えた。さすがに
服をめくる気力はなかったが感電死したのは明らかのようだった。横には
タイマーらしき物がセットしてある。康正は警察官という職業柄
冷静さを取り戻すと、この部屋の不審な点を探し始めた。部屋を見渡すと
何かがおかしいのである……。しかし、このままでは園子は「自殺」として
処理されてしまうのが目に見えていた。そして康正はある計画を考え始めた。
他の人間の手は借りず、自分で犯人を探し当てること。園子の部屋の冷蔵庫
には、園子の友人と、「J」という人物の電話番号が書かれていた。康正は
さっそく犯人を割り出そうと状況の推理を始めるのだが……。

文庫で読んだのだけども、単行本で読むことを大いにお勧めします。以下、
ネタバレ含みますので、本書をお読みになった上で読まれた方がよいかと。
「袋とじ」と呼ばれる推理の手引きなるものには、右利きか左利きか、
というところが大いにクローズアップされているが、正直、本編最後の
数行部分にある「どちらでもよかった」的な主人公の描写で「ごもっとも」
と思ってしまっていたので、本当に「どちらでもいい」と思った。そもそも
中盤から、共犯ではないか、説が出てくる時点で、なんとなくもっと愛憎劇
が必要ではないか、とか思ってしまうのだった。だって、容疑者は最初から
最後まで2人しかいないので、「彼」「彼女」「2人で」の3パターンしか
答えがないのは当たり前なのである。しかも「彼」「彼女」は、園子から、
同等の憎しみを受けている。同じ理由で。寝取った女が殺したか、
浮気した男が殺したか、どちらもありがちで、なんとも動機の重さに
かけるような気がしてならないのだった。それはなんだか、「東野ミステリ」
という、なんだかよく分からない物語に、人が踊らされているように見える
からかもしれない。主人公・康正についても「妹を殺された恨み」よりも、
「犯人が誰かを突き止める」の方にかなり傾いており、人間味的なものが、
まるでないのだった。例えば何度も妹の部屋に行けば、思い出の一つくらい
思い出しそうなものだが、彼は何も思い出さない。黙々と事件のチェックを
するばかりである。勿論犯人を突き止め、復讐するという念はとても
よくわかるし、ありがちだし、読みやすいし、受けやすい内容だが、そう
したスタンダードから来る(むしろわざとスタンダードにしたというべき)
「推理」としては、何となく煮え切らないのだった。煮え切らないまま、
どちらでも犯行可能な状態、どちらかが頷けば犯人確定、というような、
なんとも微妙な進行は、面白さよりも、「で、どっちなの?」という、
結果だけを知りたがって、周りを見落としているような感覚に陥る上
これまた主人公・康正のような感情になり、疲れ果て「どちらでもよかった」
と思うのだった。そう言う意味ではとても主人公の気持ちを理解できる
小説ではないか!と思わなくもないのだが。いかんせん、狙いはそこではない。
タイトルが『どちらかが彼女を殺した』なのだから。最後読み終えてみると
「どちらかが彼女を殺したみたいだが、まぁどちらでもいい」
気分になる小説とでも言っておこう。これ単行本読まないと犯人特定でき
ないんじゃ?とか思いつつ、犯人は彼女です。それとそう、加賀シリーズです。

★★★★☆*86

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2011年4月24日 (日)

■雑談:昨日は豪雨でしたが、

今日はこんなに天気がいいのに引きこもりです。
まぁやりたいことがあるので、よしとしますが。

感想が遅れましたが、一冊読み終わりました。
久しぶりに電撃文庫です。

578 11.04.22 ★★★☆☆*84 「デュラララ!!」 成田良悟

なんだか電撃文庫もネタ切れか、と思わなくもない本でした。
うーん……。垣根涼介の『ヒートアイランド』や、
石田衣良の『アキハバラ@DEEP』を思い出したりしました。
でもどれもあまり(それぞれ違った意味で)成功しているようには
(個人的には)見えず。まずそもそもなぜ少年がギャングに走るのか
や、ネットの現状を奥深くまで噛み砕いてから書くべきなのでは、
と思ったりしました。例え、軽い物を書くライトノベルであったとしても。

と、毒舌はこのへんにし。

***

これまたライブに行かないと言いながら、
FoZZtoneのワンマンライブに行ってきました。
大変いいライブでした。
本のようにもし★をつけるなら、

003 11.04.23 ★★★★★*90 FoZZtone@赤坂BLITZ

でした。
どうもありがとう、大変楽しかったです。

20110424

昼飯。
なすとひき肉のトマトソースパスタ。

いつも来てくださりどうもありがとうございます。

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2011年4月23日 (土)

4/23FoZZtone@赤坂BLITZ『Lodestone Tour 3 "to the NEW WORLD"』

20110423

4/23FoZZtone@赤坂BLITZ『Lodestone Tour 3 "to the NEW WORLD"』

■セットリスト
(絶対間違っているので、もし公式出たら直します。特に順番)

 白鯨
 4D
 Stone in the black boots
 猿飛 → TWILIGHT → 猿飛
 茶の花
 in the sky
 JUMPING GIRL
 school
 黒点
 レインメイカー
 海へ行かないか
 slow flicker
 Jaguar in the stream
 エネミー(新曲)
 HELLO,C Q D
 音楽
 ロードストーン

EN1

 口笛男(新曲)

EN2

 shuni-Hum-Yoro-Kobiwo

ライブに行かない、行かない、と言いながら、行ってしまいました。
友だちがペア券を余らせていたので、便乗して入りました。
もしそれがなかったら、観に行かなかったと思いますが、
とてもいいライブでした。
観に行ってよかったと久しぶりに、FoZZtoneで思ったライブでした。

今日のダントツは『HELLO,C Q D』
間違いない。
大変格好よかった。
何かを乗り越えた者しか出来ないだろうあの演奏。
いろんな「口笛男」や「海へ行かないか」「ロードストーン」のように
迷いに迷ってがいてもがいて、その先に行きついた者にしか。
重苦しい曲調ながらも、強烈な感情の肌触りと、
どこか突き抜けたような清々しい印象を創りあげていた。

そう言えば、キャノンと渡會さんのポジションが違って大変観づらかった。
というのもいつもキャノン前(右)で観ているので、右に行ってみると、
明らかにマイクスタンドは渡會さんのものであり、ギターも右に
置いてあった。嫌な予感がしたが、まんまとキャノンは渡會さんの
陰になり、見えなかった。まぁいいのだけど、たまには渡會ドまん前も。
あんまりそんなところで観ないので……(去年のエープリールフール
イベントでドまん前だったくらいかしら。あれは気まずかったすみません)
2回目のアンコールの時に、左側に行ったら、とてもよく全体が見えた。
うーん、もう少しドラムを左にして欲しかったよ。

それにしても竹尾ソロ、あれはなんだったんですか?笑
あの白ジャケットはわざわざそのためにご準備なされたのでしょうか。
歌謡界のプリンスみたいでしたけれども。
舞台袖でにやにや顔を歪め合うキャノンと渡會氏。
超絶技巧は素晴らしいので、惚れ惚れする手さばき(音さばき)なんですが
あの服装とあの陶酔したような表情を見ているだけで
笑いが止まらなくて大変でした。すみません。
どうして周りの皆さんが笑わずにいられるのか、
不思議でしかたありませんでした。どうもすみません。

あと、「新曲です、エネミー!」と去年の4/23に歌い始めたエネミーは、
こちらも大変笑いを堪えるのが大変なおかしな歌詞でしたが、
(俺の中のエネミー、エネミー、エネミー、消し去るのさエネミー?とか)
今回はぐっと変更されていていい曲になっていました。普通の曲に。
あの去年のエネミーの衝撃はすごかったなぁ。
今日はMCで渡會さんが「いわくつきの新曲をやります、エネミー」でした。
「いわくつき」です。俺のエネミーですからね。

いろんな「俺のエネミー」を乗り越えたようなライブでした。

 
※どこかのMC(アバウトです)

