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2011年2月

2011年2月28日 (月)

「借金取りの王子」 垣根涼介

借金取りの王子 借金取りの王子

著者:垣根 涼介
販売元:新潮社
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まさかこのタイプの話で泣かされるとは……。わたしも相当弱って
いるのか。いや、そもそも社会の八割以上がサラリーマンの世の中で、
今までこのタイプの話がなかったからなのか。容赦のない切捨て。
しかしよく考えてみる。そこが本当に自分を一番生かせる職場なのかと。

「借金取りの王子」
ヒューマンリアクト(株)に勤める真介の仕事は、社員の首を切る
ことである。大きな会社の人員削減に伴い、必要のなくなる人間を
面接し、辞職を促すことを請け負っている。他会社から見た方が、
その人間のことがよく分かり平等になるし、クビを切る方もまた、
気負いがなくなってよい。今日、真介が面接をするのは、顔立ちの
整った美男子だった。消費者金融会社の支店長だという。この優男が、
あの暴力団並の気合を強いられる消費者金融の支店長……?いかにも
気弱そうな彼はモデルにでもなった方がよさそうだった。真介は、
会社は人員を削減したがっており、あなたがその候補であること・
会社は退職に対しかなりの優遇をする事を説明した。それと同時に、
真介は私的な感情さえ交え、もっと向いている職業が
あるのではないか、と強く勧めた。しかし、彼は曖昧な返事をし、
退職を拒んだ。暴力団並の過酷な職――彼は一体何に迷っているというのか。

連続短編集である。表題作もよかったが、わたしは「女難の相」が
一番好きだった。爽快で爽快で、主人公の男のように晴れやかな
気分になった。通称「クビ切り面接」でうろたえる被面接者たち。
自分がリストラ候補に上がったことでまずポテンシャルは落ちているし
その上、この先のことを考えるとお先が真っ暗になる。「女難の相」
では、その上「女性恐怖症」などという厄介な悩みさえあり、
もう「どうしようどうしよう」の連続である。「仕事を続けるべきか」
「続ける気力をこの職場で引き出せるか」「仕事を辞めるべきか」
「でも辞めたらどうするのか」ぐるぐるぐるぐる頭を駆け巡る。
しかし、とある変人にたった一言言われ、我に返る。
「大丈夫ですよ、死ぬわけじゃないんだから」そうなのだ、仕事を
やめたって死ぬわけではない。仕事を辞めて少しの間家でごろごろして
いたって、いつかはどうにかなるのである。至極当たり前のことなのだが、
ぐるぐる悩み続けている中、その一言は「パッ」と視界がひらける
ような爽快感があった。「なーんだ、そっか、そっか。辞めちゃえ」
みたいな。もちろん必ずしも辞めることがいいことではない。しかし、
人には向き不向きと言うものがあり、だから、「リストラ候補」に
入るということは、きっと「向いていない」のである。だから、
これを機に新たな第一歩を進めてみる。それも悪くないよな、と、
うじうじ悩んでいるよりも、と思った1冊だった。ちなみに
「借金取りの王子」は泣いた。こんなダメ男になぜ泣いているのか
分からないけれど、読みながら泣いていた。「バカだなぁ、お前」
って背中を叩いてやりたくなる王子のような人間がわたしはとても
好きである。最近仕事を辞めたとある人にこの本を読んでもらいたい。

★★★★★*91

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2011年2月27日 (日)

「定義」 谷川俊太郎

110227_0

あはははは、笑ってしまう。いえ、こちらの話。この本は、とある方に
お薦めされました。どうもありがとう。面白くて、堅苦しくて、偏屈で、
さすが、あなたのお薦めだと思いました。谷川さんは、柔らかい詩集たち
しか目にしてこなかったので、目から鱗、額縁から絵画が流れ出しそうです。

なんでもないものを、なんでもないものとして、描写することはできない。
なぜなら、「なんでもないもの」と書いてしまった時点で、それは
そこに存在するものになり得てしまい、「私」の意図するなんでもないもの、
ではなくなってしまうからだ。ものの、定義、それを定めるのは「私」
であり、そうして紙を前にした時生まれるそれもまた「詩」なる定義である。

