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2011年3月

2011年3月31日 (木)

■雑談:2011年3月に読んだ本

■2011年3月に読んだ本(13冊)
(年間通してはこちら →*読了本(568)

568 11.03.30 ★★★☆☆*83 「名探偵の掟」 東野圭吾
567 11.03.27 ★★★★☆*88 「坑夫」 夏目漱石
566 11.03.25 ★★★★☆*88 「そら頭はでかいです、世界が~」 川上未映子
565 11.03.23 ★★★★★*95 「私の個人主義」 夏目漱石
564 11.03.21 ★★★★☆*90 「彼岸過迄」 夏目漱石
563 11.03.20 ★★★☆☆*81 「桐島、部活やめるってよ」 朝井リョウ
562 11.03.19 ★★★★★*92 「はだか」 谷川俊太郎
561 11.03.16 ★★★★★*89 「ルパンの消息」 横山秀夫
560 11.03.15 ★★★☆☆*82 「ヒートアイランド」 垣根涼介
559 11.03.06 ★★★☆☆*83 「田舎の紳士服店のモデルの妻」 宮下奈都
558 11.03.05 ★★★★☆*86 「夜のミッキー・マウス」 谷川俊太郎
557 11.03.04 ★★★☆☆*85 「DZ」 小笠原慧
556 11.03.03 ★★★★☆*87 「荒地の恋」 ねじめ正一

■2011年3月に読んだ漫画(12冊)

【漫画】「I'll~アイル~ 8・9・10・11・12」 浅田弘幸
【漫画】「I'll~アイル~ 6・7」 浅田弘幸
【漫画】「I'll~アイル~ 3・4・5」 浅田弘幸
【漫画】「I'll~アイル~ 1・2」 浅田弘幸

なんだかものすごいラインナップですね、我ながら。
雑食にもほどがあるだろって感じで。

今月は、
夏目漱石の『私の個人主義』と、谷川俊太郎の『はだか』で、生き返って、
川上未映子の『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』で、
覚醒した一ヶ月でした。


明日4月。
今日もひとり、別れを告げた人がいた。
出会えばいつか別れることを解っているはずなのに、
「お元気で」
と言って笑顔で手を振ったあと、やっぱりわたしは廊下でひとり涙ぐんだ。
いつだって会えるはずなのに、なぜかわたしは会おうとせず、
永遠の別れにしたがるのだ。
それは自分があんまり弱すぎるので、
守れるものが少なすぎるからなのかな。
なにか他に原因があるだろうか。
まぁ、実際は自分すらも守れていないのだけれども。


ひきつづき、4月もぼちぼちいこうと思います。
お薦め本随時募集中。
ずたぼろな感想を書いて顰蹙を買うかもしれませんが、
それもまぁ御愛嬌ということで、何卒。

いつも来て下さり、どうもありがとうございます。

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2011年3月30日 (水)

「名探偵の掟」 東野圭吾

名探偵の掟 (講談社文庫) 名探偵の掟 (講談社文庫)

著者:東野 圭吾
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


毎年なんだかんだ言って、一番読んでしまう東野圭吾。この人の本は、
「お茶請け」的である。と言うと多方面から反感を買いそうだが、
「とても面白いことは滅多にないがとても詰まらないことも滅多にない作家」
だと思う。やはり反感を買いそうだ。それにしてもやりすぎだよ東野さん。

「第一章 密室宣言――トリックの王様」
「警部、事件であります。奈落村で殺人事件が起きました」
布団の中にいた私の元へ、お決まりの電話がかかってきた。当直刑事の
うろたえる声が耳に飛び込んでくる。ミステリ小説では極めてありがちな
出だしである。私は早速部下を連れてジープに乗り込み、奈落村へ向かった。
村にはよぼよぼの巡査しかいないと言う。これでは無法地帯も同然だ。
私が死亡した作蔵という男の家を調べていると、野次馬の中から、
よれよれのスーツにもじゃもじゃ頭という変な格好の男がステッキを
持ってやってきた。このシリーズの主人公、天下一大吾郎だ。
「また君か。なぜこんなところにいる?」私はお決まりのセリフを述べた。
「それより大河原警部、この事件はどうやら、『あれ』のようですよ」
「『あれ』なのか」……閉ざされた雪深い農村で起きた殺人事件。
雪の上の足跡は、第一発見者の鉄吉のものしかない。これは、もしかして、
禁断の、『あれ』……み、みみっし……いや、読んでからの方がよろしい。

そもそも「ミステリ」という書物は、人間にとっての最大の娯楽ではないか
とわたしは密かに思っている。現実社会で人を殺してしまうと、残念なことに
警察のお世話になってしまうので、その鬱憤を晴らすために、これらを、
読むのではないか、と思うのである。ことに、最近のミステリは、もはや
「ネタ切れ」状態である。とっても面白いミステリは、遠い昔にアガサ・
クリスティやアーサー・コナン・ドイルが書いてくれているので、
もはや、今からそれらを超える名作を作り出すのは不可能ではないか、
と考えられる。その結果、そのミステリ作家の混迷の結果、生まれたのが、
この本と言ってもいいだろう。東野さんは、意欲的にいろいろなパターンを
描く作家である。『十字屋敷のピエロ』や『むかし僕が死んだ家
仮面山荘殺人事件』『私が彼を殺した』などなど、いろいろな「トリック」
を駆使した作品を作り出している。どれも東野圭吾色。まさしくミステリを
作り上げており、感嘆、ではあるが、しかしそれらの「トリック」の、
ネタ元を辿れば、いつかどこかで誰かが書いたようなミステリなのである。
「女が宙に浮く手品を何度も見せられて、「トリック」が違うんです、
などと言われても、誰も喜ばない」と言うようなことがどこかに書かれて
いたが、自分たちを失笑するにもほどがある……痛々しすぎて泣けそうだった。
いや、物語は、実に滑稽極まりなく書かれているのだが、「どんなに
頑張ったってすでにすごい作品がたくさんあるからもう仕方ないのさ!」
といった開き直りを感じるのだった。確かに、そうだと思いますよ、東野さん。
しかし、やっぱりミステリを求めている人間がいるからには、「新しい」
何かを描かなければならないわけで。だから『容疑者Xの献身』のように
人情に迫るか、堤幸彦監督の『TRICK―トリック』のように、テーマは、
もはや「定番」でよろしい、ギャグすら吹き飛ばすありえない「トリック」
でゆくか、という2パターンにわかれるような気がする。この本は、
そのどちらとしても描かれておらず、そのようなミステリ界を俯瞰して
笑うためのものである。エッセイか解説本でもいいんじゃないの? な、
あきれるほどの失笑と、あきれるほどの苦悩を鑑みて、「作家って大変だな、
っていうか「新しい」っていう定義がそもそも……」とか同情する始末だった。
『黒笑小説』とか、そんなんですね、もはや。やりすぎです。
そう言えば、このドラマ見たかも。松田弟の出てるやつ。あれがそうだったのか?

★★★☆☆*83

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2011年3月29日 (火)

■雑談:極端すぎるのは知っている、なぜなら遺伝だからだ

ライブを観るという行為は、わたしの自尊心をくすぐる。

必死に演奏している彼らたちから、元気を貰うと同時に、
「お前、何やってんの?」って軽蔑の眼差しで見られているような気がする。
「楽しい」という気持ちよりも、「負けたくない」という気持ちが先に
あふれ出て、楽しいのだか、悲しいのだか、挑んでいるんだか、
挑まれているんだか、よく分からない気持ちになっていつも帰っていた。

よくない傾向である。

だから、わたしはライブを観に行くのをやめた。やめると決めた。
やめると決めなかったら、「楽しい」という気持ちにずるずると
引き摺られて、「負けたくない」という気持ちがずたずたに
なりそうだったからだ。わたしは何をやっても極端である。

0か100しかない。

よくない傾向である。

でも0か100しかない場合、1つだけいいことがある。
「負けたくない何か」で、100を得たときである。
もちろん、音楽ではないな。
オーケストラの経験から音楽に才能がないのは歴然としている。

つーことはだ、なんだ……アレだよ、アレ、
特技を見つければいいのである!(お前は小学生か)

しかしとどのつまり、でも明らかにそう言うことである。
生産性のある何かで、自分が負けていると感じない何かで
100点を得ればいいのである。(自分の中で)
そうしたら、こうなんとなく対等な気持ちで(偉そうなことを言うが)、
平穏な気持ちで、ライブを観る事ができるのだろうな、と思う。

何か。
頑張ろ。
それは1つしかない。

なにせ、0か100しかないくらいだからね。

だから、それまで、みんなバンドやめないでね。
という、とどのつまり、勝手なお願いである。
図々しいにもほどがある。

***

それにしても、SMAPの4億円寄付、すごいなぁ。
呆れるほど、すごいなぁ。4億……。
わたしも寄付できるくらいの財力をその100で、得てみたい。
ま、無理だろね。
だから、今はコンビニのおつりで許してください。

いつも来てくださりありがとうございます。

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2011年3月28日 (月)

■雑談:太陽

なかなか書けなかったけど。
今、わたしがよく観ている「つばき」というバンドのボーカル、
一色さんが、脳の病気(おそらく脳腫瘍)のため活動を休止している。

その間も「つばき」の音楽を途絶えさせないため、という目的から、
「つばきフレンズ」と呼ばれる、つばきの仲良のよいバンドの人たちが、
彼らの曲をカバーしたりして、活動している。

