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2010年5月

2010年5月28日 (金)

5/28a flood of circle@徳島GRINDHOUSE『MONSTER baSH』

201005281809000
5/28a flood of circle@徳島GRINDHOUSE『MONSTER baSH』

■セットリスト

 博士の異常な愛情
 泥水のメロディー
 Buffalo Dance
 Human License
 プシケ
 春の嵐
 ビスケット

※どこかのMC

佐々木さん「石井、俺のギター直してる間に
いつものお得意のアレやっちゃってよ」

石井さん「アレね、そうそう、実は今日から発売するグッズが
あるんですが…ストラップとキーホルダーの中間みたいなものなんですけど、
ぜひみなさん買って帰ってください」

もうちょっと続けろよ的な佐々木さんの視線

石井さん「あとね、他にもグッズあるんでタオルとか、洋服とかね」

お客さん「洋服(笑)」

石井さん「そうですよ、洋服ですようちのバンド布系のヤツ多いんで。
よかったらみなさん買って帰ってくださいね、ホントに~」

佐々木さん「それが関東一って言われるMCなんだ?」

お客さん「(笑)」

石井さん「ちょ…そうやって亮介がハードル上げるから、
俺こんなことになるんじゃん!」

佐々木さん「(笑)それは毎回本当に申し訳なく思ってるよ」

彼らは布系バンドです!

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2010年5月17日 (月)

「アレグリアとは仕事はできない」 津村記久子

アレグリアとは仕事はできない アレグリアとは仕事はできない

著者:津村 記久子
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


津村さん……どうしたんだ一体……と絶句した本。津村さんの持ち味は
こんな所にないよ、と。わたしは主人公の気持ちがいやんなるくらい
わかったので、なんだかもう、やめてくれよ、って気分になった。そこ
に虚しさを求めるならまだしも、怒りに持っていっちゃだめなんだと。

「アレグリアとは仕事はできない」
ミノベの元に新しく入った品番YDP2020商品名アレグリア、という複合機は、
まるで役立たずの機械であった。新機種であるはずのアレグリアは、
コピーを始めて一分経つと、八秒間エラー音を出し、二分間の
「ウォームアップタイム」に突入する。その間もちろんコピー作業は
中断され、仕事が滞る事になる。この一分働いたら、二分休む、という
様子は、まるで仕事を急いているミノベをあざ笑っているかのようで、
アレグリアの存在はミノベにとって腹持ちならないことであった。
コイツが人間だったら、締め上げてやるのに。しかし、機械にはそんな
ことはできない。先輩などに同意を求めると、「機械なんだから」と
言って、笑うだけだった。ミノベは釈然としなかったが、ある日
先輩が大量にコピーをする日にアレグリアはまたしても不具合を
訴え始めた。納期に間に合わないため、仕方なく手作業になった。
絶望を感じた先輩はその日から会社に来なくなってしまうのだが……。

意味深に進むので、裏側をちょっと期待していたのだが、まったく裏の
ない話で、ずっこけた。一体なにが言いたかったのかよく分からない本
である。もちろん、このスキャナー付複合機のこういった苛立たしさ、
はわたしもそう言う仕事をしているので身に沁みている。
(沖で待つのHDDといい、なんだか嬉しいようで、虚しい共感)
この機械の「よく分からないエラー」や「よくわからない不具合」
ほど、頭にくるものはない。おまけに対応係に任命されたりすると、
「使えないんですけど」と他の社員からまるでわたしが悪いような
文句の口調で訴えられる。ボタンを押してもどうにもならないし、
専門作業員を呼んでも「よく分かりませんね」なんて言われることもある。
じゃあどうするんだよ!という怒りの矛先は、どこにも向けようがなくて、
そうして、誰にでもなく怒っている自分がしまいには虚しくなってくるの
である。と言ったようなことが、物語の9.5割を裂いて描かれているのだが、
ただそれだけであって、「で、どうするの?」についての、物語の
展開がまったくなく終わるのであった。この本については、とても
「苛立つ原因と現状」がくどいほど描かれているけど、その後の
虚しさ、というか、こういった機械に頼りすぎている情けない人間の
事情が足りなかったように思う。津村さん、好きなんですけど、
得意分野はここじゃないと思う。もう一つの「地下鉄の抒情詩」も
かなり面白くなくて、残念だった。あれは何を得るべきだったのか?
読後もよく分からない。地下鉄の中でイライラするのは分かるけど、
それをただ単に描いただけでは、ただ地下鉄でイライラしている人と
変わらないわけで……。そのあとの感情の変化がなく、これも
何を伝えたかったのかよく分からない話だった。

★★☆☆☆*55

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2010年5月15日 (土)

「かもめ食堂」 群ようこ

かもめ食堂 (幻冬舎文庫) かもめ食堂 (幻冬舎文庫)

著者:群 ようこ
販売元:幻冬舎
Amazon.co.jpで詳細を確認する


何だかんだいって群さん初めてだったかもしれない、とか思いました。
わたしダメなのですよね、こうほわほわした感じの……。群さんを初め、
よしもとさんとか、そのへんは意識的に手に取らない傾向があります。
が、なんだか気分を変えたかったので、今回は読んでみました。しかし……