堅苦しい文章で推し進められるそれは、一見難解なようで、実は馬鹿らしい
ほど単純である。とりわけ、「りんごへの固執」なんかは、要するに、
「もうりんごはりんごでしかない」とその他の言葉を用いて描写するのを
放棄しているのだから。思わず噴出してしまった。あるいは、
「壺部限定版詩集<世界ノ雛型>目録」なども、厳つい漢字をわざわざ
並べており、且つ、原子爆弾云々怖ろしい表記まで出てくるが、
必死に読み進めてゆくと、途中で「やっぱやめた」との記載が出てくる。
おいおい、ここまで頭を使わせて考えさせられたのに、「やっぱやめた」
かい。ここでもズッコケである。その上、この本が面白くない場合は、
爆弾で破壊せよ、などと書きながら、それも「やっぱやめた」読者に任せる。
である。おまけに、最後には向日葵を育て始める。なんとも楽しげで、
こころを弄ばれ、「ほら、楽しいだろう」と笑われた気がした。
ものの「定義」などと言うと、とても難しそうである。しかし、「それ」
例えば「ハサミ」をなぜ「ハサミ」という名前にしたかなんて、
分からないのである。だから考えようもない。その上、文字として描写
された「鋏」らしきものは、やはり「鋏らしきもの」であって、
作者が「鋏」と書かない限り、「鋏」ではないかもしれない可能性を
捨てきれない。すなわち、ものを見るときの「定義」と呼ばれる難解な
言葉は、「自分」もしくは「我」によってしか認めることができず、
してからに、その面白さと、必然の奇跡を教えてくれる本だった。
ページを繰るのがもったいないと思い、何故だか生きるのを急ぎたくなる
本だった。読み終わったら、たんぽぽの種がひとつ頬をかすめた気がした。

★★★★☆*87

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2011年2月26日 (土)

■雑談:いいこと

今日はいいことがあった。
いいことを思いついた。
気づいたら、「そっかーそっかー」って思った。
なんで今まで気づかなかったんだろう。
あははは、って感じ。
ごめんなさい、って感じ。
頑張るよ。
頑張るからさ、わたし。

話し変わるけど、明日は東京マラソン。
会社のお兄さんを見に沿道に行く予定。
起きれるかしら。笑

どうでもいいけど、「話し変わるけど、」と、「なんかさ」は、
わたしの口癖らしい。
なんともわたしらしい口癖ですな。

ねじめ正一面白いですわ。
はまりそう。

いつも来てくださり、ありがとうございます。

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2011年2月23日 (水)

「葛橋」 坂東眞砂子

葛橋 (角川文庫) 葛橋 (角川文庫)

著者:坂東 真砂子
販売元:角川書店
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「霊力に魅せられた女」というのが、坂東さんという人のわたしの勝手な
イメージである。あの荒野さんの「切羽へ」で感じたような、地元の空気が
べっとりまとわりつく感じ。その究極系が、坂東さんである。何せ、
坂東さんの世界には神がいるのだ。日本人がなぜか崇めたてるその土地の神が。

「恵比須」
サラリーマンを辞めた夫に連れられ、漁師の町へやってきた私は、
毎日平坦な生活を送っていた。毎朝2時に起床し、夫の朝食を作る。
体の悪い姑夫婦の面倒を見、2人の子どもを送り出す。そして、ようやく
私はパートに出かけ、へとへとになり帰宅したら、また夕飯の準備がまっている。
私はパートに行く途中、海辺を歩いている時だけが、自分の自由な時間で
あるような気がするのだった。ある日、パートに行こうと海辺を歩いていると、
奇妙な物体を見つけた、白っぽく濁ったその塊は、私の興味を引き立てた。
気になって持ち帰ったが、ひょんなことから、それが鯨の糞であり、
とても高価な物であると知った。どうやら五千万円にもなるらしい。
家族中大騒ぎになり、そして噂は狭い町にすぐに広がった。わたしは
他人に取られる前に早くこの物体を金にしてしまおうと考え、高知市の
骨董品屋へ向かうのだが……。