「つばき」は、去年10周年でした。10年続けるって、すごいよね。
すごい、にはいろいろな意味が含まれるけど、
この今を観たらとても簡単にわかると思う。
とにかくもう、友だちがいっぱいなんである。

他のバンドで誰かが入院したとしても、こんなことみんなやらないでしょう。
やりたいかも知れないけど、やらないでしょう。

でも、「つばきフレンズ」の彼らはやっている。
呆れるくらい必死に。必死に。
観ている人も、弾いている人も、みんな一色徳保のことを必死に考えている。

誰かが一色徳保のために何かをやりたいと思い始めて、
この企画をやろうと言い出してから、参加する人を募って、
やるって人がたくさん出てきて、チケットをつくって、
お客さん300人くらいがチケットを買って、
下北沢に集まって、弾いて、歌って、聴いて、
その間、ずっとずーっとみんな一色徳保のことを考えている。

すごいだろう。

300人の頭の中はみんな一色徳保だ。
そんなことをさせてしまう、すごい一色徳保は、
脳腫瘍なんかに負けず帰ってくるに決まっているのである。

でしょう、一色さん。
待ってますよ。

みんなで。

http://i-radio.cocolog-nifty.com/tsubaki/2011/03/post-58a5.html

ちなみに、わたしはこれらのライブを観ていない。
負けないよう、それまでに元気になりますね。

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2011年3月27日 (日)

「坑夫」 夏目漱石

坑夫 (新潮文庫) 坑夫 (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


とある人が「僕は坑夫になりたい」と書いていたので、「はて、
夏目漱石の坑夫はそんな話だったかしらん……」ともやもやして、
読み返した。中身をほとんど覚えていないものだなぁ、と最近
つくづく自分の記憶力を残念に思う。わたしはまだ坑夫にはなりたくない。

家出をし、道をひたすらに歩いて疲れ果てたと思っていたところ、
茶屋で長蔵という男に声を掛けられた。長蔵は「坑夫にならないか」
と言う。自分の中の、坑夫という職業のイメージは大変悪かったが、
ついぞ先ほどまで死ぬ気で家を出てきたものなのだから、坑夫という
落ちぶれた職業に就いてもみるのも悪くはないだろうと思った。
連れられ歩いて行くうち、長蔵は自分の他にも二人の人間を坑夫に
誘った。四人は山を目掛けて夜道を無言で歩いていった。それだけでも
死に物狂いに思えたが、山の坑の中は、更に酷かった。目が落ち窪み、
瞳をギョロつかせた坑夫たちからは、体も細く、新参者の自分には、
この職業が勤まるわけがないと愚弄された。それでも家には帰りたく
なかった。家に帰ったあとの苦痛を考えたら、坑の中で無言で労働
する方が、地獄と言う意味でも、自分では収拾のつけられない人の
感情から遠ざかるためにも、いいように思えた。

坑夫という職業について「こんなにも最悪の条件下でしか働くことが
できない身分の人間」とわたしは解釈した。そのため、まだわたしは
坑夫にはなりたくない。最悪の条件下というものがあるとするのなら、
それを決めるのは自分ではない。ことにこの主人公であっても、
主人公にとっての最悪の条件下は、家にいて艶子と澄江という女との
三角関係に悩む、という平々凡々かつ、自分ではどうしようも解決
しがたい深刻混迷なものだ。けれども、諸氏一般の最悪の条件下は、
安さんがいうように、坑夫の方がよっぽど下であろう。というように、
この本は、個人的な最悪の条件下から逃れるために坑夫を選ぶ、
という構図になる。「坑夫になりたい」という言葉は、個人的な
最悪な条件下から逃れる、もしくはその条件下をなかったものとし、
更なる最悪な条件を突きつけられたい、ということになる。
自分にとっては最悪でも一般にはぜんぜん最悪ではないということだ。
あるいは、個人の捕らえ方は様々であるから、坑夫のような、
「ストイックさ」のような、それにしか打ち込めない人間の様子、
と受け取ったのかもしれない。そういう意味でなら、わたしも
「坑夫になりたい」ような気もする。しかし、どう見積もっても、
回りまわって、この本の重点は、個人的な最悪な条件下から逃げる、
というものにしかわたしは思えない。逃げちゃあいけない。
そのまたあるいは、「生み出さない」決められた仕事という意味かしらん。
主人公も、いろいろな葛藤の末、結局東京に戻る。ある意味その
ような様子を匂わす描写があるから安心して読めるのだ。
「坑夫になりたい」という言葉は、だから、坑夫よりも不完全な
自分への戒めを感じているという心理を裏付ける言葉だろう。
まったく主人公と同じである。ところで、この本は夏目漱石が35歳
のときに書いた本である。あの時代だったら、35歳と言えば、
だいぶいい年端だったのかもしれないが、それにしても心理描写が
なんとも重々しく、まるで精神科医のごとく人間の心をしげしげと
観察している様子が、恐ろしく冷静で且つ丁寧であった。
こうとまで人間の心理を小説に描かれては、何も文句の書きようもない
のである。夏目漱石ほど「先生」と言う言葉が似合う人間を
わたしは知らない。最近、そういう人、いないよなぁ。人間の真髄は、
今も昔も変わらないと思う。現に、今この本を読んでも心に響く。
それなら今時の「坑夫」ではない形で、その心のうつろいを、
誰か美しく描いてはくれまいか、と嘆きたくなる。誰か、誰か。
今の時代の心の叫びを。地味で尻切れながら、この重み、脱帽である。

★★★★☆*88

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2011年3月26日 (土)

■雑談:校庭の空よりも高いもの

今日は久しく会っていなくて会いたかった人、ベスト3に入る1人に会った。
軽く2年は会っておらず、その間まったく連絡を取っていなかった。
喧嘩をしたのである。

いや、喧嘩にも及ばなかったから、会わなくなったのだろう。
ともかく、あの頃のわたしは彼女から逃げていた。
いつ彼女のことを嫌いになったのかわからなかったが、
会うたびに、じわじわ、じわじわと彼女が嫌いになっていった。

会うたびに、なんて言うが、彼女は幼なじみと言っていいほど、
昔から知っている友だちだった。
今までもいつだって一緒にいたし、いつだってそばにいた。

それが就職という言葉を境にして、わたしと彼女は遠ざかっていった。
きっと、わたしが遠ざけていたのだろう。
彼女はいわゆる「作る仕事」をする職業を選んだ。豪快に。
そして彼女は忙しかった。

その時わたしはまだ大学生で、
しかも会社員で、アルバイトで、パートだった。
どれも生産性のまったくない「作らない仕事」だった。
そしてお金がながなくて、死にそうだった。
でも、死にそうって誰にも言えなくて、
彼女になら相談できるかもしれないと思っていた。

賭けてもいいが、あの時彼女よりもわたしの方が忙しく時間がなかった。
それなのに、彼女は遅刻した。何度も何度も遅刻し、
しまいには謝らなくなった。忙しいから、仕方ないと言った。

就職した彼女は、ちょっと気取った女になった。
「作る仕事」をしている人間の、自信あるあの表情である。
彼女はわたしに会うと、その表情をして、
今の仕事がいかに忙しくて辛くてどうしようもないか、を楽しそうに語った。

わたしは相談できなかった。
どう見積もっても共感を得られるなんて思えなかった。
そう思ってしまった。
それから、わたしは彼女に会うのが嫌になった。
「作る仕事」をしている人間の、自信あるあの表情を見たくなかったのである。
まったくもって生産性のない毎日をおくる自分が惨めだったから。
わたしは彼女の誘いを拒否し続け、気づいたら2年が経っていた。

今日新宿駅であった彼女は、わたしの顔を見て、
「元気そうでよかった」と第一声に言った。
わたしは今、元気ではない。
微笑み返したわたしは自分が上手く笑えているのか、不安だった。
「元気じゃないよ」と嫌味っぽく言い返しそうな嫌な感情すら芽生えた。

しかし、帰り際になって、
「元気そうでよかった」の前には、
「わたしが思っていたよりも、」とついていたのだろうと、わかった。

話した内容は、どうでもよいことばかりだった。
ただ2年前と同じ、どこにでもあるような女の悩みと、
どこにでもあるような世間話をして、服屋とCD屋と本屋をうろついた。
何も2年前と変わっていないように思えた。

ただ変わったのは、わたしの幼く窮屈だったこころだけである。
ただそれだけのために、もう何年も共にしてきた親友を、
わたしと彼女はなくすところだったのである。

ごめんなさい。
ともう少しで言ってしまいそうだったが、止めた。
その言葉は、もっと大切なときにとっておこうと思った。

ありがとう。
今日は、そう伝えられてよかった。

今日朝起きた時、なんだか突然パパパッって電光石火みたいに、
記憶の写真が飛び出してきて、彼女に初めて会った日のことを思い出した。
わたしは「ねぇ、ゆえちゃん」と、彼女を呼んだ。

自転車の停められた、天気のいい空の高い校庭の片隅で、
振り返り、「『ゆえ』じゃないって言ってるでしょ」と彼女は怒った。
まるでそれは昨日のようで、でもずっとずっと昔のことで、
自分は中学生のようで、頭の中がぐるぐるして、おかしかった。
わたしは、あはははって、ひとり部屋で笑って、泣いた。

会えてよかったな、今日。

いつも来てくださり、どうもありがとうございます。

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2011年3月25日 (金)

「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」 川上未映子

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります (講談社文庫) そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります (講談社文庫)

