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2011年1月 6日 (木)

「1950年のバックトス」 北村薫

1950年のバックトス (新潮文庫) 1950年のバックトス (新潮文庫)

著者:北村 薫
販売元:新潮社
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北村さん久しぶり。お薦めされたので読んだのですが、「うーん」でした。
年が明けてから読んだ本すべてに「うーん」しか言っていないような気が
して、わたしはなんて残忍な奴だろうと思いました。もっともです。
でも「うーん」なんですよ。たぶんとても北村薫らしい本、なんですけど。

「1950年のバックトス」
小学三年生になった息子の翔太は、野球チームのレギュラーになった。
鮎子は野球のルールすらよく理解していなかったが、懸命に頑張る息子
のために試合についていき準備を手伝う。応援に来る親たちの
中には大きく分けて2種類いる。「殺せーっ!」などと力んで叫ぶタイプと、
息子がミスをするたびに「申し訳ありません、うちの息子が……」などと
謝り始めるタイプだ。しかし山城剣人くんは、そんな親たちの中でも
等しくアイドルだった。ルックスもよく、強い。息子と変わらない年の
剣人くんに皆ため息を付くのだった。そのある日、たまたま帰ってきた夫
の母親―翔太の祖母が野球の試合を観に来る事になった。野球などに
縁もなさそうな義母には、退屈になってしまうのではないか。そんな不安が
過ぎる中、予想に反して義母は野球のルールを詳しく喋り始め、
さらには剣人くんのプレイを凝視していたようなのだが……。

どれも北村薫。当たり前だけど、どれも北村薫。言いたいのはそれだけだ。
……と、ここで終わってしまっては感想でも何でもないので、なんでだか
よくわからないが「面白い!」と手放しで思えない微妙なもやもやについて
語りたいと思う。その原因は「どれも北村薫」である点だ。さっきも言った。
この本には23本の短編が詰まっている。主人公は女性だったり、男性だったり、
一人称だったり、三人称だったり、いろいろある。若い女だったり、
主婦だったり、おじさんだったり、いろいろある。しかし、だ。しかし、
そのどれもが北村薫なのである。当たり前じゃないか、書いてる人同じなんだ
から。そんなの知っている。でも、なんかこう、違うのである。主人公が
女であっても、男であっても、若くても老人でも、すべてその行動や仕草、
その人物が見る景色の描写などなどが、「北村薫」という一人の人間によって
統一されナレーションされているような居心地の悪さを感じるのだ。
例えるなら、操り人形が黒子の人間によって操られている様子。
作家の書く物語は、すべてその様な様子が当てはまると思うが、操り人形を
操っている黒子はみな覆面のはずである。操り方に癖があるにせよ、
操っている方の、キャラクターの個性を引き出すために黒子はいるのである。
そう黒子は覆面なのだ。なにせ黒子なのだから。でもこの本は操っているのは
黒子ではない、「北村薫」その人なのだった。覆面をしていないのである。
だからとても感情移入が出来ずに終わってしまうのだ。(特に短編というの
もあると思うけども)覆面覆面、と言っていると、覆面作家のアレみたいで、
なんだか嫌だが、なんだかこう、話はとてもいいし、もう少しで感動する!、
……のにイマイチ引き込まれないのがその原因のような気がするのだった。
そもそも「北村さんが手放しで大好き!」な方だったら、まったく問題ない
と思うのだが、わたしは「普通に好き」なので、物語で魅せられないと、
感動しないのだった。うーんである。……とりあえず覆面作家シリーズ
再読しようかな。

★★★☆☆*83

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