渡會「みんなこの時期いろいろ思うことがあると思うけども、
俺からも一つ重大なことを告知しておこうと思う。
俺は……………天才です」

観客「(笑)」

渡會「そして俺の後ろにいるヒゲの男は……ただの凡人です」

渡會「そしてその隣に居る帽子をかぶったダンディな男は……雨男です」

渡會「それからあの今一番遠くにいる、いつもギターキッズとか、
ギター少年とか言われているあの男は……ただのこどもです」

渡會「みんな知ってたか、俺は天才なんだよ」

渡會「おっと、俺たちの他にお前たちの紹介を忘れていたな。
俺はお釈迦様だから、お前たちは俺の手のひらの上で転がされている
ようなものだ。じゃそんな曲を」

『猿飛』

※どこかのMC(アバウトです)

渡會「今地震でみんな騒いでいて、いろんなミュージシャンが
募金とか集めたりして、いろいろ騒いでいたりするけど、
そんな中、われわれフォズトーンも考えました。
そして出した結果は、何もしないということです。
それは俺たちの音楽が、地震で騒いでいないどんな時でも、
辛い時でも悩める時でも楽しい時でも、どんな時でも音楽をやる
ということは変わりはないからです。だから地震があったとしても、
なかったとしても関係ない。ツイッターとかでいろいろ
明るいことを言ってみたりしたし、俺自身も考えることはあったけど、
でもどんな時でも音楽をやるという事には変わりはないから、
だから、次の曲も変わりなくやりたいと思います」

『海へ行かないか』

渡會「あと音楽なんてクソだからな」

渡會「知ってると思うけど、音楽なんてクソみたいなもんなんだよ。
最高で最強で、そしてクソなんだよ。
みんな期待しすぎんなよ。わかってんだろみんな」
 
 
何もしないと言いながら、律儀に説明をし、
そして『海へ行かないか』を歌った渡會将士はとても格好よかった。
説明をする、と言うことで「何もしない」ということが成り立っていない
矛盾がとても彼らしく、また演説調で何かを語り、
「誰かをいい方向に変えたい」と放ち続ける様子がとても懐かしかった。
そうかわたしはFoZZtoneのそれが好きで観始めたのではなかったか、
と思ったりした。そして『shuni-Hum-Yoro-Kobiwo』ねぇ、ここで。
駄目押しの。

『ロードストーン』も人のための曲になった、と思った。
迷える(わたしたち?)人たちの。
去年の冒頭の『ロードストーン』歌詞はまったく違った。
「俺のロードストーン」と歌っていた人が、
4Dで「お前を変えるんだよ」と言葉を選んだ(ようになった)事が嬉しく、
また今まで観てきたすべてのライブは間違いではなかった、と思った。

いつもありがとうございます。
過剰に期待しておきます。

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2011年4月22日 (金)

「デュラララ!!」 成田良悟

デュラララ!! (電撃文庫 (0917)) デュラララ!! (電撃文庫 (0917))

著者:成田 良悟
販売元:メディアワークス
Amazon.co.jpで詳細を確認する


おー久しぶりに電撃文庫!なんでこの本を読もうと思ったのかすっかり
忘れてしまいましたが、図書館の予約本を取りに行ったら入っていたので
はて……、まぁ読んでみるかしらん、と。軽い気持ちと、久しぶりの
ライトノベルの感触に期待。『ヒートアイランド』よりも面白かったな。

竜ヶ崎帝人は、高校入学を機に田舎から東京にやってきた。初めて歩く
大都会・池袋は、それはそれは大きな衝撃を彼に与えた。街には
溢れんばかりの人でごった返している。そんな光景を見ながら、
つくづく自分ひとりではここにいる事は出来なかっただろうと思った。
池袋には帝人の幼なじみの正臣が住んでおり、今日も街を案内してもらう
約束だった。人を避け街を進みながら、正臣は「関わってはいけない
敵に回してはいけない、アブナイ人物」について警告をはじめた。
池袋界隈のカラーギャングを初め、様々な個人名があがる。その中には
謎の黒バイクの人物と、『ダラーズ』という謎の組織も含まれていた。
話をしているうち、早速帝人と正臣は謎の黒バイクの人物・デュラハンと
街で遭遇するのだが……。

先日読んだ垣根涼介の『ヒートアイランド』も池袋だったので、
なんだよまた池袋かいな、と思いながら読んだので、ちょっと
斜に構えた部分があるかもしれない。ライトノベルにしては文字が多く、
しかしそれでいて読みやすい若向けの感じを出しており、そう言う意味
では、ライトノベルの中にも文学的な何かを埋め込まれていたような
気がした。中盤までの謎が、読み進めるうちに一つずつ明らかに
なっていく様は、とても面白く、なるほどここで繋がるのね、と
リンクの面白さを感じた。(ある種伊坂幸太郎的?)特に『ダラーズ』の
支配者が、なんとあの人だった、という部分には、おぉ!、となり、
だけど、その人が主観の章でのなよなよした性格からは微塵も想像できず、
どうも別キャラクターにしか思えなかった。今時の若者は、裏表があり、
これこそが、と言われれば、「ネットの恐怖的なもの」を感じないわけ
でもないのだけれども。ならば、最後までイザヤに主導権を握られず、
支配者であり続けてほしかったなぁ、とか思ったりした。ネット上では
絶対的な主導者として、むしろ面割れしない方が、面白さが増したように
すら思った。これ続きあるのかしら。でも読まないと思う。
個人的にこのストーリーに中毒性を感じない。

★★★☆☆*84

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2011年4月21日 (木)

「螢川・泥の河」 宮本輝

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫) 川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

著者:宮本 輝
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


何度目かわかりませんが、再読です。最近、五月雨読み(勝手に自分で
そう言っているだけ)が復活しました。大体5、6冊を中途半端にぐるぐる
読みまわすのが一番本を早く読み終わる方法だったりします。ある意味
飽きっぽい残念さと、ストーリーを暫く絶対に忘れない特技な面がある。

「泥の河」
戦後間もなくの昭和三十年大阪。川べりにあるうどん屋の息子・信雄は、
ある時一人の少年と知り合った。小学二年生であり信雄と同じ歳であったが
学校には行っていないと言った。見慣れないその少年の家は、川に浮かぶ
粗末で小さな船だった。少年に招かれ船に入って見ると、中の部屋は狭く
なにもない。飲み水さえも甕にため、つつましやかに生活していた。
少年・喜一と姉の銀子と仲良くなるなか、信雄は不思議な思いを抱える
ようになった。喜一の人懐っこく、しかしどこかがおかしかった。
信雄の入った部屋とは別に、船には薄い壁を挟みもう一つの部屋があった。
壁の向こうからは、少年の母親のかすれた声だけが聞こえてくる。
その甘い空気に奇妙にも惹かれる信雄だが……。

これまた前回同様よくわからないあらすじになったが、まぁ短いし読んだら
いいのではないでしょうか。(なんて投げやりな)一番最後に読んでから、
実に3年も経っているので、少しは感想が変わったかしら、と期待したの
だけれども、まったく同じような感情を得て残念な気分になった。宮本さん
の本は(わたしにだけかもしれないが)とりあえずその土地・年代の空気が
まったく漂ってこないのである。話の主題である「ポンポン船」の息子
と主人公とのやりとりで得られる、どこかハキハキとしてしかしどす黒い
現実というのは大変よく伝わってくるのだけれども、それらの物語の背景
(「背景」とは素の意味で、部屋や店やその他の物品から漂う物語性)が
まったく感じないのだった。単に描写が今ひとつのところで足りないのだ
と思う。川べりのぐちゃぐちゃした泥んこになる部分からどのようにして
船に辿り着けるのか。船はどのような色で、中はどうだったのか。喜一や
銀子が着ている服は、どのように粗末だったのか。信雄の店は、どのような
店だったのか。(間取りの説明すらない)もはや平成で育ったわたしとしては、
「戦後間もなく」と言われても、それがどのような状態なのか体感して
いないため、宮本さんが伝えたいだろうことが、どこか欠落した状態で
伝わってくるのだった。わたしでこんななのだから、平成生まれの子どもに
この本を読んで何を思うかと言われてもまずポンポン船のことから話さねば
ならないし、このような背景の薄さで、今後も語り継がれる物語か、と
聞かれると、疑問が浮かぶばかりだった。まるで北村薫の『鷺と雪』の
ような違和感と、賞の選考委員の方々の自分の世代への嵌りっぷりが、
どうも虚しく思え後世に残る物として(わたしは)考えられないのだった。
「今の若い子の考えることがわからない」とその世代の人間が嘆くように、
今の若い子どもたちにとっては、説明のない謙譲のない過去には嘆きたく
なる。感覚だけを表現した文章で知らない人間を嘲笑うのではなく、
丹念に言葉を並べ過去を教え伝える方をわたしは支持したい。

★★★☆☆*85

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*過去の感想文(2008/2/20)

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫) 川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

著者:宮本 輝
販売元:筑摩書房
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デビュー作にして受賞作。しかも太宰治賞と、芥川賞。
当時はさぞ話題になったことでしょう。
しかし、私はどうにも好きになれずにいます。
私の理解力不足なのか、それとも一度では伝わらない描写が欠点なのか?

