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2011年2月27日 (日)

「定義」 谷川俊太郎

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あはははは、笑ってしまう。いえ、こちらの話。この本は、とある方に
お薦めされました。どうもありがとう。面白くて、堅苦しくて、偏屈で、
さすが、あなたのお薦めだと思いました。谷川さんは、柔らかい詩集たち
しか目にしてこなかったので、目から鱗、額縁から絵画が流れ出しそうです。

なんでもないものを、なんでもないものとして、描写することはできない。
なぜなら、「なんでもないもの」と書いてしまった時点で、それは
そこに存在するものになり得てしまい、「私」の意図するなんでもないもの、
ではなくなってしまうからだ。ものの、定義、それを定めるのは「私」
であり、そうして紙を前にした時生まれるそれもまた「詩」なる定義である。

堅苦しい文章で推し進められるそれは、一見難解なようで、実は馬鹿らしい
ほど単純である。とりわけ、「りんごへの固執」なんかは、要するに、
「もうりんごはりんごでしかない」とその他の言葉を用いて描写するのを
放棄しているのだから。思わず噴出してしまった。あるいは、
「壺部限定版詩集<世界ノ雛型>目録」なども、厳つい漢字をわざわざ
並べており、且つ、原子爆弾云々怖ろしい表記まで出てくるが、
必死に読み進めてゆくと、途中で「やっぱやめた」との記載が出てくる。
おいおい、ここまで頭を使わせて考えさせられたのに、「やっぱやめた」
かい。ここでもズッコケである。その上、この本が面白くない場合は、
爆弾で破壊せよ、などと書きながら、それも「やっぱやめた」読者に任せる。
である。おまけに、最後には向日葵を育て始める。なんとも楽しげで、
こころを弄ばれ、「ほら、楽しいだろう」と笑われた気がした。
ものの「定義」などと言うと、とても難しそうである。しかし、「それ」
例えば「ハサミ」をなぜ「ハサミ」という名前にしたかなんて、
分からないのである。だから考えようもない。その上、文字として描写
された「鋏」らしきものは、やはり「鋏らしきもの」であって、
作者が「鋏」と書かない限り、「鋏」ではないかもしれない可能性を
捨てきれない。すなわち、ものを見るときの「定義」と呼ばれる難解な
言葉は、「自分」もしくは「我」によってしか認めることができず、
してからに、その面白さと、必然の奇跡を教えてくれる本だった。
ページを繰るのがもったいないと思い、何故だか生きるのを急ぎたくなる
本だった。読み終わったら、たんぽぽの種がひとつ頬をかすめた気がした。

★★★★☆*87

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