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2011年3月24日 (木)

■雑談:死と向き合うことについて

どうもこんばんわ。

今日は父の通院日であった。わたしの父は重度の糖尿病患者である。
こんなプライバシーをここで公開していいのかよくわからないが、
まぁ、今までも散々書いてしまったので、もうしかたがないだろう。
父はおそらく「1型糖尿病」と分類される患者で
(わたしは昔も今も詳しく教えてもらったことがない)、
インスリン注射を毎日4回打っている。
病歴は軽く20年目くらいに入っており、
もうインスリンを打たない日は、彼にはやってこない。
インスリンを打たない時、あるいは打ち忘れた時、あるいは打てない時、
は、父にとって即座に「死」を意味する。
インスリンの量は、毎日自分で調節するのだが、
少なすぎては高血糖で意識を失い、
多すぎては低血糖で体の細胞が生命を維持できず死ぬ。

わたしは父によくぞ今まで生きてきてくれた、と思う。
いや、そうなったからこそ、父は生き延びねばとさらに強く思ったのか。
わたし自身がそうだったら、自殺していたような気もする。
反面教師、わたしは甘いものがあまり好きではない。
あはは、その割には甘いものは別腹だけど。
などと、勝手なことを言うが、けっこう笑い事ではないのである。

例えば今回のような大震災の時。
津波に飲まれたくさんの人が亡くなった。
まだ見つかっていない方々もたくさんいて、テレビを見ているのが辛い。
ご冥福をお祈りすると共に、一刻も早い捜索、復旧を願いたい。

地震後避難民の報道が始まり、即座にニュースに上がったのが、
インスリンが足りないというものだった。勿論、老人ホームなどの
高齢者の方は、体力がなく避難所に辿り着いた矢先にく亡くなった方も
たくさんいたかもしれない。けれども、まだ健全であり、元気な者が、
その薬がないために明日、あるいは今日自分は死ぬとわかったのだとしたら、
これほど不幸な事はないと思うのだった。それは糖尿病に限らないけれど。

無言の死の宣告。あまり多く報道されないが、インスリン、あるいは、
それに代わる薬、がないがために亡くなった人はたくさんいると思う。
食べ物があっても、その人たちは死ぬのである。
食べ物すらない状態では、それは仕方がないと諦めるしかないのか。

わたしは「今日自分は死ぬ」と覚悟し、
そうして亡くなった方に、敬意を表したい。

東京は今日も余震で揺れる。
その度にみんながぎゃあぎゃあ騒いでいる。
みんなが食料品やトイレットペーパーを買い占める。
みんなが放射線で雨が、とか、水道水が、とか騒いでいる。
みんなが計画停電が東京23区内で範囲に含まれるのと、
除外されるのがあるのはおかしいと、騒いでいる。
みんな自分のことしか考えていない。

そんな「みんな」、死んでしまえばいいのに、と思う。
(ここで言う「みんな」はそのような群衆心理のこと)
これはわたしの個人主義である。

――で、今日は父の通院日であった。薬を無事もらえたそうだった。
「薬は無事もらえましたか」というわたしのメールに、
「はい 薬がないと 死んじゃうもんね」と打ち返した父は、
今何を考えているのだろうか。

わたしはキチガイのなりかけで、
わたし自身がそうだったら、自殺していたような気もする、
と思いながらも、出来るなば、その病気を変わってやりたいと思い
ずっと生きている。

今度実家に帰ったら、注射の打ち方を教えてもらうつもりだ。
法律上、医師または看護士以外で患者に注射を打てるのは一親等までである。

いつも来て下さり、どうもありがとうございます。

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