「泥の河」
昭和三十年大阪。うどん屋の息子である信雄は、
ある時一人の少年と知り合った。その少年・喜一の家はと言うと、
近くの川沿いに泊まっている小さな船だった。
喜一に招かれ、船に行ってみると中は部屋は酷く狭かった。
そして二つに分かれた部屋の、もう一つからは、
喜一の母親の甘い匂いが漂ってくる。
その空気に信雄は惹かれ、けれどなぜ自分が惹かれるのかを知れなかった。

あらすじがよくわからなくなったけど、まぁいいや。
私はこの本があまり好きではない。
と言いながら、もう三回は読んでいるのは、
きっとどこかにもう一度読みたいと思わせる魅力があるのかも知れない。
けれども、それが何であるか分からないのは、
私の理解力が不足しているから、というのが現状である気がする。
そんな私が気にかかる事の一つは、賞を二つもとった作品という事で、
それだけで読者が手放しで褒めすぎているように思う点。
この本の特徴として、イメージに頼っている、という癖がある。
冒頭やシーンの文頭にくる「昭和三十年大阪」「雨が降っていた」
という文に注目して欲しい。これは読者にイメージを植え付ける、又は
引き出させる文である。これを読むことによって読者に
「昭和三十年の大阪か~こんな雰囲気だろう」と思わせるのだ。
しかし、私は昭和三十年にまだ生きていなかった。
おまけに大阪にはUSJにしか行った事がない。(事実です。笑)
という風になってくると、果たしてこの効果は生きるのか?と思える。
もっと言うなら、賞の審査員さんは、近しい昭和を生きていたわけで、
想像できてしまうんですね。だから、効果的に見えるものも、
こうして時間が立って読んでみると、そうでもない、と思えなくもない。
もう一つは、こんな小学二年生の男の子が、
女性の「性」について、興味を示すのか?という点。
確かにスカート捲りなんかだったらわかる気もしますが、
性的なことに興味が湧くような心理構造に成長しているのか分からない。
「蛍川」でも小学生の時に「少女のお尻の穴に指を入れた」などの
描写があるけれど、これもちょっと頷きがたい気もする。
それから最後に一つは、全てを「希望」を目的にしている点。
人が死んだり、とっても貧乏で苦しいというシーンが幾つも出てくるが、
最後のシーンでは「そんな人にも微かな希望があるさ」的な感じに、
なっていて、どうも好きになれないのである。
以上、私がこの本をどうも好きになれない理由でした。
と言いつつ、数年後にはきっとまた読んでるんだろうなぁ、と思いますよ。

★★★☆☆*83

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2011年4月20日 (水)

■雑談:一番好きな野菜はピーマンです

20110420_1

適当に作ったら美味しかったキャベツとカニカマのサラダ。
昔ケンタッキーのコールスローそう言えば大好きだったな、
とか思い出した。(今もあるの?)
「マヨネーズ+砂糖+酢」いいコンビネーション。

20110420_2

冷蔵庫の中は、気がつくと大量のピーマンと茄子で
埋め尽くされている。おそらく重症なピーマン中毒である。
数日前の写真と同じようだな……と思いつつ、
今日のは味噌炒めなので、別物。
時間があったらピーマンの肉詰めを作りたかった。

今日は久しぶりに電撃文庫!
中途半端に読んである本が6冊……。
あぁ調子戻ってきたかも。
4月中に6冊終わることを願いつつ、そろそろ5月。

家の中で内田さんの『こんな日本でよかったね』捜索中。
どこへいったやら。

いつも来てくださりどうもありがとうございます。

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2011年4月19日 (火)

「ある微笑」 フランソワーズ・サガン

20110419_2

図らずしも執筆順に読んでいたようだった。この本は読んだことなかったな。
あとがきの翻訳者、朝吹さんの文を読んで、あぁ17歳って、綿矢りさ、
みたいな感じだったんだろうな、と思ったりした。まぁ中身は比較するのも
申し訳ないのでしないけれども。人の期待、という重圧はそれはそれは重い。

ドミニックは大学にベルトランという恋人を持っていた。そして彼女は
ベルトランが自分をとても好いていることを知っていた。ある日、
ベルトランの伯父、リュックとその妻フランソワーズと会食をすることに
なった。ベルトランはリュックをよく思っていないようだったが、
ドミニックは彼の顔を見た瞬間に、ある感情を覚えた。
わたしたちは同じである、性質がとても似ているのである、というものだ。
同じく近寄ってきたリュックと共に、ドミニックは本気ではない恋であり、
不倫ではない、似たもの同士が寄り添うのだ、と称して彼と一週間の旅行に
出かけることにした。けれども、リュックを知ってゆくうち、自分はやはり
似ているだけではなくリュックを愛しているのだ、と気づいてしまい……。

「悲しみよこんにちわ」から3年待たされて、どきどきしながらこの本を
読んだとしたら、絶賛の嵐を贈っていたことだろう。これが20歳の女が
書ける本なのか?とはなはだ疑問に思うほど秀逸な心理描写で、読者
(特に若い女性)の心をぎゅっと掴んでくる。飾らない、あるいは、
素っ気ないくらいの感情描写。しかし1時間後には違うことを言い始める
子どものように、ころころと意見を変えながら、真に自分の心に迫って
ゆく様子は、「とても切なく、もどかしい」という気持ちを駆り立てた。
それはある意味過激なまでの「少女」の感情の起伏にあるのかもしれない。
リュックとの旅行に出かけ、「15日間で君が気に入った」と言われた
去り際に、ひどく幸福感を得ながらも、すぐに「ひどく不愉快だった」
と描写される。「不愉快」とはまた、とても不な言葉である。
幸せなひとコマであるはずの場面に、スッと差し込まれる、憎悪のこころ。
しかし敏感なドミニックにとっては、幸せも本当であり、不安も本当であり、
憎悪も本当であったのだろう。失敗に終わるだろうと分かりきっていて、
忠告を受けながらも始まった「愛」らしきものは、当人同士が語らぬだけで、
他の何よりも「愛」だったと言えるだろう。15日間何をしたのか。
ショッピングや外出なんてイベントは、なにもしなかったに違いない。
ただ、そこにいればいいその存在が「愛」ではなくなんだというのだろうか。
叶わぬ恋に微笑をたたえる彼女はやはり独占したいのだなぁ、と考えると、
男、と、女、と言うものは本当の意味ではやはり性的な何かを求めるの
だろうか。所在を尋ねることのできない恋はしたくない。

★★★★☆*88

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2011年4月18日 (月)

■雑談:秘けつは大雑把に違いない

20110418 

本日の夕飯は大根の煮物、と切干大根だった。
作り終わってから、「大根づくしやんけ」と気づいたけど、
まぁいいか、である。

で、この大根の煮物は明日のお弁当のおかずになる。
煮物でも炒め物でも、なんでもジップロックである。
実はわたしにとって夕飯がないことは、=明日のお弁当がない、
ということになり、どこかで外食をすることになる。

くしくも会社が高級ビジネス街と呼ばれる辺りにあるので、
ランチは1回1000円覚悟である。

週5日×1000円×4週間=20,000円

毎日外食した場合、単純計算でこうなる。
2万……て、、って感じである。
食費に2万円もかけてられるか。

スーパーで2万円分買いましょう、と言われたら、困る。
「こんなに買っても1000円しないのか……」
とか、思ってしまうのは、貧乏性と言うヤツだろうか。
せめて節約術と言ってほしい。