何か悪いことが起きると「祟りだ」と言う。神は自分たちの周りにそっと
おらせられ、見守って下さっている。なぜだか知らないが、そう染み付いた
日本人の精神を、坂東さんは怖ろしいほど上手く描く。土地に染みつく、
不穏な空気。たまたま起きた悪事も、そこに言い伝えられた逸話に結び
つけられ、まるであたかも神の逆鱗に触れた、というような「怯え」を
起こさせる巧みな技だ。技、というよりも、見えない「神」という存在に
縋る人間の醜い心なのかもしれないけれど。「恵比須」では、短大の同級生の
豪勢な暮らしぶりと、平坦で単調な自分の暮らしを比べ、「私」は、
つい心を許してしまう。自分の見つけた貴重な品物で、少し高い服を買う
ことを。家族に内緒で、豪華な食事をすることを。しかし、そうした「私」
の元に入るのは、漁師である夫の訃報である。嵐になり、船が座礁したらしい。
帰りを待っている間、生きているのか、死んでいるのか、というそれよりも、
こんなことが起きたのは、自分が家族に内緒で、金を使おうなどと強欲が
働いたからに違いない、と思ってしまう。この何者かに戒められている、
不穏で、強靭な力が、何度読んでも、「さすが」としか言いようのない
圧力でのしかかってくるのだった。逆に言うと、その「神の力」以外を
描いた本を読んだことがないのだけども……。しかしながら、この陰鬱で、
ねばっこくて、じっとりと、体にまとわりつく空気は、もはや坂東さんの
専売特許だよな、とか思いつつ。そう思うと前回読んだ『死国』は、
もう少しひねったらいいものが出来たのではないか、と思わなくも。
この文章で「リング」とか「学校の怪談」とか書かれたら、
怖くて夜眠れなくなりますね、絶対。でも、坂東さんは自然系が多い。
雑木林を歩いていると、そっと背筋を撫でられるような、濃密な、
文章から滲み出る霊の力をぜひ味わっていただきたい。悪いことはできない。

★★★★☆*86

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2011年2月22日 (火)

【漫画】「ソラニン」 浅野いにお

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス) ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

著者:浅野 いにお
販売元:小学館
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ソラニン 2 (ヤングサンデーコミックス) ソラニン 2 (ヤングサンデーコミックス)

著者:浅野 いにお
販売元:小学館
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『素晴らしい世界』に続きこちらも会社のお兄さんに借りました。
ぜんぜん関係ないけれど、今日D.W.ニコルズというバンドのCDを
ぼんやり聴いていたら、そのアルバムの中にも『素晴らしい世界』という
曲がありました。どうか、この街が今日も平和でありますように。

大学の軽音サークルで知り合った芽衣子と種田は、社会人になり、
同棲生活を送っていた。音楽で食べてゆくという夢を諦め切れない
種田は、フリーターを続ける傍ら学生時代の友人たちとバンドを
組み、しかしいまいち現実を踏み切れずにいた。音楽が好きだから
こそ、挑戦し敗北したときに、その職業では暮らしてゆけないと、
突きつけられることが怖い。そんなとき、芽衣子は平坦な
OL生活に嫌気が差し、会社を辞めてしまった。職のない芽衣子と、
夢を実現できない重圧に悩んだ種田は家を飛び出してしまう。
数日の音信不通の後、戻ってくることを約束した種田だったが、
帰り道で事故に合ってしまい、残された芽衣子は……。

珍しく映画を先に観ているため、ストーリーをバッチリ覚えたまま読んだ。
この感想を書く前に、映画の方の感想を読み直したのだが、感想は同じ、
やはりターゲット層の云々が気になったのと、これを今まで読んでいなかった
ことからもわかるように、「わたし、ちょっと軽音サークルとか入っちゃ
おうかな~」とかいう思想をまったく持ち得ない青春時代を送った人間
なので、どうもこの「ちょっと軽音サークルとか入っちゃおう」の部分で
躓く、という残念な結果だった。カッコイイ?の部分かな。尊敬!と思う
部分かな?「夢はあの世に行って夏目漱石先生の授業を受けること」
とか、密かに思っているわたしのように、ミック・ジャガーかっこいい!
とか(まだ生きてるけど)、奴らの音楽はヤバイぜ、的な「心の震え」の、
部分が表現されておらず、なんとなくなーなーで、でも音楽やりたいし、
だけど踏み切れなくて、な感じが、どうも「?」なのだった。種田の音楽やり
たい、という気持ちの強さの度合いが、だからぜんぜん伝わってこないのだ。
この気持ちのもやもやを、音楽に!、俺には音楽しかねぇ!的な、熱い想いが。
でも、この漫画のラストはとても平坦である。芽衣子が種田の曲を1度
演奏し、終わる。バンドは続けるんだか、続けないんだかわからない。
おそらくやらないだろう。一瞬だけ夢見た「バンド」というステージは
やはり「夢」であって、現実には「サラリーマン」と「OL」が待っている。
それが本当の世界だからだ。輝けるのはほんの一握りであり、その他の大勢は、
それを観る人間になる。これは漫画である。だから、もっと輝かしく描けば
いいのに。せめて種田が一瞬でも輝く時を見せてからでも、死ぬのは遅く
なかった。でもそうは描かない。これが現実なのだ、と言うのが「浅野いにお」
その人なのだった。輝かしくない人間の方が圧倒的に多い世の中で、
人はみな輝かしさを求めている。でもふいに見せられる「浅野いにお」の
ような世界は残酷にも人を魅せ、惑わせる。なぜなら、その輝けない
人間こそ、自分であると姿を重ねるからだ。落ちている時に読む本ではない。