古武道家の教育熱心な父によって、サチエは厳しく育てられた。サチエも
また古武道を習い、めきめきと成績を伸ばしていた。しかし、サチエが
十二歳のとき母親がトラックにはねられて亡くなった。それ以来古武道を
やめサチエは家の切り盛りをするようになった。裁縫は上手くなかったが、
料理はどんどん腕を上げていった。学校にも習いに行き、店を出す決意を
した。しかしサチエは他の生徒が思っているような、イタリアンや、
フレンチは嫌だった。素朴で、簡単な、例えば母が作ってくれたような
料理を出す店にしたい。日本では、客の数やマスコミに取り上げられている、
ということがステイタスになっている。サチエはそのときフィンランドに
店を構える事を決めた。宝くじで金を貯め、フィンランドに飛んだ。
店に人はなかなか来なかったが、二人の日本人と知り合った。
ともにそれぞれの理由でフィンランドにやってきたのだが……。

きっと、映画→原作、で読んでいたら、よかったのかも知れないけど、
わたしは映画を観ていないので、なんかよさが今ひとつ分からなかった。
そもそも映画はだいたいが原作先行なんだから(きっとこの映画もそう)
原作自体で面白みを見出せない時点で、じぶんには合っていないような
気がする。この本はとても童話じみた感じ。いい意味でも、悪い意味でも、
である。たんたんと語られる抑揚のない過去は、まったくサチエの
人間くささ、魅力の部分を説明していないので、イマイチ物語に引き
込まれない。そのうえ、たんたんと宝くじが一億円当たってしまい、
軽々と店を出してしまう。出会う女どおし、反発しあうこともなく、
揉め事は三人とはまったくかかわりのない部分で起きる。なんていうか
そのある意味教訓じみている、ような、なんていうか、こうする気ままな
生活ってよくないですかって言われてる、ような、なんていうか、
フィクションだけどこんなこと考えるのも悪くないでしょと押し付けられ
ている、ような、そんな気がするのだった。「大人の童話」みたいである。
それをいいと思えるかが心の広さ(わたしは狭い)の問題に関わって
来る気がする。もちろん、楽しめる人が多いのだろうけれども、
わたしはその「よさ」が今ひとつ分からなくて残念である。

★★☆☆☆*65

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2010年5月14日 (金)

「沖で待つ」 絲山秋子

沖で待つ 沖で待つ

著者:絲山 秋子
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する


あ、そう言えば読みたかったような気がする、とテキトウに手に取った
絲山さんでしたが、芥川受賞作でした。最近の芥川は本当に基準がよく
わからんです。これが「アサッテの人」と同じ賞かと思うと、
なんか納得できないと言うか。でも好きな作風ではあるのです。

「沖で待つ」
同期入社の太っちゃんは、「名は体をあらわす」という言葉が、
これほどなく当てはまる人です。入社当時はそれでもまだ、小太り程度で、
福岡にともに配属されてからは、見る見る間に太って行きました。
太っちゃんと私は仲がよく、よく飲みに行きました。慣れない福岡での
愚痴や仕事の悩みなど、一番話をしていたのは、私だったことでしょう。
でも太っちゃんは井口さんという、私の先輩と結婚しました。
ある日、太っちゃんは一つの提案を持ちかけてきました。自分の一番
見られては恥ずかしいものは何か? と尋ねてきました。それは、HDDじゃ
ないか? と太っちゃんは言いました。HDDはパソコンのハードディスク
のことです。確かにあれは見られたら恥ずかしいだろうと私も思いました。
私は太っちゃんと、相手が死んだら、お互いのHDDを内密に破壊する、
という協定を結びました。きっと私の方が早く死ぬに違いない。そう
私は思っていましたが、それから数年後太っちゃんは死んでしまったのです。

読み終わって少しすると、いい読後を得られる本だった。読み終わってすぐ、
は、なんだか虚しいばかりで良さが分からなかった。HDDなんていう、
現代の産物が中心になっているのも原因かも。HDDを破壊する協定を
結んだ2人の片方が死に、片方はその協定を守り、HDDを破壊する。
わたしはそんな仕事(HDDを破壊するような)をときおりしているので、
よく思うのだけど、あの何も読み込めなくなる一瞬って、とても虚しくて
儚いのだ。例えばこつこつと頑張ってきた10年分の誰かのデータが、
一瞬で消えてなくなる。HDD自体は残っているけど、中身は抜け殻だ。
そのデータという、目で見ることの出来ない質量がなくなることも虚しいし、
そんな目で見ることの出来ない不確定な質量のために、10年間も
汗水流してきたのか、と思うと、その努力が瞬間にして徒労に変わるような、
胸の空く感じがするのである。と、いうのを読んでから少し経って、
考えた本だった。でもわたしはこんな仕事をしているから、そういう感情が
簡単に出てきたけれど(それでも少し経ってからだったし)、だから、
もう少しその虚しさについての記述があったほうが分かりやすくて、
よかったんだと思う。審査員の作家とかは小説データを亡くして、
ショックを受ける、という経験があるだろうが、この本を主婦やパソコンを
まったく使わない職種の人が読んでもぜんぜん理解できないと思う。
このような虚しさを理解した時、文字では決して表されない、主人公の
淡い恋というべき感情が、生きてくると思う。最後の低空飛行感も、
なんだかちょっとミスマッチであったようにも思える。好きなんだけれども。
ここはもう一つの「勤労感謝の日」のが好き。他も読んでみようかなぁ。