で、何が言いたかったのかというと、
大雑把な料理をジップロックに詰めてお弁当にするのが、
その他の有意義な買い物をするための秘けつだろうと。

自分のお弁当へのすべては、諦めと大雑把である。

ライブに行きすぎてお金がなかったので、
最近ようやく洋服が買える(笑)
さてさて、また女子力あげようかしらね、随分怠っていたよ。

なんて。

いつも来てくださり、どうもありがとうございます。

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2011年4月17日 (日)

「阪急電車」 有川浩

阪急電車 (幻冬舎文庫) 阪急電車 (幻冬舎文庫)

著者:有川 浩
販売元:幻冬舎
発売日:2010/08/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する


あ、あらすじ書くの面倒くさくなってきたなこいつ、と気づいたあなた。
ご明察ありがとうございます。そもそも200Pを超えるストーリーを
数行に要約するのは、至難の業である。(だからいつも失敗している)
かといって下記のようなAmazonの説明もどうなんかしら、とも思うのだが。

恋の始まり、別れの兆し、そして途中下車……関西のローカル線を舞台に
繰り広げられる、片道わずか15分の胸キュン物語。大ベストセ ラー
『図書館戦争』シリーズの著者による傑作の連作集。
(Amazonより)

有川さんだから甘々なストーリーだろうと予想していたが、予想以上だった。
甘く見ていましたすみません。なんだかこう「胸キュン」を通り越して
むず痒くなって、しょっぱい何かを食べたくなった。個人的には。
ストーリーは阪急電車今津線をモチーフにした人間ドラマ。電車に
乗り合わせた人びとの小さなやり取りが、失恋の慰めだったり、
諍いの仲裁であったり、恋だったり、恋だったり、恋だったり、恋だったり、
に発展してゆく。世の中恋じゃねぇか、ちくしょう。という気分になり、
いくぶんやさぐれた感情を得るのは、わたしが満たされていない証拠だろう。
実に残念である。だから、それらを満たされた方々が読むに当たっては、
ほのぼのとしたご当地アットホームドラマが生き、日々の過ごし方、
なんかを考えたりするんじゃないか、と思ったりした。例えば、通勤電車で、
いつも乗り合わせる人の人生を考えてみたり、とか。電車はある意味で、
すし詰めになる残念な乗り物と思っているが、解説の児玉清同様、
運命共同体でもあるな、とか思ったりして、そう考えると毎日顔を合わせる
人びとの話を少し聞いてみたいような気分にもなるものだ。それにしても、
「刺身の切り身を売るような小説」と解説で述べられているが、まさしく
その通りの小説に出来上がっていると思う。それはいい意味でも、悪い意味
でもだ。刺身は生ものだから、「今」それも「今、若者である」人にしか、
受けない、という残念さである。この本はモチーフも面白くキャッチー
なのだから、もう少しつっこんで書いたら、「今」だけではなく「冷凍保存」
できるような小説になったのではないか、と思わなくもない。この状態では
100年後に生まれた人間が読んだから、理解不能な部分や説明不足がたくさん
あるに違いない。後世に残らなくても、今がよければ、というような、
「刺身の切り身を売るような小説」と言いきった有川さんに少し失望
(いや、失望まではいかないか……でも残念ではある)した気分だ。
面白い本である。現代人、特に若者にはお薦めである。しかし「今が旬」だ。
同時に「今しか旬がない」とも言える。

★★★★☆*86

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2011年4月16日 (土)

■雑談:久々に

久々に面白かった、内田さん。
内田さん実は何冊も読んでいるが、感想を書いていなかった。
せめて『疲れすぎて眠れぬ夜のために』だけでも再読して
感想を書いておきたいところなのだけど。

574 11.04.15 ★★★★★*91 「下流志向」 内田樹

 
久々に気合を入れて料理をした。
その他いろいろ。
作りすぎて食べ切れなかったので(笑)
明日のわたしにあげることにしましょう。

110416

料理にも本と同じく波がある。
まぁ趣味の一つなので、途絶えることはまぁないと思うのだけど。
やっぱり野菜は美味しいと思う。
料理は自分で作って食べるべきだと思う。

いつも来てくださりありがとうございます。

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■雑談:やはりそうなのか

さっき実家の辺りが震源地の地震があった。
しかも直下型だ。
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/2011-04-16-11-19.html

いつもなぜあの県が震源地だと直下型なんだ?
地盤が緩んでいるせいか、震源地よりも茨城県の方が揺れて
震度が大きかったようだけど、なぜ直下型なんだ?

昔からそうだった。
避難訓練のたびに社会の先生は、
「いつかこの辺は直下型でやられるんだよ、
なにせ地盤プレートが集中しているんだから……」
と悲しそうな顔で言うのである。

地盤プレート集中……やはりそうなのか。
怖くて調べた事がないが、調べた方がいいだろうか。
地盤プレートが……集中……考えただけで怖ろしい。

 
 
 
……と、よくわからない雑談はさて置き、地震は怖いです。
今から出かけますが、怖いです。

昨日読み終わった本の感想を帰ったら書こうかしら。
無事帰れますよう。

いつも来てくださりどうもありがとうございます。

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2011年4月15日 (金)

「下流志向」 内田樹

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫) 下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

著者:内田 樹
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


「論破」という言葉は、この人のために存在するのではないか、と思う。
あまりこういった思想学書を読んで「面白かった」「ためになった」
と思うことはないのだが、内田さんは別格だ。現在、日本はいい国ではない。
誰が見ても明確である。「警笛」を鳴らす誰か、もっと他にいないのか。

なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか。
だれもが目を背けたいこの事実を、真っ向から受け止めて、
鮮やかに解き明かす怪書。「自己決定論」はどこが間違いなのか?
「格差」の正体とは何か? 目からウロコの教育論。
「勉強って何に役立つの?」とはもう言わせない。
(Amazonより)

最初に注意しておくと、この本に結論はない。「下流志向」に陥った人びと
について、「~したらいい」「~すべき」ということは一切語られていない。
ただ、今の日本は危ないのです。どう危ないか教えてあげましょう、という
本である。しかし、今の世の中でその危なさを、熱意持って語っている人を
他に見ない気がする。本の中にも出てくるが、「見ないふり」を決め込む、
もしくはスルーしてなかったことにする、という世の中が定着しているからだ。
中身は、これでもか、という内田論。痛快である。内田さんの論理は、
まるで「おせち料理」と「ビーフシチュー」を足して2で割ると、
「とんこつラーメン」が出来るんです。と言われたような衝撃がある。
この本は特にそれを感じた気がした。最近ニートが増えているのは、
「学びを放棄」した子どもたちが増えているからだ。なぜ学びを放棄して
しまうのかは、実は学校がどうこう、とか、就職支援がどうこう、とか、
そういった上辺のことではない。簡単に言ってしまえば、
「子どもの時に家のお手伝いをしなかった」ことが原因であるというのだ。
まさしくここで「とんこつラーメン」である。現代の子どもの時にお手伝いを
しなかった。掃除は掃除機があるし、料理だってレトルトなどもある。
家事というものが格段に軽減されたため、何もせず育った子どもは、
何もせずいきなり小遣いを貰い、欲しい物を買うようになる。子どもは、
「労働者」として入学する前に、「消費者」として入学してしまったが
ために、学業すらも、「消費者」として進む道を歩んでしまった、という
のであった。ははぁなるほど。である。(詳しい論破は本書を読むのがいい)
そうか、だからわたしは学びを放棄する団体に組み込まれていたのか、と
思わず膝を打った、というのが第一だった。わたしの中学校はそれはそれは
酷い中学校だったので(以下省略)。でも、それがなぜそうなってしまったか
などという根本的なことを考えなかった。この本を読むまでも考えて
いなかった。お得意の「見ないふり」である。ニートが増え続けるのは、
非常に悪いことだ、と言いながら、なぜみんな研究しないのだろう。悪い
悪い、と言いながら、頓珍漢な策を述べるばかりで、世の中の状態を
一度冷静に把握するということをしない。これからどうするか、も大切だが、
なぜそうなってしまったのか、を振り返り現在を見渡すのも重要な課題
だと思うのだった。それが例えびっくりな「とんこつラーメン」論破で
あったとしても、「なるほど!そういう考え方もあるね」という一理に
なり得るのである。今はその一理が限りなく少ないのだ。これではまともな
論争すらできないだろうに。この本はだから、「今の世の中はこうだと思う」
という内田流の一理である。絶賛、大賛成な訳ではないが、とても楽しい。
なにせ、「おせち料理」と「ビーフシチュー」を足して2で割ると、
「とんこつラーメン」が出来るのだから。一読の価値大いにあり。
内田さんは現代の夏目漱石になって欲しい(いやもうなっている?)。
まぁそれこそが「永遠の師」なのかもしれないが。それにしても、ニートって
何をしているのだろうと思う。わたしは何かをしていないと気がすまない
人間なので、例えば本を読むにしてもお金と行動力が必要である。
と考えると、引きこもり、という人種は未だに未知な生物だと思う。
ある種の新種の人間である気もする。彼らと共に日本は死ぬだろうか。

