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2010年5月12日 (水)

【試写会】孤高のメス

20100512_2
この試写会も会社のお姉さんが当てたものを譲り受けたのだけれども
わたしも、なんだかんだ2度ほど(「幸福な食卓」と「死神の精度」)
試写会を当てているし、数うちやれば当たるものだなぁ、と思う。
今回は、相当いい映画だった。日本映画もやればできると思った。

わたしは看護婦という仕事が嫌いだ。夫と別れ、息子と共に
生きてゆくため戻る仕事は、けれども看護婦しかなかった。
病院は、大学病院との軋轢により、早期癌患者を末期癌と診断し、
患者を減らしてゆく。毎日繰り返される杜撰な手術も、田舎町では
当たり前のことであった。先生の声により、わたしが手渡すメス。
そのメスが、罪のない患者の体を傷つけてゆく。手術が終わり、
メスを洗浄していると、突然見知らぬ男に怒られた。洗い方が雑だ、
などと言う。わたしは頭にきて無視をした。男はこの病院に新しく
やってきた当麻という医師だった。またこの医師も同じような手術
をするのだろう、そう思い参加した手術でわたしは息を飲んだ。
先生の手術があまりに美しかったからだ。わたしは先生に追い
つこうと勉強を始めた。こんな気持ちは看護婦になって以来だった。

※ネタバレしてます。
「君は、素晴らしいナースでした」、その言葉に涙が止まらなかった。
慣習に押し曲げられ、歪んでいる病院事情。お役所や、大学病院
との軋轢により、当たり前のことができない。立てついたら、金が
貰えなくなり、病院の存続に関わるからだ。だから、患者は二の次。
そうして杜撰な手術があふれ、患者の遺族には、手術は成功だ、
と言って医師は鷹揚な態度をとる。その間に挟まれた、看護婦の
苦しみが、痛いほど伝わってきた。当麻の登場により、
だんだんと解放される窮屈な思い。患者を救いたいと思う気持ちは、
決して間違いではないのだと、背を後押しされる。その当麻に
「君は、素晴らしいナースでした」、と認められたときの、
まるで聖上な人物に救われたような、清らかな感謝の念を、
スクリーン越しにひしひしと感じた作品だった。ストーリーは、
あまり捻りのないものだったように思う。新しく来た医師が、
見事な手術で周りを圧巻し、田舎の病院に衝撃を与える。
医師は患者を救うことだけを考えており、自分の地位は二の次。
今までいた医師は反発するが、正しいことは正しいと跳ね除ける。
そんなスーパーヒーローの登場で、今まで腐っていた助手や看護婦
たちが生気を取り戻してゆく王道な物語である。このような
物語は、何度も観ている気がする。筋書きだってみえみえだし、
お涙頂戴みたいな展開なんじゃないか、と容易に想像できる。
けれども、この映画は、違うのだった。今まで観てきたどの映画
よりも美しく、清らかな人間の心を描いていた。映像の中には、
遊んだシーン(視聴者ウケを狙ったもの)や、日本人にしか
わからないような身内ウケの挟みは、まったくない。
字幕で外国人が観たとしても、日本人と対等な心で同じような共感と、
感動を持ってくれるだろう。そのような、物事を真摯に伝えようと言う
脚本家と監督の強力なタッグが、原作と最高なコンビネーションを
生み出して、他にない最高の映画になっていると思った。
余貴美子が死んだ息子の姿を、風の中思い出しているシーンが
忘れられない。肝臓が取り出され、心臓が止まる瞬間の涙を、
忘れられない。人は人を、救えるのだ、と改めて思った映画でもあった。
お金を払ってでも、また観たい映画だった。DVDも出たら、買おうと思う。
こんなに日本映画で感銘を受けたのは久しぶりだ。
この映画に携わった方々に心から感謝をしたい。日本もやればできる。

★★★★★*95

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