★★★★☆*86

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2011年2月21日 (月)

【漫画】「素晴らしい世界」 浅野いにお

素晴らしい世界 (1) (サンデーGXコミックス) 素晴らしい世界 (1) (サンデーGXコミックス)

著者:浅野 いにお
販売元:小学館
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素晴らしい世界 (2) (サンデーGXコミックス) 素晴らしい世界 (2) (サンデーGXコミックス)

著者:浅野 いにお
販売元:小学館
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会社のお兄さんが貸してくれたので、久々に「漫画」を読んだ。
最近唯一買っている漫画と言えば、『聖☆おにいさん』だけである。
アレは、「漫画」というより、もはや「ギャグ」そのものである。
からにして、本当に久々に「漫画」を読んだ。とても懐かしかった。

1話目から嫌な予感がした。わたしの嫌いなタイプの展開。お先真っ暗な
人生を思わせる、冴えない主人公たち。人にはいろいろ悩みがあって、
その重さはその人にしか分かり得ない……。そして、ほらな、
結末はそういう、情けなくて、でも少しだけかっこいいような切ない感じ。
読みながら、わたしはつくづく「ギャグ」を求めているのだ、と思った。
なぜなら、わたし自身の生活が、この主人公たちのように冴えなくて、
どうしようもなくくすんだものだから。だからせめて漫画を読む時くらいは、
げらげら笑わせてくれよって思うのだ。でも、ふと先日観た『モリエール』
という映画を思い出した。階級の差や様々な事情から恋人と引き裂かれる
ことになったモリエールは、時は経ち恋人の危篤を知る。そして彼女は、
彼にこういうのだ「喜劇を作って頂戴。みんなの笑いが止まらなくなるような」
モリエールは彼女の死の哀しみの前で、涙を流し喜劇を作る。涙を流し
ながら舞台で道化師になり、人にげらげら笑われ彼女との約束を守るのだ。
わたしはギャグ漫画で笑うけれど、しかし、それを描く漫画家は、
もしかしたら苦悩を抱えているかもしれない。漫画の描きすぎで腱鞘炎かも
しれないし、癌かもしれないし、昨日家族が死んだかもしれないし、
恋人に振られたばかりかもしれない。要するに、世界は「そういうこと」
なのだ。だから、わたしたちは、喜劇を求め、でもその本当をたまに
見せてくれる人がいる。それがわたしが初めて読んだ「浅野いにお」の
印象だった。「生きていればきっと いつかどこかでいいことがある」
こころに響いた言葉を噛みしめ、その「いつか」がやってくる未来を願う。

★★★★☆*86

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2011年2月20日 (日)

「くじけないで」 柴田トヨ

くじけないで くじけないで

著者:柴田 トヨ
販売元:飛鳥新社
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小説や詩をたくさん読みすぎると、勘違いしてしまうことがある。
もちろん、それはロックバンドの曲でも同じことなのだけれども。
その人のこころに響くかどうかは、上手いか下手かではない。
ただその言葉が、その人の色んな隙間を縫って、こころに届くかどうか。

「人生いつだってこれから 朝はかならずやってくる」
産経新聞「朝の詩」で注目を集める98歳の詩人
90 歳を過ぎて詩を書き始めた トヨさん、初の処女作品集
(Amazonより)