★★★★★*91

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2011年4月14日 (木)

■雑談:顧みる

帰り道をぷらぷら歩いていたら、
わたしのすぐ脇を勢いよく車椅子のおじさんが追い抜いていった

おじさんの車椅子さばきといったら、
そんじょそこらの車椅子乗りの運転ではなかった
まるで車椅子マラソンに出るような手さばきで
ぐわんぐわん車輪を回して、自転車並の速度である

おじさんはすぐ傍の立派なマンションのエントランスに向かって左折した

しかしエントランスのところには、高さ8cm前後の段差があった
お洒落な花壇、お洒落なエントランスに自動ドア
大きな駐輪所があり、そこにはスロープがあるのに、
けれど、エントランスには段差があるのだった

車椅子で8cmを越えるのはどうみても難しそうだった

おじさんは左折しながら、自転車並の速度で段差に向かうと、
車輪が乗り上がった瞬間上体を一瞬前のめりにし、
これまた華麗な腕さばきで難なく段差を越えると、
すいすいとエレベーターホールへと進んでいった

実に見事でわたしは唖然とそれを見ていることしかできなかった

ふと、地震の時、おじさんはどうしていたのだろうと思った
あの人が町に溢れるような東京の町で、おじさんは

人はみな自分のことを考えるのが精一杯だから、
きっと他人のことなんて、思ってもみないのだろう

もし思っているのだとしたら、駐輪所と同じスロープのブロックを
いや、ただの木の板だっていいだろう、
おじさんのために、誰かが手を差し伸べたはずではないか

そう思うのは、わたしの間違った行き過ぎた情なのか
少しでもおじさんの役に立つのだろうか

顧みる


いつもきてくださり、どうもありがとうございます

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2011年4月13日 (水)

「恋するように旅をして」 角田光代

恋するように旅をして (講談社文庫) 恋するように旅をして (講談社文庫)

著者:角田 光代
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


あらすじを考える気力も起きない、とかいうとまた非難轟々でしょうか。
大変時間の無駄さを感じた本でした。解説でいしいさんが、ゆっくり読め
的なコメントをしていますが、ゆっくり読むくらいなら、自分が旅に出た
方がいいように思われました。まぁ、勿論わたしの主観なのであしからず。

笑えてちょっと切ない旅のフォトエッセイ。時間ができるとふらっと旅に出る。
タイ、ベトナム、モロッコ、アイルランド。場所を想うことは恋することと同じ。
無頼で自由でストイックな著者の魅力満載。
(Amazonより)

最初からエッセイだということは分かっていたので、薄々嫌な予感はして
いたのだが、今までに読んだ角田旅行エッセイの中でワーストを争う
結果になった。(もちろんわたしの中で)エッセイ……って一体何?
とか、根本的な部分を疑いそうになる本だった。解説のいしいしんじは、
エッセイ以上の本であり、読者も旅をしている気分になれる、などと
書いているのだが、旅をしている気分、以前に愚痴を聞かされている気分
に陥り、得たのは「角田さんが極度の方向音痴である」ことと、
「旅をしていると男に襲われることがある」ことと、「旅は恋に似ている」
という3つだけだった。したがって、エッセイと言うよりも、旅の日記を
見せてもらった、と言った気分でしかなかった。その理由は、この本を
書いている当時の角田さんは、おそらく「旅に恋している」状態だった
からだろう。恋、というよりも、旅行中毒である。わたしもライブ中毒
を経験しているのでわかるが、「何かをしなくてはならない」という
選択肢はなく、これしかないのだ、という気分になる。まさに中毒。
その状態で書かれた本が、面白いわけがない。わたしは中毒なんです。
旅はこんなに素敵だから。と言われても、「何がどうして中毒になり」
「どんなところが中毒になりえるほど素敵だと思える要素なのか」が、
まったく記載されていないのだから、読んでいても「あぁそうですか」
と思うほかないのである。「ここがいいの!」という熱烈な文章なら
ともかくとしても、だらだらとよく自分でもわからないけど、移動して
いなければ気がすまない。理解できない。わたしが年間100本のライブ
(単純に考えて年間100日ライブハウス)に行くということが、
にわかに尋常の人には納得し得ないように、角田さんのこの旅行中毒は
納得できるものではなかった。からにして、一番良かった部分は、
「文庫版にあたりのあとがき」だった。旅行中毒から幾分抜け出し、
冷静に自分を観察している文章。もはや本文よりも最後のその2、3ページ
のみでよかったのではないかとすら思う。わたしはまったく海外の旅に
出ない人間なので。でもライブは100本行けるのだ。その心理を、
ぜひとも今角田さんの文章で読みたいところだ、と思う。日常の
エネルギーを旅行のために溜めている……? 違うと思うんだよな。

★★★☆☆*82

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2011年4月11日 (月)

■雑談:売り切れ御免

今日、会社の近くの本屋に行ったら、

「『八日目の蝉』角田光代著、文庫版完売しました」

と張り紙がしてあった。

唖然、として、20秒くらい通路の真ん中で立ち止まってしまった。
この本が売れない氷河期に、
「文庫が完売した」、なんていう張り紙は久しく見ない。
しかも結構な幅の特設棚だった。

昔、田舎の本屋で「ハリポッター入荷待ち」と書かれていた、
そんな光景を思い出した。

地震の影響もなくはないのだろうけれども、
なんだかとても嬉しくなって、何回もその張り紙を見た。
そしておこがましくも、写真でも撮って送ってあげたいなぁ、と考えた。

ドラマ化に続き、映画化、おめでとうございます。
嬉しくて、自分のことのようにわくわくしてすみません。
エンドロールに原作「角田光代」と流れる瞬間を、楽しみにしています。

ちなみにわたしの『八日目の蝉』の感想はこちら

いつも来てくださり、どうもありがとうございます。

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2011年4月10日 (日)

「太陽のパスタ、豆のスープ」 宮下奈都

太陽のパスタ、豆のスープ 太陽のパスタ、豆のスープ

著者:宮下 奈都
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


あー…なんかダメかも知れない。と思う瞬間が本を読んでいると時折ある。
いわゆる相性というヤツだろう。どうもわたしは、この方と相性がとても
悪いようである。なんだか話の最初から好意的に読むことが出来ないのだ。
思い返すのは、誉田さんとか、だが。あの方とも相性がすこぶる悪い。

結婚を目前に控えていたある日、明日羽は婚約者から一方的に破談を
申し立てられた。準備した結婚式に、ドレス、それからハネムーン。
様々なものががらがらと音を立てて崩れ去り、明日羽の前から消えていった。
残ったのは何もない自分ばかりである。どうにかして落ち込んだ自分を
奮い立たせようとするが、気が滅入り上手くいかない。家で燻っていると
叔母のロッカさんが現れて、リストを作ったらいいと言った。その名も
ドリフターズ・リスト。自分のやりたいと思っていることを挙げてみる
リストである。きれいになる。鍋を買う。玉の輿にのる。お神輿。……
挙げてみるとよくわからないものばかりだった。とりあえずきれいになる
ため、幼なじみの京をつてに、高級エステに向かってみるのだが……。

