« ■雑談:霜取りヤシマ作戦 | トップページ | 「桐島、部活やめるってよ」 朝井リョウ »

2011年3月19日 (土)

「はだか」 谷川俊太郎

はだか―谷川俊太郎詩集 はだか―谷川俊太郎詩集

著者:谷川 俊太郎
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


この本は、谷川さんとは何も関係なく、わたしの大切なもの、であったり
します。わたしは基本的に人からものを貰ったりするのが苦手ですが、
あの時はただ、何かが欲しかったのです。「今」を思い出すための何かを。
思えばこんなことをしなくてもたくさん貰っていましたけど。見えないその形で。

筑摩書房、1988年発行。
全編ひらがなで綴られた、谷川俊太郎の詩集。

谷川さんが57歳のときの詩集である。現在も79歳でご存命でいらっしゃる。
先日読んだ『定義』は44歳の時の本で、あのとき感じた少し青臭い雰囲気
(詩を繰ってやるという意気込んだ感情というような)はこの本にはまったく
なく、ある意味拍子抜けであった。(実は『定義』の前に一度読んだのだけど)
中身はすべてひらがな。はっきり言ってとても読みづらい。小学生の坊やが
つぶやくようなたどたどしい言葉は、けれど、ぐっとこころを絞めつける
力を持っている。ある人は「この本の一番最初にある「さようなら」という
詩があるのだが、それを読んでいたら急に悲しくなって泣けてきた」
と言っていた。この「さようなら」という詩は、少年が、両親の元を離れ、
どこかへ行く、という詩である。詩であるから深くは語られず、それが
永遠の別れなのか、疎開ないのか、それともただ1日の別れなだけなのか、
ちっとも分からないのだが、たださようなら、とつぶやかれる。ふと少年を
呼び止めたくなるような気持ちになると同時に、わたしの中にも、
その小さな少年が佇んでいるような気持ちになった。そう言えば、わたしは
いっとき祖母と二人で暮らしていたことがある。1週間だったか2ヶ月だったか
よく覚えていないのだけれど、その頃父は病気で入院しており、母もまた
弟を産むために入院していたからだった。その時間をあまりよく覚えていない
のは、たぶん、覚えていたくないほど寂しかったからだろう。祖母にならって、
折り紙が得意になった。お手玉をした。お手玉の中身は小豆がよろしい、
と祖母が言った。わたしは頑張って、「偉い子」でいることにした。そう
すれば、みんな帰ってくる。そう思っていた。そんなことがあった。
わたしはこの詩の意図を考えながら思い出していた。きっと
「急に悲しくなって泣けてきた」と言ったその人とは、似ても似つかぬ
思い出に違いないが、するする滑り込む柔らかい「ひらがな」は
不意に読み手のこころの奥のほうをさらって撫でてゆき、忘れていた
その気持ちを、きゅっと蘇らせてくれるのだろう。忘れている、ということは、
まだ、覚えている、ということだ。何かをきっかけにして、その感情は蘇る。
蘇らせることができる。何かを思い出すために、あなたも読んだらいいだろう。
何を思い出すか、それは誰にもわからないけれど。永遠に「さようなら」
と思っていたその気持ちを思い出すことができるかもしれない。
研ぎ澄まされたその感性に、ただただ感心するばかりである。

★★★★★*92

|

« ■雑談:霜取りヤシマ作戦 | トップページ | 「桐島、部活やめるってよ」 朝井リョウ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/126354/39304651

この記事へのトラックバック一覧です: 「はだか」 谷川俊太郎:

« ■雑談:霜取りヤシマ作戦 | トップページ | 「桐島、部活やめるってよ」 朝井リョウ »