本を読み慣れている人なら、15分もあれば読み終えてしまうだろう。
でもどうかゆっくり読んでほしいと思った。1日1編だけ、と決め、
文字をひとつひとつ噛み締めるように。この本の中には、簡単な言葉しか
並んでいない。並び方もまったくひねられることなく、ただ、
思い浮かんだ順に並べてある。90歳を超え、作者が感じたことを、
ただただ思い浮かんだ順に並べてある言葉。でも1つの詩には1ヶ月も
かかるという。そこには言いようのない不思議な魅力があった。
90を過ぎたら、そこに待っているのは、「死」それだけだ。
若い頃は、いろいろ出来ることがあって、やりたいことがあって、
やるべきことがあって。でも、90歳には、それが何もない。
柴田さんはそのやるべきことをすべて終えてしまったのだろう。
だから、飾らないその簡素な言葉で、90になったら思うことを、
わたしたちにそっと教えてくれるのだ。わたしたちには、
まだやるべきことがある。だから、もしかしたら、この本を読んでも
何も思わない人があるかもしれない。だとしたら、せめて、
90になったら、こう思うことが出来るようになるのだろう、と
思うのがいいだろう。形式に囚われず、綴られる90年熟された
人の想いは、誰かの勇気になるのだと知った。とりあえず読んでおこう。
みんな90を超えたら詩集を出したらいいのにね。

★★★★★*90

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2011年2月19日 (土)

「戦友の恋」 大島真寿美

戦友の恋 戦友の恋

著者:大島 真寿美
販売元:角川書店(角川グループパブリッシング)
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『ほどけるとける』の方が後に出た本なのかと思ったら、
こちらの方が先で、へぇと思った。しかしわたしが読むには少し
早すぎた、とも思った。あるいは、浅すぎたか、だ。誰かがふいに
いなくなる喪失を、わたしは「衝撃」としてしか味わったことがない。

漫画家として目指していた私は、当時担当だった玖美子にこっぴどく
ダメ出しをされた。要するに、漫画家としての素質がないというので
ある。だから、漫画を描くのを辞めろ。玖美子はそう言うのだった。
ただ、あんたには物語を書く才能がある。だから、漫画の原作者と
してこれから頑張ってみてはどうだろうか。もちろん私は納得が
いかなかった。けれども玖美子の熱心で無謀な話を聞くうち、
彼女に自分の人生を託してもいいかもしれないと思った。
玖美子と私はよく飲みに行き、いろいろな話をした。しかし、
玖美子は私を友だちとは言わなかった。「戦友」それがわたしたちに
一番よくあった称号だった。そんな玖美子が死んだ。私は玖美子の
いない世界で生きている。そして明日も玖美子がいない明日がやってくる。

わたしは特に身近な人間を2度亡くしたことがある。1人は祖父で、
もう1人は中学校の同級生だった。どちらも同じ死であるが、
わたしの中でその「衝撃」の大きさは雲泥の差だった。祖父は
老齢で、しかも癌だった。だからわたしを始め、親族一同の中で、
死んでもおかしくない、もしくは、よくぞここまで生き延びた、
という認識がされていた。だからその死は悲しくても悲愴ではなく、
守護のような温かい何かをわたしにくれた。でも同級生の死はまったく
違った。彼は自殺でこの世を去った。その喪失は、わたしの中では、
「衝撃」でしかなく、その「衝撃」はわんわんと鳴り響き、
そしていつまで経っても止まなかった。「誰かがいなくなってしまった」
としみじみ感じることもままならない精神状態が、ずっとずっと
静かに続いていた。この本で、そのことをふと思い出した。
同級生が死んでから、もう10年が経とうとしている。15歳の彼の顔を
思い出せても、25歳の彼の顔を思い描くことは、もう出来ない。
だから、この主人公の言わんとしている、「戦友の欠けた喪失感」を
わたしは上手く捉えることが出来なかった。それよりも強い衝撃しか
知らないからだ。いつかきっと、また身近な誰かを亡くす時が来る
だろう、そうしたら、きっとよくわかるはずだ、と思い読み終えた
本だった。「佐紀さん、絶対君津君の方がよかったって思うに
決まってるんですから」と、いう君津を、げらげらと笑い飛ばすくらい、
わたしも佐紀のような強さをいつか得られるといいなと思った。
知っているのだ、出会いと別れはやってくることを。そして、
誰かの死がやってくることを。けれどもわたしたちは生き続ける。

★★★★☆*87

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2011年2月18日 (金)

「パレード」 吉田修一

パレード (幻冬舎文庫) パレード (幻冬舎文庫)

著者:吉田 修一
販売元:幻冬舎
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もう何回読んだかわからないが、とりあえず再読である。この本を読むたびに、
「あぁ、やっぱり吉田修一たまらないわぁ」としみじみ思い最後のページを
閉じる。『悪人』も『東京湾景』も『最後の息子』もお薦めだが、
躊躇している方、やはりこの本を読んでおいていただきたい。