宮下さんてB型ですか?よく存じないのですけれども……。最近血液型って
科学的根拠はないけど、やっぱり系統って当たるよね、とか思っている。
で、わたし的分析のもとその系統を選別すると、この本の主人公はB型である。
なぜなら、限りなく自分が大好きで、自己中心的だからだ。破談され、
落ち込むのは大変よく分かるのだが、「なぜ破断されたのか」を、
なぜここまで考えずにいられるのだろう、とある種の気持ち悪さすら感じた。
だって、ずっと付き合って、さて結婚しましょうとなった時、
「やっぱり合わない気がするんだ」って言われたら「なんで?」と思うのが
普通ではないだろうか。もしくは「どこが?」だ。例えば「君の~なところ
がダメだった」とか、「あのときから」とか、いう相手の言葉があったなら
あぁそうか、わたしはダメなんだ、となるような気がするが、この主人公は、
その疑問からすらも逃げているのだ。傷つきたくないから、もう話さない。
よりを戻さないまでも、なぜ自分は結婚の対象から外れたのか、それを
確かめたく思うのが一般ではないのだろうか。もしくは、わたしのどこが
悪かったのだろうか、と自分を検分するのが普通ではないだろうか。
相手が結婚を取りやめたが、実は自分も取りやめたかったかもしれない、
とかいう真相心理まで考えたりしないのだろうか。そう思うのはわたし
だけか。そんなことをまず第一に考えていたので、続いてゆくリストの話や、
羨ましいほどの人脈を事も無げに無造作に扱う主人公を見て、
(その後改心するなら納得するのだが、その兆しもなく)やっぱりどうも、
この作者と相性が悪いようだ、と思った。主人公は自分が大好きなのである。
わたしは自分が大好きな人が嫌いだ。「自分が好き」にも勿論種類がある。
自分のことがある程度好きではなかったら、人は好きになれないだろう。
この本にも書かれているけれど。「自分が嫌い」だったら、こんな時どう
なるか。自分のどこが悪かったのだろうと落ち込むのである。主人公には
それがまったく微塵もない。同じ「何かを見つける」それまでのもどかしさ
を感じるなら、角田光代の『ぼくとネモ号と彼女たち』を読むのがいいと思う。

★★★☆☆*81

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2011年4月 9日 (土)

■雑談:絶景かな絶景かな

Image_3

先週は目黒に桜を見に行きましたが、
今週は市ヶ谷へ行ってきました。

2分咲きだったのが、満開、すでに散りかけ。
たった7日しか経っていないのに、
彼、彼女、たちの見ごろは通り過ぎたのか。

絶景かな絶景かな。
日本人は本当に桜が好きですね、
なぜでしょう。

今年は地震のせいでライトアップもないのに、
夜中まで桜に向かってカメラを構えるおじさんがたくさんいて
その情熱というか、片目を瞑りファインダーを見つめる思いを、
どうか分けてくださいまし、と思いました。

201104091512000_2

どうでもいい情報。
わたしはハヤシライスに目がない。
神保町にて。

いつも来てくださり、どうもありがとうございます。

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2011年4月 8日 (金)

【漫画】「I'll~アイル~ 13・14」 浅田弘幸

I'll 〜アイル〜 14 (ジャンプコミックス) I'll 〜アイル〜 14 (ジャンプコミックス)

著者:浅田 弘幸
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


I'llってアニメ化?もされてたんだなぁ、知らなかった。世の中知らない
ことばかり。知らないことであったけれども、この漫画も、読んでみたら
そこには、熱い作者の念が込められていて、読んでいなかったことを
申し訳なく思い、しかしそんなものは幾億もあるだろう。頭が堅い。

なんだか物語の中盤から7、8巻くらい?から菫のナレーションが
過去形になった時点で、「お、何かあるな」と『NANA』的なものを
受け取ったのだけれども、読んでいくうちにやっぱりな、と思った。
と言うことは、作者はこの7巻くらいの時から、この本の終焉を
考えていたんだろうなぁ、と考え少し切ないものを感じた。漫画は、
小説と違って連載期間が長い。でも読み終わるのは、小説よりも
格段に速く、しかも安い。割に合わない仕事だと思う。このアイルも
14巻で、9年もかかったそうだ。9年……幼稚園生が小学生になり、
中学校を卒業して高校生になれる年月である。作者は9年間、
ずっとバスケのことを考えていたんだろう。もしかしなくても、
自分自身がバスケをやっていた期間よりも長い時間、「バスケ」
という固有の何かに囚われなければならなかったかもしれない。
とか、わたしは漫画を読みながら哲学している。まったく頭の堅い
女だ。一つ忘れて欲しくないのは、この漫画を読むことによって、
救われた人間がたくさんいるということだ。連載が終わり、10年
近く経った今、わたしがこれを読んで、救われた気分になっている
のだから、「バスケ」という競技がこの世に存在する限り、きっと
読んだ誰かの心の中の、老化し燻っているところを熱く煮え返して
くれることだろう。漫画はどんな時も楽しいかもしれないが、
大人になって真剣に読むのもまた、いいかもしれない、と思ったり
した。なぜなら、漫画には「君が飽きれるくらい希望ばっかり」
のものしか、詰まっていないからだ。茜も飽きれるくらい希望
ばっかりで、飽きれかえって言葉も出なくて、でも、何だか明日
爽やかな1日を送れそうな、晴れやかな心を思い出させてくれた。
誰かを熱くさせる何かを創るのは死と隣り合わせだろう。
大変なのが目に見えている。小さい時、1日がとても長かった。
長くて長くて死にそうだった。でも今、1日が短くて死にそうだ。
こんな時、手軽に読める漫画はもってこいだろう。なぁ、そうだろう。

★★★★★*88

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2011年4月 7日 (木)

■雑談:念のため言っておくけど

去年よりも良い年にします。

いつも来てくださりありがとうございます。

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2011年4月 6日 (水)

4/6a flood of circle@渋谷O-EAST『X DAY 20110406:単独極東上陸作戦決行日』

201104061818000_2

4/6a flood of circle@渋谷O-EAST『X DAY 20110406:単独極東上陸作戦決行日』

■セットリスト
(絶対間違っているので、もし公式出たら直します。特に順番)

 Miss X DAY
 Ghost
 博士の異常な愛情
 フェルディナン・グリフォン・サーカス
 新曲(1)「Blood Red Shoes」Miss X DAY調
 新曲(2)「ミッドナイト・サン」俺が間違ってるのか的な歌詞
 Sweet Home Battle Field
 新曲(3)「Hide & Seek Blues」MCで泥臭いヤツと言った、昨日も同じことを考えた
 Forest Walker
 水の泡
 ロシナンテ
 Human License
 Chameleon Baby
 プシケ
 ノック 

EN

 最後の晩餐 
 春の嵐
 
最初になべちゃんが登場、ひとりドラムを狂ったように叩き始める。
なべちゃんのドラムは、ソロの方が生き生きしていて好きだ。
まぁ、a flood of circleの中のなべちゃんもとても好きなんだけど、
リズムとしてのそれよりも、当り散らす(怒られそ)くらいの、
はじけ飛ぶドラムが、とても好みだったりする。本人には絶対言わないが。
と言うわけで、最初からテンション高めで始まった新生afocワンマン。

地震の影響か向かう地下鉄ですでに気持ちが悪かった。
そもそも考えてみたら、地下鉄に乗るのは地震があってから初めてだった。
どうも地下というものに異常な恐怖感を持っているわたしは、
普段どおりのしれっとした顔で地下鉄に乗ってみたが、
冷や汗をかいてJRにすればよかった、と後悔するはめになった。

そんな心境で着いた渋谷だったので、気分は晴れやかではなく、
やっぱりいつもとどこか違った雰囲気を感じてしまった。

なべちゃん始まり、からのヒサヨさん登場、
からの曽根さん交じり、からの佐々木さん合わせ。
このセッションよかったな。
掻き鳴らしてからの、『Miss X DAY』。
おーなんか色んな意味で久しぶりだぜぇ、な新鮮さと緊張。

赤いスポットライトが明滅し、順調な演奏がつづく中、しかし
なぜかわたしの頭の中では「今ここで地震が起きたらどうなるのだろうか」
シュミレーションが開始された。震度4程度の揺れを感じ、
演奏は中断、お客さんは汗を拭きながらも係員に誘導され、
楽器を弾いていたメンバーもまた(なぜか楽器を持ったまま)
避難所へ向かう……いや、まてよ震度4では済まず、震度6くらいの直下型
だった場合は、上の照明が落下してきて、みんな即死するのではないか、
などなどのリアル且つ大変滑稽な妄想を一瞬で行った。