著者:川上 未映子
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


友人に借りていました。ずっと忘れていました、ごめんなさい。地震が
あった日、家に帰ったら、本とCDがそれはもう大変な惨状を作り上げて
いました。その一番上にこの本がありました。「今読まずにいつ読むん?
あんた読む読むゆうて、ほんまは読まん気やろ?」と腕を掴まれました。

女子の世界は妖しくて愛しくて我武者羅でときどき、こわい。
2003年8月29日夜明け前から2006年8月29日誕生日の夜まで、文筆歌手・
未映子の3年に渡る日記。ブログ『未映子の純粋非性批判』に加筆修正。
(Amazonより)

こんな、流れるようなこてこての関西弁を文字で流暢に使いこなす作家を
久しく見ない。そもそもこの本自体、日記のようなもので、気のてらいなく
書いてあるせいか、まるでほんのすぐそばで、「そやねん、そやねん、私は
それが言いたいねん。わかる? ほんまに? ほんまにか。そらあんた私と
気ぃ合うかもしれへん。今度サボコの写真見せたるわ」くらいの勢いと
馴れ馴れしさで、話しかけられているような気分になった。実際上記の
ような文章はないが、そんな「未映子」という人の人柄と、彼女が
言いそうな言葉がありありとわかるほど、言いようのない人間味が溢れていた。
それともう一つ、ありありと感じたのが、「未映子」、この人は、
一度壊れてしまった人である、ということであった。一つのタイトルにつき
書かれている話は、読み始めるとほとんどが、まったく違うところに行き着き、
話が終わる。ん? 何が言いたいのだ? と最初は首を傾げていたのだが、
読み進めるうちにそれが彼女の世界であるのだ、と気づいた。壊れた
人間が作り出す、逃げ道のような尋常では通りがたい世界。
音楽で言ったら、まず「THE NOVEMBERS」や「神聖かまってちゃん」
や「モーモールルギャバン」とかいった類の領域だろうな、って感じ。
そこは、どうやって辿り着けるのか、平凡な人はわからないのであって、
もちろんそれそのものが「未映子」の個性(あやふや・笑)なのだから、
その道という道は「未映子」しかわからないのである。しかし、時おり、
真摯に語られる悲しみに満ちた彼女の過去は、どこかツーンと心に響く
ものがあって、そうかそうか、そうなんだ、と同情とも共感とも得ない
感情と、どうしようもない切なる羨みを感じるのだった。
何せ、彼女は「一度壊れてしまった人」だからだ。壊れた、でも、
今は壊れていない。壊れた、と言う概念は、単にわたしがそう思うだけ
かもしれないが、要するに、夏目漱石先生のお言葉を拝借すれば、
「やりたいことを無我夢中で探し当て、こだわりを踏み潰」した人、
である。何かを経た、という感慨を、何故かひどく感じた本だった。
作家も、音楽家の書く詩も、何かを経験しなければ、人のこころを響かせる
ようなものは作れない。ぼろぼろに原形を留めぬほど霧散し、その霧散
することで感じえたなけなしの感情をこれで許してください、と差し出す
のである。生まれてこなければよかった。わたしも「未映子」と同じ
懺悔を繰り返しながら育った人間だった。そして今、壊れている。
壊れ続けている。わたしもいつか「何かを経た」、その人になりたい。
いつか、「あんた頑張ったね」と言ってやりたいのである。がんばるよ。
貸してくれたあなた、ありがとう。後で必ず返します。

★★★★☆*88

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2011年3月24日 (木)

■雑談:死と向き合うことについて

どうもこんばんわ。

今日は父の通院日であった。わたしの父は重度の糖尿病患者である。
こんなプライバシーをここで公開していいのかよくわからないが、
まぁ、今までも散々書いてしまったので、もうしかたがないだろう。
父はおそらく「1型糖尿病」と分類される患者で
(わたしは昔も今も詳しく教えてもらったことがない)、
インスリン注射を毎日4回打っている。
病歴は軽く20年目くらいに入っており、
もうインスリンを打たない日は、彼にはやってこない。
インスリンを打たない時、あるいは打ち忘れた時、あるいは打てない時、
は、父にとって即座に「死」を意味する。
インスリンの量は、毎日自分で調節するのだが、
少なすぎては高血糖で意識を失い、
多すぎては低血糖で体の細胞が生命を維持できず死ぬ。

わたしは父によくぞ今まで生きてきてくれた、と思う。
いや、そうなったからこそ、父は生き延びねばとさらに強く思ったのか。
わたし自身がそうだったら、自殺していたような気もする。
反面教師、わたしは甘いものがあまり好きではない。
あはは、その割には甘いものは別腹だけど。
などと、勝手なことを言うが、けっこう笑い事ではないのである。

例えば今回のような大震災の時。
津波に飲まれたくさんの人が亡くなった。
まだ見つかっていない方々もたくさんいて、テレビを見ているのが辛い。
ご冥福をお祈りすると共に、一刻も早い捜索、復旧を願いたい。

地震後避難民の報道が始まり、即座にニュースに上がったのが、
インスリンが足りないというものだった。勿論、老人ホームなどの
高齢者の方は、体力がなく避難所に辿り着いた矢先にく亡くなった方も
たくさんいたかもしれない。けれども、まだ健全であり、元気な者が、
その薬がないために明日、あるいは今日自分は死ぬとわかったのだとしたら、
これほど不幸な事はないと思うのだった。それは糖尿病に限らないけれど。

無言の死の宣告。あまり多く報道されないが、インスリン、あるいは、
それに代わる薬、がないがために亡くなった人はたくさんいると思う。
食べ物があっても、その人たちは死ぬのである。
食べ物すらない状態では、それは仕方がないと諦めるしかないのか。

わたしは「今日自分は死ぬ」と覚悟し、
そうして亡くなった方に、敬意を表したい。

東京は今日も余震で揺れる。
その度にみんながぎゃあぎゃあ騒いでいる。
みんなが食料品やトイレットペーパーを買い占める。
みんなが放射線で雨が、とか、水道水が、とか騒いでいる。
みんなが計画停電が東京23区内で範囲に含まれるのと、
除外されるのがあるのはおかしいと、騒いでいる。
みんな自分のことしか考えていない。

そんな「みんな」、死んでしまえばいいのに、と思う。
(ここで言う「みんな」はそのような群衆心理のこと)
これはわたしの個人主義である。

――で、今日は父の通院日であった。薬を無事もらえたそうだった。
「薬は無事もらえましたか」というわたしのメールに、
「はい 薬がないと 死んじゃうもんね」と打ち返した父は、
今何を考えているのだろうか。

わたしはキチガイのなりかけで、
わたし自身がそうだったら、自殺していたような気もする、
と思いながらも、出来るなば、その病気を変わってやりたいと思い
ずっと生きている。

今度実家に帰ったら、注射の打ち方を教えてもらうつもりだ。
法律上、医師または看護士以外で患者に注射を打てるのは一親等までである。

いつも来て下さり、どうもありがとうございます。

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2011年3月23日 (水)

「私の個人主義」 夏目漱石

私の個人主義 (講談社学術文庫 271) 私の個人主義 (講談社学術文庫 271)

著者:夏目 漱石
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


夏目漱石を連続で読みまくる。わたしにとって非常に危険な状態で
あると同時に、手に取るのが太宰治じゃなくてよかったなぁという
後の祭り、且つ終り良ければすべてよし的な気分を伴った妙な安心感を
得ながら高揚で満たされている。あぁ夏目さんありがとう。

漱石の根本思想たる近代個人主義の考え方を論じた「私の個人主義」、
先見に富む優れた文明批評の「現代日本の開化」、他に「道楽と職業」
「中味と形式」「文芸と道徳」など魅力あふれる5つの講演を収録。
(Amazonより)

手に取ったのが太宰治だったらどうなっていたのか、ということについては、
ここではあまり考えないことにする。久しぶりに読んだ「私の個人主義」は、
こんな気分だからかとても体の内内に響いた。つくづく思うが、
この本は戦前に書かれた本である。あたり前である、夏目漱石は
戦前の人なのだから。もしも、(もしも、なんてことはないに
決まっているのだが、)夏目漱石が戦争を生きた人だったら、
今はどう変わっていただろうと、思って止まない。まだ海外に行くにも
困難な時代にイギリスという先進国を目の当たりにし、素晴らしいと
褒め称えながらも、影響されることはないと首を振る。これは私の
個人主義、と称しながらも、挑戦しないことには、一生を不愉快に
生きるのはお前だ、と脅しいる。その卑下ているようで、誇っている
ようで、あるいはこう脅しているその巧みな言葉たちは、現代の
わたしたちをも奮い立たせる力を持っている。自己本位に生きるべきだ。
やりたいことを無我夢中で探し当て、こだわりを踏み潰すまで
歩きつくせ。とつとつと、語られる冷静な語りのうしろには、
轟々としたそれこそ、夏目漱石の夏目漱石たる自己本位を感じるの
だった。だから君たちも、自己本位に生きろと。人は考えすぎると、
神経衰弱になる。夏目漱石もまた神経衰弱になり、この神経衰弱
という言葉は、彼の小説にまるで慣用句のように出てくる。でも、
それを突き抜けろ、と彼は言う。この本を読んでいると、
「はい、突き抜けてみせます」と何の衒いもなく答えたくなる。
何の躊躇もなく、そう思うのである。そのあとのごちゃごちゃとした、
いろいろな面倒なことを考えるのは、それからでいいのだ。
突き抜けることこそが自分のための自己本位であり、そして、
それを他人に認めることが、国を立たせるためのすべてであると。
突き抜けて見せます、と赤シャツ先生に生きているうちに言いたかった。
生まれる時代を間違えたと思いつつ、女である以上それ以下である気もする。