ひょんな事から始まったヘンテコな5人生活は、まるで密入国者。
芸能人の彼氏を待ち続ける琴美に、酒豪で売れない絵師・未来、
やる気のない大学生・良介に、寝言の奇妙なサラリーマン・直輝。
そして一人傍観しいるような、男娼・サトル。
適度な馴れ合いと適度な詮索で、微妙な愛情や友情が生まれても、
結局のところ、お互いの事を本当はよく知らない。
この2LDKのマンションでは、皆、それぞれ仮面を被っているようで、
笑い声が響くその空間は、誰か違う4人が生活しているようだ。

改めてじっくり読んでみた。勢い余って2回連続で読んだ。そうして
わかったことだが、ここに登場するそれぞれ5人の人物は、
自分ではなく他人を語りたがる。これは吉田修一の作品全般に言える
ことなのだが、主人公が「僕は」「私は」と主語を置きながらも、
描写されているのは、周りの人物ばかりなのである。そのだらりと流れる
ような、親密でさり気ない文章は、それを気づかせない。第一章目では
良介の話であるはずだが、人となりがよくわかるように説明されているのは
琴美についてである。本人の思っている「自分」と他人が思っている「自分」
の相違について、読者は気づかずうちにの引き込まれているのだ。本人を
合わせ5人の人間から語られる1人の人物像は、それはそれは気持ちが悪い
ものだ。「気持ちが悪い」というのオーバーだが、ぐにゃりと歪んだものに
見える。今回また一つ見つけたのは、直輝とサトルがラーメン屋に行く
シーンで、だった。2人はラーメン屋で坦々面を食べ、スープまで飲み干す。
語り手であるサトルの視点ではたしか「(味の)濃そうなスープ」と
なっていたが、直輝はそれを平然と飲み干すのである。直輝は健康オタク
だったはずだ。バナナプロテインを自作し、ジャスミンティを毎日飲む。
誰かが飲んだら分かるように印をつけていそうな几帳面さで通っている。
そして、ジョギング好きだ。そんな人間が濃そうな坦々麺のスープを
飲み干すだろうか? ここから読み取れるのは、それらの「几帳面」
「健康オタク」という直輝は作り物ということだ。本当の直輝は、
塩辛いラーメンのスープを飲んでも何とも思わない人間で、きっと
健康のことなどそれほど重要視していないのだ。だけど、この家の中では、
直輝は「几帳面」「健康オタク」な役を演じているのである。そして、
ふとした瞬間に「演じさせられているのではないか」と気づくとき、
吉田修一がこの本を書いた理由を一つ知る事が出来るだろう。
もっと注意深くこの本を読んだら、こういう箇所がたくさん出てくるのだろう。
吉田修一の怖いところは、その「本当」を、するりと他の文に滑り込ませる
ことだ。一度読んだだけでは気づかない。しかし読み手の頭の中のどこかに
はすうっと引っかかっていて、最後の最後に、「ぞっ」させ愕然とさせる
のである。でも本当はみんな「知っている」のだ。だから、とりわけ
誇張して、その相違点を挙げたりしない。知っていることはある意味罪であり、
だからこそ、知っているとわからせないことこそ、歪んだ愛であるようにも
思えてくる。何度読んでも読んで良かったと思う小説である。

★★★★★*94

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*過去の感想文(2008/8/31)

パレード (幻冬舎文庫) パレード (幻冬舎文庫)

著者:吉田 修一
販売元:幻冬舎
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再読です。そうかぁ、吉田さんに出会ってもう2年も経つんだなぁ、とか、
別なところでしみじみしながら読んだ。まぁ旅行先で時間を潰すため、
ヴィレバンで買った、という浅い動機の再読だったのだが。
大分では吉田さんが推されていて、よくわかってるじゃん、と思った。

ひょんな事から始まったヘンテコな5人生活は、まるで密入国者。
芸能人の彼氏を待ち続ける琴美に、酒豪で売れない絵師・未来、
やる気のない大学生・良介に、寝言の奇妙なサラリーマン・直輝。
そして一人傍観しいるような、男娼・サトル。
適度な馴れ合いと適度な詮索で、微妙な愛情や友情が生まれても、
結局のところ、お互いの事を本当はよく知らない。
この2LDKのマンションでは、皆、それぞれ仮面を被っているようで、
笑い声が響くその空間は、誰か違う4人が生活しているようだ。