ハッと我に返り、だけど、もし家に居て誰もいない場所で屋根に
押しつぶされるよりも、ここにいる人たちと共に死んだ方がよいだろう
と冷静に分析した。なにせ、「今」はとりあえず楽しいから、
このライブハウスから出て帰ろうとはどうも思えなかった。

ということからして、いろいろすっ飛ばし要約すると、
「死んでもいいと思ったライブ」だった。
そういった意味では、死ぬほどの価値があるものだ、と言ってみたり。

『Chameleon Baby』と『最後の晩餐』で、テンションが上がり、
『ノック』で、久しぶりにしんみり歌を聴いた。
(わたしは例え『コインランドリー・ブルース』でも楽しく聴く派なので)
なかなか新鮮だった。

最後の『春の嵐』は、09/06/21に観た
FoZZtone、a flood of circle、THE NOVEMBERS@盛岡CLUB CHANGE
の様子を思い出した。岡庭さんがいるころである。
実際のところ、この日のセットリストでは『春の嵐』はやっていないのだが
なんだか、とても印象深いライブなので、あの黒チョッキを来た
岡庭さんの姿と共に思い出した。ちなみにその日は、
(シーガル、Thunderbolt、エレクトリックストーン、Buffalo Dance
セッションからのブラックバード、SWIMMING SONG、ロシナンテ
泥水のメロディ、プシケ)だった。

そこから感じた感覚は、どこか何かを突き抜けたもののように思えた。
岡庭さんがいなくなったことも、石井ちゃんが抜けたことも。
すべては一度綺麗に均されて、また新しいものが構築されたような、
気づかない微妙な変化だけど、確かにわたしはそれを感じた気がした。
佐々木亮介がひっぱってゆく。4人の1人ではなく、佐々木亮介が。
『D.Wニコルズ』のように『R.S AFOC』にでもしたらよかろう。
ようやく、待ちわびました。おめでとう。

今日はそう言えば『プシケ』でヒサヨさんの名前が聞けてよかった。
というか、「なんや変な紹介でもされるのかと思った」と関西弁で
答えるヒサヨさんを観て、しゃべったの初めて観たなぁ、とか、
どうでもいいことを考えてもいた。関西弁に挟まれた
佐々木亮介を見るだけでだいぶ滑稽だと思うのはわたしだけだろうか。
笑いがとまらんわ。

※アンコール前(内容はアバウトです)

佐々木「フラッドは今年結成5年目なんですが……、
その壮絶な遍歴たるや、今や誇るところなのですが(笑)
もう少しのことじゃ動じないって感じで。
5年バンドをやっていると、職業の欄に職歴を書くとき、
「ロック」としか書くべきものがなくて、なとてもなんていうか、
何も持たずに来たような寂しさがあるなって思ったんです。
……このギターだけ……それから、僕の周りにいるこのメンバーたちだけ
が僕の「持ち物」で、だから「だけ」っていうのも失礼な話ですけど、
バンドという1つのものだと思っているから、寂しさを感じて。
今日のワンマンは、やるかやめるかとても悩みました。
で、やったわけですが。今日ここに来てくれたってことは、
大きな意味があると思うし、そして僕たちもこうしてこういうときに
音楽をやるのが、僕たちのやるべきことなんじゃないかと思って。
いろいろ悩んでやっぱりロックをする場所が僕の居場所だと思って。
ロックを目指していれば、間違いはないだろうと思って。
こんな時だからこそやれることもあって、それはこれなのかな、って。
またライブをやめた人も(中止した人)やここに来なかった人についても、
それは今とるべき最善のことだと思うから。……て、いつも通りに
やりたかったので、こういう話はしないようにしようと思って、
最後に持ってきたわけですが」

なべちゃん「なんか暗くね?」

佐々木「俺っていつもこんなもんじゃない?」

なべちゃん「今日の本来の目的を忘れちゃダメだよ。
今日は新生フラッドの初めてのワンマンなんだから」

佐々木「え、あ、うん。そうだけど……」

なべちゃん「この3人になってから初めてのワンマンなんだよ」

佐々木「あ、ヒサヨさんです」

ヒサヨさん「どうも、ヒサヨです」

佐々木「ヒサヨさんはアレですよね」

ヒサヨさん「え、え、何??」

佐々木「名前っていうか、その女性って言うのもあるし、
まぁそれはみんな思うところがあるだろうけど、
何か重大な決心でもって、こうして僕たちのところに来てくれて……」

ヒサヨさん「なんやビックリした。なんか変な紹介でもされるのかと思った」

曽根さん「あ、なんか今何人か俺のこと可哀想やなみたいな目で
みたヤツおったけど、大丈夫やで。俺、サポートやから。
この3人で、ア、フラッド、オブ、サークルやで」

観客「笑」

曽根さん「心配せんでええからな!大丈夫やで」

なべちゃんの「本来の目的」に対する、
周りのみんなの微妙すぎる反応に噴出したのは秘密です。
新生「AFOC」おめでとう。

そして、明日石井ちゃん、お誕生日おめでとう。

いつもありがとうございます。
201104061901000

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2011年4月 5日 (火)

「モルグ街の殺人・黄金虫」 エドガー・アラン ポー

モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫) モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫)

著者:エドガー・アラン ポー
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


中学生の時にはそんなこと毛頭考えませんでしたが、この本は、
世界で初めて密室殺人事件を扱った小説らしいです。世界初。世界初。
いい響きだ。ミステリ好きな上にその昔古典ミステリはだいたい読んだ
とか言っている自分は、遍歴なんて考えない相変わらず残念な研究心。

「モルグ街の殺人」
モルグ街で奇怪なる殺人事件が起こった。サン・ロック区に住む
レスパネエ夫人とその娘カミイユ・レスパネエ嬢が殺されたと言うのだ。
それも普通の殺され方ではない。娘のカミイユは頭皮から毛を毟られた
あげく、暖炉の中に逆向きに押し込められ、レスパネエ夫人は撲殺
された上に、庭園で首と身体を切り刻まれていたのだ。事件の目撃者は
なかったが、駆けつけた十数名のは口を揃え、レスパネエ夫人宅で
二つの声が罵りあうのを聞いたと言った。一人はフランス人で、
もう一人はわからない。ドイツ人じゃないろうか。一人はフランス人に
違いない、だがもう一人は、イギリス人のようだった。
証言は一致しているようで、ある一点で違っている。その点と窓枠の
釘に目をつけたデュパンは、この奇怪な殺人事件を解いてゆくが……

ネタバレしますので、未読の方は是非本書を読んでから。なにしろ
世界初の密室殺人事件ですからネタバレなどで結論を急いではダメです。
みなさんご存知「密室殺人事件」。今やミステリの醍醐味、もしくは
いざとなったらこれ、いや、もうこれでしか読者を楽しませられない
のではないか、とまで東野圭吾を悩ませたりし、『名探偵の掟』など
を書かせてしまう根源・元ネタの本である。内容はだいぶグロテスクで
たんたんとしている。人間ひとりではなしえられないと考えられる
怪力と俊敏さを備えたこの犯罪は、まさしく人間ではない犯人・猩々
(オラウータン)だった、と纏められており、最近の凝りに凝った、
これでもか!という「密室殺人事件」を読み漁っている身としては、
肩透かし、「え、人間じゃないのかよ」という落胆すら感じる。
しかし鍵が掛かっているように見せかけて(偶然そうなったわけだが)
実はそうではなかった、という捜査の凡ミスから、単なる凶悪な動物の
暴走が、奇怪殺人事件として浮かび上がったという、現実の
「あり得そうな殺人」が「密室での殺人」になってしまった
「誤解の面白さ」はやはり世界初ならではであった。今の密室殺人は、
どうも「密室」にするために、殺人を行っていることが多い。
密室になってしまったという面白さよりも、なぜ密室になったのか、
の方に魅力を感じて(誰が?)、しまったからだろう(たぶん作者が)。
「トリック」分類的には、「密室殺人」もトリックの手段に違いないのだが、
しかし「トリック」の括りに収められてしまった時点で、
ここにある「密室殺人」とは、そもそもの性質を分けられている
気もするし。ともかく人間は「なぜ?」という問い、疑問が好きである。
「なぜ、殺すことが出来たのか」「なぜ、密室にできたのか」
「なぜ、殺したのか」なぜ……。この本が出て100年はゆうに経って
いるが、いつしかあらたなる「なぜ」が生まれ面白さが幅を広げる
時がくるだろうか。ミステリの分かれ道。そもそもミステリの存在が謎。