★★★★★*95

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2011年3月21日 (月)

「彼岸過迄」 夏目漱石

彼岸過迄 (新潮文庫) 彼岸過迄 (新潮文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


夏目さんの本はぼちぼち読むのですが、とりわけ感想を書くでもなく。
文句ある感想を書くのもおこがましいと思うほど、敬愛している作家
であったりします。と言いながら、今回感想を書いたりしていますが。
最近のわたしの密かなる楽しみは、夏目漱石の千円札を集めることです。

敬太郎は須永という偏屈な友人から、事業家である叔父を紹介して
もらい、相当な地位を得ようと考えていた。須永は元より、こうして
いろいろな地位が得られるのを知りながら、それを断り続け何も行動
しない、なんとも奇妙な男なのだ。須永の叔父・田口は忙しい男で
一度は断りを受けたが、懲りずに訪ねたところ、面白い仕事を
紹介された。なんでも額にホクロのある男を、駅で待ち伏せし、
様子を報告しろと言うのである。まるで探偵のような仕事に緊張した
敬太郎は、占い屋へ行ってみたり、験を担ぐため蒸発した冒険男の、
不気味なステッキを持ち、行動を行ったりした。そして実際のところ、
ホクロの男・松本は、実は須永や田口と親類であり、松本と会っていた
女は、須永の許嫁であることが知れた。狐につままれたような敬太郎
だったが、今度は須永から許嫁・千代子の話を聞くことになるのだが……。

敬太郎で始まって、敬太郎で閉じてあるが、この本の主人公は、
須永であると言っても過言ではないだろう。どことなく『こころ』を
彷彿とさせる構成になっており、主人公敬太郎は、ほとんどが聞き手
である。許嫁・千代子についての須永の独白は、もはや圧巻としか
言いようがなく、なぜか結婚に踏み切ることのできない自分の心情、
窮屈な性格と、その性格を育んだ不穏な空気を、見事に描いている。
幼なじみであり、昔からの許嫁として過ごしてきた須永と千代子は、
当然結婚するものと誰しも考えていた。とりわけ須永(市蔵)の母は、
それに積極的であり、この婚姻も彼女の策略に違いないのだった。
しかし、市蔵は、千代子を結婚相手の女として見る事が出来ない。
結婚したくないが、彼女が誰かと結婚するのだと考えると嫉妬する。
だが自分と一緒になることによって、千代子は不幸になるに違いない、
と考えて病まないのだった。どうしてそのような内向的な思考になって
しまうのか。松本からもたらされる真実の話は、虚をつくようであり、
大変納得のいくようであり、泣き出したい気持ちであるのだった。
自分に原因のない、それを知るものだけがひた隠していた市蔵の秘密は、
市蔵の周りで、奇妙な形を描きながら、彼にまとわりついていたと知る。
その「因果」に苦悩する市蔵、またその恋模様、さすが夏目漱石
と言わせるそれがここにあると思う。また森本のところで語られる
娘の死についても、死を知ったときの悲しみの衝撃を懐かしむような、
言いようのない不確かな心持も、とても納得がゆき、心に響いた。
わたしは去年祖父を亡くしたが、死んだ祖父の肉体を見た衝撃よりも、
お骨になり、骨と化した祖父を見て安心したのをよく覚えている。
「いなくなって安心した」これもまた妙な表現である。そして、
そのわなわなと唇が震えるようだった、通夜の夜の激しい心の波を、
とても愛しく思った。

★★★★☆*90

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2011年3月20日 (日)

「桐島、部活やめるってよ」 朝井リョウ

桐島、部活やめるってよ 桐島、部活やめるってよ

著者:朝井 リョウ
販売元:集英社
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夏目漱石と横山秀夫と谷川俊太郎の合間に読んだのが悪かったのか?
もちろんそれもあるんだろうと思うのだけど、なにぶん「読みにくい」
のである。なんなんだ、この文章の「読みにくさ」。なんだんだろう、
この飾るだけの「読みにくさ」。読んでくれる人を顧みろ。デビュー作。

「小泉風助」
桐島がやめるらしい。桐島は頼れる男子バレー部のキャプテンだ。
顧問の先生も何だか言葉を濁して、なぜ桐島がやめるのか何も語らなかった。
桐島がやめる……。あの桐島がいなくなる、ということは、
桐島が独占していた決定だったリベロのレギュラー枠が、俺に回ってくる
ということだった。チームのみんなは何気なく「風助よかったな」と
言ってくる。嫌味のないその言葉が、俺の中を巡り、そして俺は
やはり嫌なヤツなのではないかと思うのだった。俺は桐島が戻ってこなくて
いいと思っている。桐島のいなくなったコートは、けれどなんだか
落ち着かなくて、飛んできた相手のボールを上手く受ける事が出来なかった。
桐島はよく俺の意見を聞きに来たのを思い出す。「風助今のどうやった?」
ベンチに座っていた俺は、桐島の背中ばかり見ていただけだったと思い知る。

連続短編集。部活動の、レギュラーとそれ以外、や、クラス内の
「上」「下」などの微妙な立ち居地について描かれている。雰囲気が
まったくもって豊島ミホみたい。あー……また、「みたい」が出てきたぞ、
とそれだけでなんだか途中で気分が萎えてしまった。時おり出てくる、
チャットモンチーや岩井俊二といった日本人の名前が、なんとなく、
安っぽいものに見えてしまう構成になっていて、どうもぐっとこなかった。
ちなみに、わたしはチャットモンチーも岩井俊二も、映画も大好きで、
出てくる映画やクラシックやバンドの引用物はすべて知っていた。
だから、だいぶ登場人物の気持ちを把握できたと思うのだけれども、
あまりにも引用(しかもややマイナー系の)が多すぎて、チャットモンチー
や岩井俊二をまったく知らない人が読んだら、まったく面白くないだろうな
と思った。だって、説明がまったくないのだもの。クラシックでさえも、
ハンガリー舞曲第五番、と聞いて、その曲がおよそ10年位前に
「さけるチーズ」という商品のテレビのCMであったのを覚えている人が
一体何人いるだろうか? わたしは偶然にも高校のオーケストラでこれを
弾いたから知っていたけど、大半の人は「?」な上に、ブラスバンドで
ハンガリー舞曲やれるのか?とか思ったりした。あの曲はヴァイオリン、
ビオラがパートのほとんどを占めるオケ曲である。ブラバン版もあるのか?
登場人物の心情を語ったとしては、若々しい感情が(作者が若いし)
描かれていて、「今時の高校生ってこうなんだー」みたいなのが
描かれていたような気がするが、きっと六十歳とか七十歳の方々が
読んだらさっぱりわからない感情たちの羅列であったように思う。
説明文が圧倒的に少なすぎる上に、引用がマイナー狙いすぎるからだ。
ちゃんと六十歳の人が読むかもしれないと思って書いた?と聞いてみたい。
せっかくの初々しさも十代、二十代の人だけが読むだけの内輪ウケ小説と
成り下がってしまい魅力が半減していると思う。桐島が部活をやめてしまう
理由が、もう少し自分の力で(引用を多用せず)濃厚に描かれていたら、
レギュラーとそれ以外、や、クラス内の「上」「下」などの微妙な立ち居地
といった「今どき」な感情をリアルに感じることが出来たように思う。
それにしても若いなー次、期待してるよ!

★★★☆☆*81

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2011年3月19日 (土)

「はだか」 谷川俊太郎

はだか―谷川俊太郎詩集 はだか―谷川俊太郎詩集

著者:谷川 俊太郎
販売元:筑摩書房
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この本は、谷川さんとは何も関係なく、わたしの大切なもの、であったり
します。わたしは基本的に人からものを貰ったりするのが苦手ですが、
あの時はただ、何かが欲しかったのです。「今」を思い出すための何かを。
思えばこんなことをしなくてもたくさん貰っていましたけど。見えないその形で。

筑摩書房、1988年発行。
全編ひらがなで綴られた、谷川俊太郎の詩集。

谷川さんが57歳のときの詩集である。現在も79歳でご存命でいらっしゃる。
先日読んだ『定義』は44歳の時の本で、あのとき感じた少し青臭い雰囲気
(詩を繰ってやるという意気込んだ感情というような)はこの本にはまったく
なく、ある意味拍子抜けであった。(実は『定義』の前に一度読んだのだけど)
中身はすべてひらがな。はっきり言ってとても読みづらい。小学生の坊やが
つぶやくようなたどたどしい言葉は、けれど、ぐっとこころを絞めつける
力を持っている。ある人は「この本の一番最初にある「さようなら」という
詩があるのだが、それを読んでいたら急に悲しくなって泣けてきた」
と言っていた。この「さようなら」という詩は、少年が、両親の元を離れ、
どこかへ行く、という詩である。詩であるから深くは語られず、それが
永遠の別れなのか、疎開ないのか、それともただ1日の別れなだけなのか、
ちっとも分からないのだが、たださようなら、とつぶやかれる。ふと少年を
呼び止めたくなるような気持ちになると同時に、わたしの中にも、
その小さな少年が佇んでいるような気持ちになった。そう言えば、わたしは
いっとき祖母と二人で暮らしていたことがある。1週間だったか2ヶ月だったか
よく覚えていないのだけれど、その頃父は病気で入院しており、母もまた
弟を産むために入院していたからだった。その時間をあまりよく覚えていない
のは、たぶん、覚えていたくないほど寂しかったからだろう。祖母にならって、
折り紙が得意になった。お手玉をした。お手玉の中身は小豆がよろしい、
と祖母が言った。わたしは頑張って、「偉い子」でいることにした。そう
すれば、みんな帰ってくる。そう思っていた。そんなことがあった。
わたしはこの詩の意図を考えながら思い出していた。きっと
「急に悲しくなって泣けてきた」と言ったその人とは、似ても似つかぬ
思い出に違いないが、するする滑り込む柔らかい「ひらがな」は
不意に読み手のこころの奥のほうをさらって撫でてゆき、忘れていた
その気持ちを、きゅっと蘇らせてくれるのだろう。忘れている、ということは、
まだ、覚えている、ということだ。何かをきっかけにして、その感情は蘇る。
蘇らせることができる。何かを思い出すために、あなたも読んだらいいだろう。
何を思い出すか、それは誰にもわからないけれど。永遠に「さようなら」
と思っていたその気持ちを思い出すことができるかもしれない。
研ぎ澄まされたその感性に、ただただ感心するばかりである。