この本の魅力は、再読するごとに違った感想を得られることだ。
同じ小説のはずなのに、読むたびに違った感情が生まれるのである。
と言うことは、きっと読む人にとってそれぞれ異なる捕らえ方をし、
消化されているのだろうと思うと、改めて秀逸な本であると思う。
正直なところ、読後感は前回のほうが良かった。
明るい四人の話の後に、ブラックな直輝な話で締めくくる。
その低空飛行感がとても好きだったのだ。
しかし、今回感じたのは、より深い異様さの浸透とベールである。
「俺だけが酷く恨まれているように感じた」と直輝の文にあるのだが、
この部分を読んだとき、私は鳥肌がたった。
そう、思い返してみれば直輝のことを皆話していないのだ。
話していたとしても、「しっかり者の兄貴分」のような感じで、
直輝と~をした、や意見が出てくるシーンはほぼない。
けれども、彼ら四人は直輝のあのことを知っていたのだ。始めから。
「ねぇ、これ絶対サトルだよ」指名手配書を見てそう言った未来は、
そのとき果たして何を考えていたのだろうか?
もしくは、直輝が犯人だと知ったのはどこからだったのだろうか?
一緒に暮らす人間の中に殺人鬼がいると分かったと言うのに、
表情を変えず何も語らない彼ら。その様子を確認したとき、
更なる恐怖が読者を襲うだろう。これは本当に恐ろしい小説である。
そして、こんな恐ろしいことが、まるで現実にあり得るかのように、
リアルに描く吉田修一は、本当に恐ろしい人である。
人が人を殺すのは、それほど異様なことではないのだ。
そう物語っているようで、それを見ない振りする私たちを、
必死に気づかせてくれているようで、それに気づいてしまったとき
たぶん人は吉田修一から離れられなくなるのではないかと思う。

★★★★☆*90

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*過去の感想文(2006/12/5)

パレード パレード

著者:吉田 修一
販売元:幻冬舎
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まさかあんな結末がくるとは思ってもみなかったのですが、
ラストを何とも言えないダークな感じにもって行く、それがまさに吉田さん。
振り返ってみれば、あんなに爽やかだと思っていた「WATER」だって、
完全な爽やかさではなかったし、その明るさの中に潜む闇が、
いい物をさらに輝かせているよね、と思い直した作品。
うーん、好きだ。直輝くん(笑)

ひょんな事から始まったヘンテコな5人生活は、まるで密入国者。
芸能人の彼氏を待ち続ける琴美に、酒豪で売れない絵師・未来、
やる気のない大学生・良介に、寝言の奇妙なサラリーマン・直輝。
そして一人傍観しいるような、男娼・サトル。
適度な馴れ合いと適度な詮索で、微妙な愛情や友情が生まれても、
結局のところ、お互いの事を本当はよく知らない。
この2LDKのマンションでは、皆、それぞれ仮面を被っているようで、
笑い声が響くその空間は、誰か違う4人が生活しているようだ。

1つの部屋の5人の視点から書かれたストーリは、色彩豊かで凄く面白い。
良介がかったるそうな口調で浮気を相手する覚悟を決めたと思えば、
恋愛に溺れる琴美が良介を批判し、恋愛を拒絶する未来は琴美を受け入れない。
そんな入り組んだ思いがそれぞれの中に隠れているのに、
みんなが集まる部屋ではそれらがオブラートに包まれ決して現われはしない。
だから5人でいれば凄く楽しくて、仕方が無い。
でもその五角形を違う人物の視点から注意して見ると、
全く違う感性で、全く違う思いを抱いているのだ。
本当の自分を隠さなくてはいけないのに、
じゃあ何で5人で住んでいるんだろう?と改めて考えると、とても難しい。
5人がお互いをどう考えているのか、それがよく判る話。
一人は一人を信頼していて、でもその片方は違う方にベクトルが向いている、
それは遠目で見れば世界をこの5人の部屋に押し込めただけであり、
人間と関わると言う根本的な事ではとても自然な事だと表現されている。
しかし同じ部屋に住む、と言うことだけで生まれる絶妙な人間関係や、
その絶妙な関係から生まれる、どこと無く疑ったような、批判するような
5つの視点からの交差関係が、とても面白い。
特に最後、直輝のした行動を黙認していた彼ら。
4人の視点ですら語られなかった事実は、「オブラートで包まれるべき物」
でここにいるためには、語るべきではない・・・として処理されたのかな、
とか思った。どうなんだろう、本当のところ。