★★★★☆*86

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2011年4月 4日 (月)

■雑談:晴れやかなのか、よくわからないこころ

いつから「わたし」は「わたし」なのか。

夏目漱石に言わせれば、たとえ1時間前の自分が、
今の自分とまったく違う意見を持っていたとしても、
人間として至極当然のことであり、間違いでもなんでもないという。

恐怖の裏には怒りがあり、
寂しさの裏には喜びがあるだろうか。

またよく解らないことを言ってこの人大丈夫かしら、
と思っているそこのあなた。

たぶん大丈夫です。
ここ数週間のわたしの半分は夏目漱石でできている。
今日はエドガー・アラン・ポーだけどね。

いつもきてくださり、ありがとうございます。

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2011年4月 3日 (日)

「草枕」 夏目漱石

草枕 (新潮文庫) 草枕 (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
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洒落すぎて難しいから、もう少し簡単に書いてくれたら、いい本なのに。
本文中の3割くらいの意味がわからなかった。なぜなら漢文、漢詩、俳句、
当時の醍醐味、などがだらだらと無意味に羅列されていたりして、わたしが
その意味を知らないからだった。なんだ自分のせいじゃないか、と嘆く悔しさ。

小説についてもそうだが、絵を画にしても重要なのは人間ではない。
人間の心の移り変わりなどを主にするのではなく、ただただ流れゆくときを
描写することが大切なのであり、それは山や花や川といった自然を
ありのままに書き写す事だ。かの中国の漢詩などは、みなそうではないか。
もし人間についての描写する場合でも、ただそこの背景に人がたまたまいる
のであって、余が彼らについて思っている事柄を絵に含める必要はないのだ。
絵を描くため田舎に逗留することに決めた余は、一軒の家に世話になる
ことにした。そこには少しばかり変わった女がおり、大変魅力的ではあるが、
余が絵にしようと思うには、何かひとつ欠けているのだった。山々を
巡りながら、女の奇行を何度も目にしながらも、必死に自然を追い求めるが…

掌から何かをとりこぼしたかのような悔しさは、自分の知識のなさにある
と同時に、自分しかわからなくてもいいや、と他を配慮せず書かれた雰囲気
のある本だった。中には、漱石自身が気に入っていると思われる漢詩や、
洋画家の絵についてが、穏やかな農村を背景に、だらだらと語られており、
芸術の醍醐味とは、こういうことなのではないか、と確かに納得して
しまいそうな趣ある心地のよい間延びであった。まるでカンヌ映画賞を
狙って作られたフランス映画のような。そう言えば、語られている
洋画家のひとりに、ジョン・エヴァレット・ミレイがあるが、わたしも
とりわけミレイの「オフィーリア」が好きであるため(大学の論文も
書いたし、美術館も何度か観に行っている。かなり好きである)
そう言えばその時にこの本を読み返したな、と思い出した。なぜ、あの
物語の中から、この死体の部分を選び絵にしたのか。はなはだわたしも
疑問であるが、あの圧倒的な描写を見ているだけで、「何かある」と
思ってしまう。夏目漱石もそう思ったのか、自分も納得のいく死体の絵を
描きたいなどと語っている。全体にわたって景色や自然物の描写が多く、
「これは小説ではない」としつこく念を押しながらも、しかしこうして、
ときおり人間の心が滲み出る。その瞬間がとても面白く、どうでもいい
非人情と言い合う会話が、それこそ滑稽な舞台の脚本のセリフのようで、
やっぱり人情じゃないか、と笑ってしまいそうだった。何しろ、「余」が
描いてもよいと思った女の絵は、「大切な人との惜別の憐れな表情」だった
のだから、ますます人情である。汽車に乗った久一は、日露戦争に向かうが、
それが当たり前の如く描かれている。いや、汽車という二十世紀の悪の産物
により、こことは切り離された世へと久一を連れ去る、という表現とも
とれるだろうか。現実は不治の胃病に苦しみ、そして戦時が待ち受ける。
そのような、ごたごたした乱世を描くよりも、本当は、本当に存在したかった
世界は、とて、描いた本かもしれない。汽車が悪の産物と捉えた夏目漱石が
今もし生きていたとしたら、何を思っただろう。東京は地下も地上も、
網の目の線路で埋め尽くされているこの世界は、嘆かわしいものだろうか。

★★★★☆*86

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2011年4月 2日 (土)

■雑談:花見はまだだね

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目黒川沿いの桜を見に行きました。
満開だったらさぞかし綺麗だったのでしょうけど、
残念、3分咲きくらいでした。

見ごろは来週かなぁ。

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中目黒公園でシャボン玉を飛ばしていたら、
外国人の可愛い姉妹が、シャボンを必死に追いかけてくれました。
いやぁ、可愛かった。

そろそろ子どもが欲しい季節です。
どんな季節だよ。って。

どこかで地震があったようで、
寝転んでいたら地面が揺れたけど、
春を満喫できたような、ゆるやかな1日だった。

そこから抜け出すことは罪じゃない。

いつもきてくださりありがとうございます。

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2011年4月 1日 (金)

「これが私の優しさです」 谷川俊太郎

これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集 (集英社文庫) これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集 (集英社文庫)

著者:谷川 俊太郎
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


もっといろいろ読んでから、この本に手を出すんだったなぁ、と思った。
この本は谷川さんの60歳位までに出した大量の詩集から選りすぐられた、
詩たちの集合である。詩集というよりも、なんだか詩たちの集合、という
方が相応しいほど、収まりきらない何かが蠢いている。それは、あれなのか。

ことばが輝き、躍り、翔ぶ!
鋭敏な感覚と清新な詩風で築いた独自の抒情世界。
最もポピュラーな現代詩人・谷川俊太郎の代表作を収録した傑作詩集。
(解説・栗原 敦/鑑賞・さくらももこ)
(Amazonより)

最後に書かれていた栗原敦の解説や略年表を読んで、「あ、」と思った。
そうか、だからわたしの心に響くのだ。いや、谷川俊太郎と言えば、
日本で一番と言っていいほど名の知れた方である。ということは、
そういうことなのか。みんな寂しいのだ、と思った。どうでもよい話だが、
わたしは世の中に「寂しさの周波数」というようなものがあると思っている。
似たような寂しさ、濃度、感情の濾過具合によって、彼らは自然と
寄席集まる仕組みになっているような気がするのだ。それはどこでも
同じ。みんながこの詩集を褒め称え共感するということは、谷川さんが
するすると澄んだ空気のように、しかしとてつもない寂しさを滲ませて
いるその部分に、きっとみないろいろな形をもって感じているのだろう。
この詩集の中には、いくつか読んだことのあるものが含まれていたが、
一番わたしが敏感に感じ取ったのは、表題作の『これが私の優しさです』
だった。この詩には、「あなたが死にかけているときに あなたのについて
考えないでいいですか」とある。わたしはこの部分を読んで、泣きそうになった。
わたしも、まさにそう思っていたからだった。この『これが私の優しさです』
という詩は、おそらく父親に宛てられたものだと思う。詳しく調べていないし
調べるつもりもないので知らないが、たぶんそうだと思う。なぜなら、
わたしと同じ寂しさの周波数を感じたから。寄せ集められた作品たちは
どちらかと言えば、1冊ずつ読んだ方がいきいきとしている気がする。
でもその1冊に凝縮された何かは、ここではまた違った何かに化けていて、
だから、いろいろな本を読んだあとに、映画のエンドロールのように、
読むのがいいだろう。まぁ、まだまだ作品はたくさんあるので、
とりあえずは60歳までのエンドロールだ。どんなに裕福でも寂しさの苦しみ
には耐えられない。テレビで大家族特集を見るたびに、どこか不愉快で
羨ましげな気分になる。育まれた気持ちは取り返しようもなく、60歳に
なってもまだ、こうして滲ませ続ける。因果、結果オーライなのか。
生きるために何かを作る人間になりたい。

★★★★☆*87

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