★★★★★*92

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2011年3月18日 (金)

■雑談:霜取りヤシマ作戦

今日は会社をお休みしました。
21日まで業務停止命令が出ているので、
まぁ、行けばやる事はあるけど、行かなくてもいいよ、
みたいな感じだったので、休んでしまいました。

久しぶりに金曜日の休み!
とか思ったけれど、地震のせいでどこかに出かける気にもなれず、
そもそも1週間ずっと余震の中出勤(しかも早朝出勤の上残業、、)
だったので、体がへとへとでした。

のに、なぜか6時に目を覚ます。
わたしはばあさんか?
神経が過敏になっているのかもしらん、と思いつつ、
ふと冷凍庫の「霜」がすごいことになっているのを思い出し、
朝の6時から霜取りを開始しました。

なんなんでしょう、この女。
自分で言うのも難ですけど。
ふと吉田修一の『パレード』で、深夜にやはり霜取りする未来の姿を、
ぼんやり想像してしまったりした。
こんな気持ちだったのかしら、とか。
まぁ霜を取るのもある種の『ヤシマ作戦』だったに違いありません。
(電気を微弱ながら喰わなくなった、と言う点で)

とりあえず、冷凍庫は綺麗になりました。
冷凍食品でも買っておくかなぁ。
いつもはあんまり買わないのですが、
疲れているので、お弁当のおかずに何か1品楽したい。。

というか現在、冷凍食品が売っているか、と言う問題もありますがね。

東京では
・米
・牛乳
・ヨーグルト
・カップラーメン系
・インスタント系
・ミネラルウォーター
・懐中電灯
・電池
・ろうそく
・マスク
・トイレットペーパー
・ティッシュペーパー
・生理用品
・うがい薬

などなどが、ないです。

みんなーそんなに買い込むなよー。
普通の生活ができないよー。

な、東京でございます。
東京に来る予定の方々お気をつけて。

いつも来て下さりありがとうございます。

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2011年3月17日 (木)

【漫画】「I'll~アイル~ 8・9・10・11・12」 浅田弘幸

I'll 〜アイル〜 8 (ジャンプコミックス) I'll 〜アイル〜 8 (ジャンプコミックス)

著者:浅田 弘幸
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


漫画って本当止まらなくなるよねーマジで。だって気づいたら夕方、
なんだものびっくりやーん。ヤシマ作戦には貢献すべく、夜には極力
読まないようにしていますが。そうそう、昔の人って、夜どうやって
本を読んでいたんだろうって思いますね。ろうそく?紙、燃えるぜ。

なんだか試合続きで、一気に読んでしまった。球技というものにまったく
無縁の生活をおくってきたわたしですが(陸上部でした)、なんだか、
今バスケットボールを持ったら3Pシュートが入る気がします!!!(え)
な、具合に、元気づけられました。茜みたいな人が、周りにひとりくらい
いるといいんだけどなぁ、いませんね。STF「すごく・飛ぶぜ・フィーバー」
とかアホらしいところで笑わせられながら、山崎さんの「頼む」に泣いたり
して、1日で3日分を過ごした気がした。物語もそうなんだけれども、
わたしが、一番楽しみにしているのは、漫画のカバーの内側にある、
作者のコメントだったりする。とりとめのないことが書かれているけれど、
とりとめがないからこそ、その短い文章から人柄が滲み出ている気がして、
毎回そこを読むのが楽しみである。漫画家って辛いお仕事だと思う。
売れないと、リアルにお金が入ってこないだろうし(印税だから)、
アシスタントを使えば使うほどお金が掛かる。後ろの編集記ミニ漫画にも
書かれているけれど、何かを楽しむ余裕さえ、ないのではないかと心配する。
わたしたちは、「すごく・飛ぶぜ・フィーバー」にあははは、とか
笑っているけど、その裏では、たくさんの努力が働いていることを
忘れてはならない。忘れているつもりはないけれど。大人になって、
余計にそう考えるようになった。だからもしこの先どんなに詰まらない
漫画を描く作家になっても、その漫画を買って、「つまんねーよ」って
ファンレターを送ったらいいのだろう。笑わせてくれた恩返しが必要だ。
そんなお情けなんていらねぇよ、とか言われそうだけど、それがわたしの
愛なんだわ。この漫画は借り物だけど。今度は購入しますね。イエー。

★★★★☆*87

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2011年3月16日 (水)

「ルパンの消息」 横山秀夫

ルパンの消息 (光文社文庫) ルパンの消息 (光文社文庫)

著者:横山 秀夫
販売元:光文社
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久しぶりに横山さん。1年ぶり。この本読んだと思っていたのに、読んでいな
かった。わーお、デビュー作にして、これ、この筆力!さすがと言わざるを
得ない。新聞記者ってすごい職業なんだなぁ、って思う。そもそも、物語とか
そういう云々を抜きにして文章が既に読みやすく、物凄く人を引きつける。

十五年前、自殺とされた女性教師の墜落死は、実は殺人事件だった。
警視庁に入った謎のタレコミによって、署内には緊張が走った。
なぜならその事件の時効が明日の0時までであったからだ。当時の
事件の容疑者だと思われる人物を、片っ端から集めた。初めに呼ばれた
喜多が告白し始めたのは、同級生の悪ガキ三人で仕組んだ『ルパン作戦』
という、試験問題を盗みだす作戦についてだった。テストの前日の深夜
校舎に潜り込み、校長室の金庫から、翌日のテスト用紙を盗み出す。
成績を上げようという邪な考えではなく、ただ単に、試験問題を盗む、
という怪盗のような行動を行ってみたかったからだった。試験期間は
順調にすぎ、いよいよ最終日になった日、三人が金庫を開けると、
金庫の中には女性教師の死体があった――。慌てて逃げる三人だが、
逃げる途中、他にも逃げてゆく人影を見ていた。そいつが犯人なのか?
そもそも女性教師は墜落死ではなかったのか?謎は謎を呼び「ルパン」
の名をより怪しく導き出す。

面白かったー!と久々に両手ばなしして読み終わった本だった。
ぐちゃぐちゃした謎がほぐれ、なるほど!という結末。これを
時効まで1日の中にぎゅっと凝縮したことによって、とてもタイトながら、
ハラハラ、ドキドキ、最後まで読み手を放さない力があった。
そして何より、文章の読みやすさ。脱帽である。中学生の時の現代文
なんかで、「文節」とか「修飾語の正しい位置」とか、習った気がしたが、
わたしたちはそんなことはすっかり忘れてしまっている。横山さんの
文章は、とても正しくて、まるで教科書のような読みやすさだった。
この読みやすい文章で、まさか小説が読めてしまうなんて、とある意味、
画期的な感じだった。教科書でありながら、キャラクターも生きている。
デビュー作ということもあり(とはいっても結構改稿されてはいるようだが)、
飾らない文章が、余計に新鮮で、浮かび上がった生き生きとした人物たちが、
十五年という歳月を教えてくれた気がした。ただ、物語の中に、
三億円事件の犯人について、ひつように書かれているのが、少しミスマッチ
な気がした。わたしは生まれていないが、(調べたら1968年の事件だった)
そのあらすじくらいは知っている。警察や新聞記者は、そうとう悔しい思い
をしたのだろうな、とも、うかがい知る事が出来る。それを「立て看板的」
に引用する事で、未解決事件の解決達成を描きたかったのだろうが、
三億円事件はまったくの謎が多すぎて……というのが有名である。
別にここで三億円事件を推さなくても十分面白い物語だったろうなぁ、
とも思ったりした。するすると導き出される結末、そして幸子の正体。
不覚にもうるうるしてしまう後半、してやられたラスト。デビュー作、
にこれですか。な一品。一読の価値あり。横山さんはやっぱり長編が
いいと思うのだけどなぁ。あ、ぜんぜん関係ないけどなんだか突然乙一の
『夏と花火とわたしの死体』を再読したくなった。これもデビュー作。

★★★★★*89

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2011年3月15日 (火)

「ヒートアイランド」 垣根涼介

ヒートアイランド (文春文庫) ヒートアイランド (文春文庫)

著者:垣根 涼介
販売元:文藝春秋
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読み始めたとき「何だか池袋ウエストゲートパークの渋谷版みたいな
印象だった」という感想を聞いたので、「確かにそうかも」と思い
ながら読んだ。けど、なんとなく伊坂さんの「マリアビートル」の
ような雰囲気もし、比べてしまったためか、なんだか楽しめなかった。

