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2011年1月 8日 (土)

「むかし僕が死んだ家」 東野圭吾

むかし僕が死んだ家 (講談社文庫) むかし僕が死んだ家 (講談社文庫)

著者:東野 圭吾
販売元:講談社
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久しぶりに東野さん。なんだかとても東野圭吾が読みたい!と思い読んだ。
外れないがなかなか大当たりもしない東野圭吾。なんとも東野さん
らしい本だった。東野ステレオタイプな人物の会話。なんだかどうも
感情を理解できない部分があるような。しかしそこが安心感なのか

同窓会で再会した元恋人から、あるお願いをされた。失くしてしまった
昔の記憶を一緒に捜しに行って欲しいというのである。沙也加は、
小学生以前の記憶がまったくないと言うのだった。沙也加はすでに
別の男性と結婚しており、一児をもうけている。わたしは躊躇ったが、
彼女の悩みを聞くうちその誘いに乗ることにした。2人は車に乗り、
手がかりである山沿いの家へとやってきた。玄関は開かず、隣の納屋から
入ると奇妙なしかけのこの家からは、次々に謎が見つかり始める。
ここに住んでいたのは、高齢の夫婦と、晩年に出来た幼い息子の3人
のようだ。謎が解けるにつれ沙也加は次第に記憶を取り戻すのだが……。

いつも思うのだが、東野作品の人物の会話は、英会話の翻訳を聞いて
いるようだ。それが「ステレオ」なる単語を考えてしまう原因かも
しれない。ある意味いつでもそこにある「ステレオ」こそが、
こうしてまた読みたいと安心感を与えてくれる一つなのかもしれないけど。
とか、思ったりして。この本は登場人物が主に2人である。すべては
2人の会話だけで成り立っているのか、と思うととてもすごいことだ。
そして今回より一層「ステレオ」を強調している部分でもあった。
それにしてもせっかくぐるぐる面白かった謎が、うまく昇華されずに
もったいないな、と思ったのが一番だった。一体この家は何なのか?
誰が住んでいたのか?そもそも住んでいたのか?誰が殺されたのか?
誰が殺したのか?本当の父は誰なのか。前半部分でこの家は作り物である、
と薄々感じるのだが、ページの始めから8割までは、非常にもやもやして
楽しい。さて、面白い推理に期待!とわくわくし始めたところで
やってくる、唐突なよくわからない心情に、うーん……であった。
親が子どもを虐待して殺してしまいそうだ、という話で来たはずなのに、
子どもが親を殺して隠蔽し終わるのか。虐待をやめたいのにやめれない、
沙也加の悪い過去を葬り去るための「家」だったはずが、父親の
変質的な性行為が露になっただけで、沙也加がなぜ虐待にいたったのか
のせっかくの説明が立ち消えたように思う。同じ暴力の方が、説得力
あったのになぁ、むむむ。違う本も読んでみよう、そうしましょう。

★★★☆☆*86

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