「パレード」って最後まで意味が判らなかったんですが、
パレードは賑やかで楽しいけど、そのパレードをやっている人間も、
それぞれが考えをもって生きている、とかそのへん?かな。
実は山本周五郎賞、いいです。

★★★★★*94

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2011年2月17日 (木)

「リアルワールド」 桐野夏生

リアルワールド (集英社文庫(日本)) リアルワールド (集英社文庫(日本))

著者:桐野 夏生
販売元:集英社
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桐野さんも久しぶり、と思ったら、去年1冊読んでいた。『IN』も
なんだかわたしには微妙だったなぁ、と思いながら、『やわらかな頬』
での吸引力を思い出したりもした。あれももう4年前か……。
もう一度読み返してみようかとも思いつつも、読む気力は起きない。

私の隣の家のには同じ学年の男子がいる。地味で目立たなくて、
勉強だけを目指している根暗な感じのヤツ。私はそいつにミミズという
あだ名をつけた。そんなある日、ミミズは母親を殺した。
抵抗する母親を金属バットで頭から殴り殺したのだ。ミミズは意気揚々と
した顔で私の前を通り過ぎ、そうして私の自転車、および携帯を
盗んで逃走を開始した。ミミズは私の携帯から私の友達に電話を
したらしかった。ユウザンやキラリンから、「母親を殺した男から
電話があった」と連絡があったからだ。わたしたちは逃走を続ける
ミミズの話を聞いた。母親を殺した人間とは、どんな心境なのか。
通報することもなく、それぞれ私たちはミミズの逃走を援助するのだが……。

どのへんが「リアル」なのか、さっぱりわからない「リアルワールド」
だった。この本の中で唯一「リアル」なのではないか、と思えたのは、
今の若者は面白がって、近くに殺人犯がいても警察に通報しないのでは
ないだろうか、というところだった。携帯電話を所持し逃走するミミズ。
しかしその携帯電話は本人のものではないので、通話記録も残らない。
その上、携帯電話の持ち主や、その友人たちが黙っていれば、ミミズは
逃げ続ける。自分たちが秘密裏に殺人犯を助け、逃がしているという、
妙な高揚感。母親を殺した男子学生が一体どんなヤツなのか。そして、
それを知りたいと思う好奇心は、警察をあてにし頼りにするという思考
よりも遥かに強く魅惑的なものだ。「わたしたちだけの秘密」もしくは、
「楽しんでやろう」という、不謹慎な気持ちは、テレビゲームの中で、
行われている、非現実的なゲームのようで、なるほど現代の子どもを
描きたかったのだろうと感じた。最近確かにそう言ったゲーム的な思考を
持った若者が多い。だからその部分を逆手に取り、きっと桐野さんは、
彼らにとっての「リアル」な世界と言う意味で、「リアルワールド」
とつけたのだろう。けれども残念だったのは、この描き方だと、
殺人の重みまでもがゲーム的な比重になり罪の重みが軽くなってしまって
いて、母親を殺したという重さがまるでなく、なぜ逃げるのか、疑問に思う
ことだった。「彼ら」のリアルは確かに「へへ!母親殺してやったぜ、俺!」
とか、そういう感じなのかもしれないが、それだけ晴れ晴れと殺したなら、
晴れ晴れと捕まれば?と言う気もするし、「やっぱり殺すんじゃなかった」
となる気もするし、「殺した親が夢に出てきた」となる気がするのだった。
「リアル」だったのは、彼らと、桐野さんの頭の中だけであり、読んでいる
こちらとしては、そちら側にまったく引き込まれることなく、
テレビの中の逃走ゲームを見ているようだった。それを狙ったならいいの
だけど、まったくどのキャラクターにも感情移入できず、引き込まれない
時点で、彼らの「リアル」に魅力を感じなかった。

★★☆☆☆*68

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2011年2月 7日 (月)

■雑談:吉田修一の公式サイト

吉田さんの公式サイトを見つけた。
しかし、見つけるの遅すぎた自分に少し幻滅。
でも情報が入るのは嬉しい。
作家の情報ほど掴むのが難しいものはない。
連載雑誌を全部買う気力もないしね……。

とか。

嬉しい発見でした。こんな時間に。
もう寝ます。おやすみ。

いつもきてくださりありがとうございます。

■吉田修一
http://yoshidashuichi.com/

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