ずば抜けた知識と腕力を持つアキとカオルは、未成年でありながら、
ヤクザな街・渋谷で自分たちの遊びを繰り広げていた。強いヤツだけを
寄せ集めた彼らは、「雅」という名で知られている。レッド・クロス
と呼ばれるバーで行われるそれは、渋谷のヤンキー同士を戦わせる
ファイトパーティーだった。いつでも殴り合いをしたくてうずうず
している若造たちは、口伝えに噂を聞きつけバーにやってくる。
一方、六本木のヤクザが運営していたカジノバーが、プロの強盗集団に
大金を奪われる事件が起きた。強盗の三人は、金を山分けし、
解散したが、その一人を「雅」のメンバーが襲撃した。バッグを
奪ってきたのはいいものの、中を開けてみたら大金だった「雅」の
メンバーは、及び腰になり、出来るだけ穏便に金を返そうとするが、
今度は渋谷のヤクザ組が動きだし……。

画面切り替えが4面。多すぎる。さながら伊坂さんの「マリアビートル」
を思い出しながら読んでいた。その上比べてしまうと「マリアビートル」
の方が「澄んでいる」と感じてしまった。伊坂さんの場合は、
本の後半になって、登場人物の紹介文はない。ごちゃごちゃ人が
たくさん出てくるのに、今から説明が増えるのか?と、読んでいる
途中で疲れてしまった。最後に全員集合……それを考えると奥田さんも
思い出しかねない……。それと、この本を最初から好意的に
読むことが出来なかった理由は、アキとカオルの元金についてだった。
かなりのページ数を割いて、感動的に描かれている。
両親に見放され家政婦に育てられ、そしてそのばあさんが大金を
残してくれた。「金を大事に使おうと思った」というようなことを
言っているのに、結局使われたのはファイトパーティー……。
ファイトパーティー……。うーん。わたしが元来ボクシングなどの、
攻撃戦が嫌いだからなのかもしれないが、大切な金を、
ファイトパーティーに使おう、という考えからして、「?」だった。
それにしても、垣根さんのイメージががらりと変わって、面白かった
と言うのもあった。まだ「借金取りの王子」しか読んでいなかったので、
サラリーマンものが上手いイメージがあったが、こういうギャングもの
も上手いんだなと思った。(ごちゃごちゃしていなければ、尚)
男の子はこういうの楽しいのかもしれないなぁ、とか。
渋谷の地理の詳しい描写には脱帽です。

★★★☆☆*82

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2011年3月14日 (月)

【漫画】「I'll~アイル~ 6・7」 浅田弘幸

I'll 〜アイル〜 6 (ジャンプ・コミックス) I'll 〜アイル〜 6 (ジャンプ・コミックス)

著者:浅田 弘幸
販売元:集英社
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こんなときこそ漫画かしら!こんなときこそ音楽かしら!とか、
そんな事を少し不謹慎ながら考えている今日この頃。だって、東京人が
スーパーに行って買いだめして、他人に迷惑を掛けるよりは有意義
だと思う。音楽や本は電力を使うけど、心を癒す力があると思う。

ようやくバスケ漫画っぽくなってきたな、って感じ。これ週刊誌で
読んでいたらすごくまどろっこしかったのではないか、とか
少し思ってしまった。この漫画は、バスケのチームの醍醐味、
というよりも、茜と柊(特に柊)の孤独が、バスケで救われた、
という内容が濃い。チームの結びつきよりも、ツートップの2人の
バスケを通じた歪な友情が、ようやく6・7巻で伝わってきて、
「いい感じ」だった。強調されている、この人に出会えたから、
自分は変わった気がする、変われた気がする、という部分がとても
よかった。「俺は あいつと 出会って 沢山のものを 手に入れた
のかもしれない」という何話目かのトップの言葉は、今まで
ふわふわとしていた漫画の輪郭を、キリリと〆てくれ、心によく響いた。
それにしても6巻目から、とても絵が上手くなっていてびっくりした。
アシスタントさんが代わったからかしら……とか(笑)思ったりしつつ。
何だか「ヒカルの碁」の小畑健を少しばかり思い出したりした。
あの人も神がかり的に上手くなっていったよなぁ……最初は、
ほるまりん、みたいな絵だったのに、最後の方は芸術的な魅力さえ
感じた。人はいつでも成長するのだ。見えるもの、見えないものも。
いろんなところで、いろんな方法で。

★★★★☆*87

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2011年3月13日 (日)

■雑談:みなさんご無事ですか

余震が続いていますね、みなさんご無事ですか。
テレビの被災地の映像を見ながら唖然としています。

東京でも震度5弱。
8階や9階のキャビネットや書棚はバタバタ倒れまくりだったようです。
明日からどうするんだろう…東京でもこんななのに、と思うと言葉もありません。

運良く、わたしは無事でした。
実家は栃木で、親戚が福島、宮城、と震源地近くに多く焦りましたが、
なんとか昨日、近親者の安否を確認する事ができました。

テレビを見てしまうと、なかなか眠れませんね。
情報を得ることは大切な事でもありますが、
見すぎると、ショックを蓄えすぎて心の病気になる方もいるそうです。

映像を見るのはほどほどに、
みなさんたくさん、眠りましょう。
眠る前に、一応、念のため、万が一、のために、
大切なものだけをまとめて、逃げる準備をしておきましょう。

映像の威力ってすごいんだなぁ。
あと、NHKのテロップで流れる死亡者名の文字の威力も。

みなさん落ち着いて。
そして節電、節水を。
頑張りましょう。

いつも来てくださり、どうもありがとうございます。

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2011年3月 7日 (月)

【漫画】「I'll~アイル~ 3・4・5」 浅田弘幸

I'll 〜アイル〜 3 (ジャンプ・コミックス) I'll 〜アイル〜 3 (ジャンプ・コミックス)

著者:浅田 弘幸
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


漫画って止まらなくなるよなぁ。いや、小説もだけれども。5巻を
読み終わって、つくづく最後まで借りとくんだった、と思いました。
あと、スポーツ漫画の醍醐味はこうだった、と思い出しもしました。
人は忘れる生きものだから、どこかで思い出させてくれる何かを。

3~5巻は、仲間が出揃ってきて、「仲間」と言う言葉が強調される
ようになった。「仲間」わたしにとって随分忘れていた言葉だった。
わたしは去年までよくバンドのライブを観ていたけど、ステージを
見上げながらつくづく思うことは、「仲間を持てていいな」
ということだった。バンドは特に、金銭面での負担も加わり、
生きていく上での運命共同体ととも言えるだろう。
あと、この辺りを読んで思い出したのは、中学生の時の、陸上部の
時の記憶だった。わたしの中学校は見事なポンコツ校だったけど、
男子のリレーだけは、なぜか神がかり的に強かった。
でも、最初から強かったわけではない。陸上部はご存知の通り
単体競技が多く、練習メニューが個別であることが多い。だから、
「団結力」というものは、ある意味皆無だった。どちらかといえば、
「敵対心」のようなものが部内に蔓延っていて、とても険悪な雰囲気
だった。でも当時の顧問の池田先生は、「陸上は団体競技だ」と
言い張り続けた。「お前が速くならなければ、あいつは速くならない。
わかるか? 実際は「何クソッ」っていう憎しみかもしれない。
でも、それは団体だからなせる技だ。みんなで強くなるぞ。わかったか」
リレーは誰か1人が足が遅いと、決定的な負けに繋がる。
一番遅かった渡辺はめそめそしながらも、でもこころのどこかで
「何クソッ」って思っていたんだろう。それから男子リレーは、
ぐんぐん速くなっていった。地区大会では余裕で優勝するチームになり、
県大会でも上位入賞が当たり前になった。わたしたち3年生が
卒業する最後の大会で、男子リレーは県で優勝し、全国大会の切符を
手にした。高橋がゴールしてガッツポーズをとった瞬間、そこにいた
みんなは泣いていた。走ったヤツも見ていたわたしたちも、みんな。
それは「仲間」だったからだろう。そんな淡い記憶を、
思い出させてくれる漫画だった。人間は忘れる生きものだから、
何かで、過去を思い出す必要がある。それが、漫画であり小説であり、
音楽であり、映画であり、誰かとの再会であったりする。
大切なそれを思い出させてくれるそんな仕事をとても羨ましく思う。
大橋、山名、渡辺、高橋、元気かしら。ちなみに4人は全国大会で
「1:34.01」という記録で11位だった、らしい。観にいけなかったけど。

★★★★☆*85

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2011年3月 6日 (日)

「田舎の紳士服店のモデルの妻」 宮下奈都

田舎の紳士服店のモデルの妻 田舎の紳士服店のモデルの妻

著者:宮下 奈都
販売元:文藝春秋
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東京生まれの東京育ちの子ありで、結婚と共に夫の田舎に行かなくては
いけなかったような、40代女性が読んだら、それだけで何かの共感を得る
だろう。しかし残念ながらわたしは田舎生まれの田舎育ちであった。
高校の最寄駅は徒歩20分だったし、実家からJRの最寄駅は自転車で32分かかる。

