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2010年8月15日 (日)

「僕のなかの壊れていない部分」 白石一文

僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫) 僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫)

著者:白石 一文
販売元:光文社
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なんとも深い本だった。面白いのとも違うし、楽しいのとも違うし、
堅苦しいのとも違うし、不気味なのとも違った。中身があるというか、
読み終わってからも心に残る、けれど押し付けがましいわけではなく
むしろ冷淡で、でも本当は愛したいと願う、とても歪な本だった。

僕は三人の女性と付き合っている。一人は職場で出会った敏腕な
キャリアウーマン、もう一人は子持ちのパブのママで、もう一人は
有閑マダムというに相応しい金持ちの女である。そして、僕の家には
雷太とほのかという二人の若い居候の男女がいる。けれど僕は、
その誰とも深い付き合いをするつもりはなく、彼らが僕を求める
分だけを、厚かましくない程度に手を差し伸べ返すだけだ。
ある日、敏腕なキャリアウーマン・枝里子が、僕に結婚の話を
持ち出し始めた。二人の関係上このまま夫婦になることは間違いでは
なさそうだったが、けれど僕は枝里子と結婚するつもりなど毛頭ない
のだった。誰とも結婚するつもりになれない理由は、子どもの頃に
受けた母親の仕打ちが原因のようなのだが……。

人間の感情が円を描いていたとしたら、この主人公の心は、
まるでナイフで削ぎ落としたかのように平坦になっていることだろう。
あるいは、円周上である一部分だけを避けるように、歪な曲線を
描いていることだろう。人間の感情は衝撃を与えると形を変える。
例えば悪口を言われ続け、その言葉に敏感になったり、
褒められた振る舞いに自信をもつのも、その一つではないだろうか。
言葉に敏感になった結果どうなるかというと、無意識のうちに
人を避けるようになったり、対人する際に極度に緊張してしまう
「人見知り」などの症状に繋がってゆくのだろう。
そのような様々な要素が合わさって人間が構成されていると考えると、
成長過程、主に幼児期の環境が与える情緒への影響は計り知れず、
なんと恐ろしいものだろうと思った。そして困ったことに、
その重要さに、多くの大人は気づいていないのだ。この本の中の
「僕」は、人を愛すことができない。幼い頃母親から棄てられたという
記憶、それから成長過程の母親に構ってもらえなかったという記憶から
無意識のうちに人の愛を避けてしまう。どういうことが人を愛すると
いうことで、どういうことが人から愛されることだと理解している
つもりで、しかし、実際に愛されたことのない「僕」は、
愛される「僕」という立場から逃げようとするのだ。なぜか?
それは愛を失う怖さなのだろうか。いや、違う気がする。どちらかと
言えば、誰かを愛し、焦がれたり、嬉しさでふるえたり、満たされたり
そういう胸が締め付けられるような躍動が出来ない心になって
しまっている、というのが正しい気がした。本当は愛そうとしている、
だけど愛という揺れ動く感情を理解できないから、やっぱり無理なのだ
と薄く笑い、人から離れてゆく。願わくば、愛を理解し始めてから
終わって欲しかったけれど、心に負った歪みは、そう簡単には治らない
という戒めにとてもよかったようにも思う。わたしの父は、「僕」の
ような人だった。父は結婚してわたしが生まれたわけだが、わたしは
父から愛情を感じたことがなかった。冷たいのではく、わたしを
避けるのでもなく、人を愛するということがどういうことなのか、
知らない人なのだと、わたしは大人になってから気づいた。白石さんも
そうだったのだろうか。あるいは、そういう人が近くにいたのだろうか。
愛を子に伝えないことは、大きな罪だと思う。

★★★★☆*87

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