夫がうつ病になったため、梨々子は夫の実家のある田舎に引っ越すことになった。
東京で生まれ、東京で育ち、これからも東京で暮らしてゆくと思っていた
梨々子にとっては青天の霹靂だった。幼稚園のお受験や、保育園でのママと
の交流。それからこれからも続くであろう都会でのファッショナブルな暮らし。
それらは呆気ないほど簡単に消え去り、梨々子を田舎へとおしやった。
海もなく山もない、何の特徴も取り得もない夫の田舎。そのうえ知人は
誰一人いない。友人だと思っていた保育園のママ友たちも、本当の意味では
友だちではなかったと知ってしまった。子育てに加え、今までの生活
とのギャップに苦しむ梨々子は、東京での餞別に貰った十年日記に、
それらを書き付けることにした。そんなある日夫が商店街の紳士服店の
チラシのモデルになると報告を受けるのだが……。

上にも書いたが、わたしは田舎生まれの田舎育ちなので、この主人公の
気持ちがある意味でとてもよくわかった。なぜなら、わたしはそこが
嫌だから今東京に住んでいるからだ。でも、また違った意味で、悲しさを
覚える。田舎には、東京に住んだことのない人がたくさんいる。
ましてや、東京に行ったことさえない人もたくさんいる。そういう人たちを、
この主人公は無意識に卑下し、蔑んでいるからだ。なんだか妙に腹が
たって、作者を調べてみたら、宮下さんは福井県の人だった。福井……?、
ごめんなさい、日本地図のどのへんかわからないや……。ということは、
この主人公は宮下さん自身ではなくて、宮下さんの作り出した、
「都会人らしき人」なんだな、と頷いて、わたしは自分を納得させた。
そう考えたら、宮下さんの書いた主人公の女性「都会人らしき人」は、
ある意味人物像として成功していたように思う。きっと都会で育った人は、
自転車で32分もこがないとつかないJR駅を利用するなんて考えただけで
眩暈がするだろうし、「最寄り駅から徒歩20分」を売り文句にしている
高校の宣伝を見ただけで、唖然とするだろう。そして頑張って納得しようと
頑張る。わたしが今作者が福井出身だと知って納得したように、10年かけて、
田舎とは、人生とは、こういうものだ、と納得するのである。残念だったのは、
その納得の仕方が、やはり東京を羨望、あるいは比較していることだった。
人間は生きていればどこにいても同じである。ただこころの中で、
どれだけ幸せであるか、の度合いで決まる、それがいまいち伝わってこず、
ただの主婦の愚痴日誌のような感じになってしまっているように思える。
せっかく『田舎の紳士服店のモデルの妻』なんていうキャッチーな
タイトルなのだから、もっと田舎臭さを全力で存分に出して欲しかったし、
もっと人の服装や考え方や行動のダサさを強調して欲しかった。なぜなら、
それが「田舎」の最大の魅力だからだ。これ以上この上ない魅力だからだ。
銀行と病院とパン屋と豆腐屋、それから美容室と肉屋しか開いていない
商店街とかさ。写真屋のタイル貼りの加減とかさ。ヘルメット被った
学生たちとかさ、丈の長いスカートとかさ。そういうの。それらがまったく
なくて、残念だった。わたしの実家の商店街にも「紳士服店」はある。
ダサくてダサくて、入るのも恥ずかしい。でも、そこがわたしの生まれ
育った場所である。最後の章はよかったんだけどなぁ、もっともっと、
ダサさが欲しかった。底抜けの、止めてくれよって言う恥ずかしさ。
そうそう、少し前まで、うちの実家の最寄駅からは東京へ行く切符が
買えなかった。自動券売機に1000円札しか入れられない上に、840円まで
しかボタンがなかった。東京へ行くには1000円以上かかる。この町を
出るなというのか? でも最近はパスモが使えるらしい。改札はないけど。

★★★☆☆*83

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2011年3月 5日 (土)

「夜のミッキー・マウス」 谷川俊太郎

夜のミッキー・マウス (新潮文庫) 夜のミッキー・マウス (新潮文庫)

著者:谷川 俊太郎
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


なんだか最近詩集ばかり読んでいる気がする。あと、文壇もの。
詩は、短い文節の中に含まれるそれ、あるいはそれの置かれる順序、
あいるはそれの文字の形態、あいるいはそれを読まれることへの認識、
など、いろいろなことが絡んでいるのだなぁ、と思う。短いだけに。

星々は言葉をもつ 宇宙は文脈として 大地もまた 懐かしい無言のうちに-。
この上ない言葉たちが誘う、この上ない世界とのかかわり方。
『新潮』『文学の蔵』等に掲載された作品、書下ろしを収録した詩集。
(Amazonより)

詩集ってあらすじも何もないよな、と思う。特にこの本の中は、
とりわけ連載されていたものでもなく、1995年のものもあれば、
2004年のものもある。だから先日読んだような『定義』のような
一貫性はまったくなくて、むしろ自由に書かれたものを、自由に
纏めた、という雰囲気があった。けれども一冊を通して見てみると、
どこか「死」を感じさせる何かが漂っていた。死を瀬戸際にして
生かされている、いつ死んでもおかしくない、と言ったような
こころがどこかにあるようで、文字と文字の隙間からにじみ出ている
ように感じた。年を取るにつれ、あるいはいくつもの詩を連ねるにつれ、
行き着く境地というものがあるのだろうか。「ミッキー・マウス」や
「3D」という現代的な文字とは裏腹に、精錬され並べられた文章は、
なんともいえない凄みのようなものがあった。これ以上にない
研ぎ澄まされたものだけが残す何かである。まるでクロード・モネが、
晩年の死に際まで「睡蓮」を描いて描いて描いて描きまくったように。
あなたは知っているだろうか、あの「睡蓮」たちに囲まれた時の、
背筋をそっとなぞられるような、息を飲むひと時を。
谷川さんはこの『夜のミッキー・マウス』のあとにも作品を出して
いるが、きっと、それらを制作順に一気に読み干したら、
およそ増してそんな気持ちを得られるのではないか、と思った。

★★★★☆*86

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2011年3月 4日 (金)

「DZ」 小笠原慧

DZ(ディーズィー) (角川文庫) DZ(ディーズィー) (角川文庫)

著者:小笠原 慧
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


DZってそういう意味だったのかふむふむ。mihoさんにご紹介いただいたので
読みました。どうもありがとうございます。初めに書いておきますが、
わたしは高校の、生物の授業がことのほか嫌いでした。先生が、大嫌いで。笑
それと生生しくて。知れば知るほど、自分が何なのかわからなくなる気がして。

アメリカ・ペンシルベニア州で、夫婦の冷凍死体が発見された。頭部を
撲殺されたのち、冷蔵庫に押し込められていたのである。殺害された
2人の他に、彼らの子どもがいるはずであったが、行方不明だった。
夫婦は人里はなれた場所で暮らしており、交友関係もまったくの疎遠で
あったため、事件は迷宮入りしていた。定年を迎え、この事件を最後に
担当したスネルは、諦めきれず、ひとり捜査を再開した。一方日本では、
重篤障害児施設で、目覚ましい発見があった。自閉症の原因とも言われる、
遺伝子レベルの型で、今までにないものを見つけたのだ。「人間」として
生きることを許されず、監獄のような場所で暮らす重篤患者たち。凄惨な
現実の隙間に見える人間的な希望は果たして遺伝子を超えるのか。
殺人をも厭わない遺伝子の進化とは……。

第二十回横溝正史賞正賞受賞作だった。読み終わって、ページを繰ったら、
綾辻さんに内田さんに北村さんに宮部さん……、横溝正史賞ってこんな
方々で選ばれていたんだ、とどうでもいいところで衝撃を受けた。まぁ、
生きている人が誰かを賞すわけだから、いろいろな意味で何を言っても、
しかたがないことである。中身は、少々詰め込みすぎ感が漂う感じ。
まるで桐野夏生の『顔に降りかかる雨』のようなごちゃごちゃぶりが、
なんとなくデビュー作だろうな、という雰囲気を醸し出していて、案の定
そうだった。タイトルを改名してまで強調した、『DZ』二卵性双生児
にまつわる、遺伝子学的な内容は圧巻で、読み手をぐいぐいとひっぱって
くれた。しかし、裏を返せば専門学的過ぎて、圧巻過ぎたとも言える。
上にも述べたように、わたしは「生物」という学問と「遺伝子」について
あまり興味のない人間だったので、内容が濃すぎてついていけず、
新しい遺伝子の発見の凄さについて語られている部分や、その凄さに
驚嘆し歓喜ている登場人物の心境を上手く理解できなかったように思う。
「新しい生物の誕生の神秘」についてとても興味をそそられる一方で、
難解な説明を楽しげに語る登場人物になぜか興ざめしてしまうのだった。
もう少し、読者に親切に……いや、無知な自分が悪いのか。一方、難解な
生物学が繰り広げられる中、物語をぐるぐる引っ掻き回すように、
サスペンスが組み込まれている。生物学であっぷあっぷしているところに、
スネルさんは親身になってやってきて、頭の中をさらに謎に包んでくれた。
ある意味では最良であり、ある意味では最悪だった。結論から言うと、
「生物学」や「遺伝子」や「人類進化学」にとても興味のある人間が
読む場合、このスネルさんは「最良」の効果を齎す。反対に、それらに
あまり興味がない、もしくは少しだけ知りたい、といった消極的な読者には、
スネルさんの存在は「最悪」だった。どこかをもう少しいじったら、
均等のとれたスネルさんになっただろうに、と残念である。たぶんそれは、
「生物学」的な部分で読者に親身でないからだろう。例えば、人間
(主人公や登場人物)の遺伝子は「こんな」だ、とか、具体的な興味の
取っ掛かりが必要だったのでは、とか。あと、国を跨がないとか初歩的な。
あとなぜグエンだけか超人的だったのか、などの面白い話とか。
それにしてもダウン症や自閉症の患者が、人類の進化の犠牲者なのか?
という京子の問いには、とても考えさせられるものがあった。説明にも、
不合理で不慈悲にも確かに頷いてしまいそうな部分があり、もっと、
この部分を押して書けばよかったのになぁ、などと僭越にももったいなく思った。
自分からは絶対に読まない本でしたので、ご紹介頂き感謝いたします。

★★★☆☆*85

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2011年3月 3日 (木)

「荒地の恋」 ねじめ正一

荒地の恋 荒地の恋

著者:ねじめ 正一
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する


いろんなところでお名前を聞くねじめさんですが、実はきちんと読んだのは
初めてでした。なぜなら、堅苦しい話が大嫌いだからです。本を開いて、
「あ、なんか難しそう」と思うと、ぱたんと閉じて、書棚に戻してしまう。
ねじめさんもその1人でした。でもこの本は表紙が猫でした。理由はそれだけ。

戦争を堺に妻と子をなくした北村は、再婚し娘をもうけた。新聞社を退社し、
洋書の翻訳をする傍ら、詩を書いている。しかし、仕事は芳しくなかった。
妻とも娘とも息子とも仲はよかったが、その平穏すぎる空気は、「詩」
を書く場所として向いていないようだ。大詩人であり、親友でもある田村
と懇親を深める中、あろうことか、田村の妻・明子と恋仲になってしまった。
「アキコ」それは最初の妻の名前でもあった。北村は次第に明子に夢中になり、
そして、自分の家庭を壊した。妻の治子は半狂乱になったが、北村が
改心し、不倫をやめる事はなかった。泥沼の駆け落ち生活がいき詰まり
始めると、知人が相次いで亡くなり始めた。失うたび積み重なるのは、
悲しみではないもののように思えた。

ようやく「昭和」を色濃く匂わせてくれる作家に出会えた、と思った。
この濃厚な、昭和初期の匂い。最高である。登場人物、あいるいは
その周りを取り巻く街や物や空気たちが発する、濃密な「時代」の色。
この本は2007年に発行されたものだが、ページを捲ればその中は、
昭和50年代そのものだった。途中で気づいたのだが、この小説は、
実話に基づいた物語のようである。まるで、そこに座って、その登場人物の
1人であったかのように親しげに語られるその様は圧巻で、昭和の文壇の
いざこざを、目の前で順繰りと語られた気がした。物語で描かれていたのは、
何かを失くしてしまった1人の男だった。最初の妻と息子を失くした北村には
どこか言葉では言い表せない「諦め」の一線があった。人を亡くす悲しみは、
悲しみよりも、空虚を残す。そうして、またその悲しみを真正面から
受けないために、北村は1つのものを愛することを諦めているようだった。
日本は一夫一婦制で、昭和の初期なんて言ったら、不倫はかなり大胆な
行為だろう。しかし、北村は、ずんずんと明子に溺れてゆく。
時折耳元に残る「あなた、わたしを生きなかったわね」というアキコの
言葉を噛締めながら、治子を、明子を、阿子を愛してゆく。北村は、
治子を嫁にもらった時点で(それは仕方のないことだと思うが)、
アキコに罪悪感を感じていたのだろう。そうして、その罪悪感と、
1つのものを愛する事を諦めた心から、次へ次へと、女を渡ってゆくのだ。
その娘と彼女たちを表現する「組たち」という言葉がとてもよかった。
北村はきっと誰をもを愛していたのだ。事の他アキコを。もしくは、アキコが
生きていたとしたら、治子と結婚するはずもなく、明子に手を出さなかった
だろうか? いいや、それはこの文壇の世の中ではどうも確信を得ない。
ここには詩に溺れた人間の一生が生々しく描かれている。文字など
覚えなければよかったと思うほどに。カルチャーセンターでの、
「生活と詩をどちらをとるかと聞かれたら、彼女たちは迷わず生活を取るだろう。
その健全さが北村には好ましかった」という文がなぜかとても心に残った。
芸術に生きる者は、なぜかとり憑かれたように、そこから離れられないのである。
周辺の本も読んでみたい。

★★★★☆*87

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2011年3月 2日 (水)

【漫画】「I'll~アイル~ 1・2」 浅田弘幸

I'll 〜アイル〜 1 (ジャンプ・コミックス) I'll 〜アイル〜 1 (ジャンプ・コミックス)

著者:浅田 弘幸
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


バスケ漫画と言ったら『スラムダンク』な世代でした。確かに。
あの漫画を読まなさそうなあの方まで、『スラムダンク』は読んでいた
そうですから。でも、この漫画はしらず……あんなに漫画オタクだった
わたしが、知らないとは。世代ずれかしらん、と思いつつとりあえず2巻。

バスケとはぜんぜん違う次元の話ですが、この本を読みながら、
つくづく職業について考えていました。子供の頃に読んでいた漫画は、
今のわたしたちのような年齢の人間が創っている。その当たり前で、
尚且つ自由な選択の末の苦悩の想像は、なんだか複雑な気分になりました。
自分、何してるんだろう? みたいな。もちろんわたしは漫画家になりた
かったわけではありませんし、今からなるつもりもありません。
あともう一つは、人はみな懐古し、物語を描くのだろう、ということでした。
この作者浅田さんが、この当時何歳だったかわかりませんけれども、
主人公は高校生のバスケ少年なわけで。いつしか過ぎ去ったはずの自分の過去、
あるいは、過ぎ去りたかった自分の過去、もしくは振り返りたいほどの、
誰かの過去。それを作者が描くことによって、読んでいる読者は、
一体何を思うのだろうかと、なんだかしみじみ考えてしまいました。
主人公よりも若ければ、期待と希望を。主人公と同世代なら、羨望を。
主人公よりも年上なら、若かりし頃の、自分の立ち居地を。あるいは、
その主人公になりきるかのような好奇心を。まだ1~2巻しか読んでいないので、
物語はぱっとしません。凄いパートナーになりそうな、ツートップの
主人公が現れ、ようやく手を組み始めたところ。まだまだ続くようだ。
でも、この本が1冊出るまでには、1年の歳月がかかり、まだいろんな人の
手が加えられて云々……。おいおい、ぜんぜん漫画楽しんでねーじゃん。
とつっこまれそうですが、楽しいですよ。このお決まりのパターンも、
そして、いつかくるだろう感動のラストも、期待して読んでる。
ということを考えていると、「号泣する準備はできていた」という
江國香織のタイトルは、随一だな、と思い、次の巻を読みます。
それにしても漫画は1冊15分かからん。小説の何分の一かしら。

★★★☆☆*80

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2011年3月 1日 (火)

■雑談:2011年1月と2月に読んだ本

過去の「雑談」なるものを振り返ってみると、
昔はきちんと月末に何冊読んだか統計していた。
すごいじゃん、わたし!(笑)
ということで、今後気が向いたら大まかに数えようと思う。

2008年1月なんかは、18冊も読んでるよ
すごいじゃん、わたし!(笑)

暇、なわけないのだがあの頃は。
何やってたんだっけなぁ、ともう行動の記憶は遥か彼方だが、
でも本のタイトルを見ると、内容をなかなかくっきり思い出すから面白い。

最近視力が悪くなった。
地味にショック。

いつも来てくださりありがとうございます。

■2011年2月に読んだ本(7冊)

555 11.02.28 ★★★★★*91 「借金取りの王子」 垣根涼介
554 11.02.27 ★★★★☆*87 「定義」 谷川俊太郎
553 11.02.23 ★★★★☆*86 「葛橋」 坂東眞砂子
552 11.02.20 ★★★★★*90 「くじけないで」 柴田トヨ
551 11.02.19 ★★★★☆*87 「戦友の恋」 大島真寿美
550 11.02.18 ★★★★★*94 「パレード」 吉田修一 (再読)
549 11.02.17 ★★☆☆☆*68 「リアルワールド」 桐野夏生


■2011年1月に読んだ本(13冊)

548 11.01.22 ★★★☆☆*83 「ハッピーエンドにさよならを」 歌野晶午
547 11.01.20 ★★★☆☆*85 「赤×ピンク」 桜庭一樹
546 11.01.19 ★★★★☆*89 「ぼくとネモ号と彼女たち」 角田光代
545 11.01.18 ★★★☆☆*86 「さまよう刃」 東野圭吾
544 11.01.17 ★★★★☆*87 「Rのつく月には気をつけよう」 石持浅海
543 11.01.15 ★★★★☆*86 「身代わり」 西澤保彦
542 11.01.12 ★★★★☆*86 「ほどけるとける」 大島真寿美
541 11.01.11 ★★★★★*95 「13階段」 高野和明
540 11.01.09 ★★★★☆*87 「夏が僕を抱く」 豊島ミホ
539 11.01.08 ★★★☆☆*86 「むかし僕が死んだ家」 東野圭吾
538 11.01.06 ★★★☆☆*83 「1950年のバックトス」 北村薫
537 11.01.05 ★★★★☆*89 「切羽へ」 井上荒野
536 11.01.04 ★★★☆☆*80 「企画書は1行」 野地秩嘉


■2011年1月に観た映画(2本)

11.01.29 ★★★★☆*87 「セラフィーヌの庭」 マルタン・プロヴォスト監督
11.01.29 ★★★★★*93 「モリエール 恋こそ喜劇」 ローラン・ティラール監督

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