★★★☆☆*86

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2010年5月12日 (水)

【試写会】孤高のメス

20100512_2
この試写会も会社のお姉さんが当てたものを譲り受けたのだけれども
わたしも、なんだかんだ2度ほど(「幸福な食卓」と「死神の精度」)
試写会を当てているし、数うちやれば当たるものだなぁ、と思う。
今回は、相当いい映画だった。日本映画もやればできると思った。

わたしは看護婦という仕事が嫌いだ。夫と別れ、息子と共に
生きてゆくため戻る仕事は、けれども看護婦しかなかった。
病院は、大学病院との軋轢により、早期癌患者を末期癌と診断し、
患者を減らしてゆく。毎日繰り返される杜撰な手術も、田舎町では
当たり前のことであった。先生の声により、わたしが手渡すメス。
そのメスが、罪のない患者の体を傷つけてゆく。手術が終わり、
メスを洗浄していると、突然見知らぬ男に怒られた。洗い方が雑だ、
などと言う。わたしは頭にきて無視をした。男はこの病院に新しく
やってきた当麻という医師だった。またこの医師も同じような手術
をするのだろう、そう思い参加した手術でわたしは息を飲んだ。
先生の手術があまりに美しかったからだ。わたしは先生に追い
つこうと勉強を始めた。こんな気持ちは看護婦になって以来だった。

※ネタバレしてます。
「君は、素晴らしいナースでした」、その言葉に涙が止まらなかった。
慣習に押し曲げられ、歪んでいる病院事情。お役所や、大学病院
との軋轢により、当たり前のことができない。立てついたら、金が
貰えなくなり、病院の存続に関わるからだ。だから、患者は二の次。
そうして杜撰な手術があふれ、患者の遺族には、手術は成功だ、
と言って医師は鷹揚な態度をとる。その間に挟まれた、看護婦の
苦しみが、痛いほど伝わってきた。当麻の登場により、
だんだんと解放される窮屈な思い。患者を救いたいと思う気持ちは、
決して間違いではないのだと、背を後押しされる。その当麻に
「君は、素晴らしいナースでした」、と認められたときの、
まるで聖上な人物に救われたような、清らかな感謝の念を、
スクリーン越しにひしひしと感じた作品だった。ストーリーは、
あまり捻りのないものだったように思う。新しく来た医師が、
見事な手術で周りを圧巻し、田舎の病院に衝撃を与える。
医師は患者を救うことだけを考えており、自分の地位は二の次。
今までいた医師は反発するが、正しいことは正しいと跳ね除ける。
そんなスーパーヒーローの登場で、今まで腐っていた助手や看護婦
たちが生気を取り戻してゆく王道な物語である。このような
物語は、何度も観ている気がする。筋書きだってみえみえだし、
お涙頂戴みたいな展開なんじゃないか、と容易に想像できる。
けれども、この映画は、違うのだった。今まで観てきたどの映画
よりも美しく、清らかな人間の心を描いていた。映像の中には、
遊んだシーン(視聴者ウケを狙ったもの)や、日本人にしか
わからないような身内ウケの挟みは、まったくない。
字幕で外国人が観たとしても、日本人と対等な心で同じような共感と、
感動を持ってくれるだろう。そのような、物事を真摯に伝えようと言う
脚本家と監督の強力なタッグが、原作と最高なコンビネーションを
生み出して、他にない最高の映画になっていると思った。
余貴美子が死んだ息子の姿を、風の中思い出しているシーンが
忘れられない。肝臓が取り出され、心臓が止まる瞬間の涙を、
忘れられない。人は人を、救えるのだ、と改めて思った映画でもあった。
お金を払ってでも、また観たい映画だった。DVDも出たら、買おうと思う。
こんなに日本映画で感銘を受けたのは久しぶりだ。
この映画に携わった方々に心から感謝をしたい。日本もやればできる。

★★★★★*95

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2010年5月11日 (火)

「溺レる」 川上弘美

溺レる (文春文庫) 溺レる (文春文庫)

著者:川上 弘美
販売元:文藝春秋
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溺れる事ができなかった。きっとまだわたしにはその時期が来ていないのだ。
最近本を読んでいると、「この本をあの時読んだらよかったのに」と、
思うことがある。それとは反対に「この本はまだ本当の良さがわからない」
と思うこともある。それは心から素直な言葉で、その日が来るのが待ち遠しい。

「亀が鳴く」
ユキヲと暮らしはじめたのはたしか三年ほど前だったように思うが、
さだかではない。さだかではないことが私には多くて、ついせんだって
ユキヲが「別れたいのだが」といいだしたときの様子でさえさだかではない
のだった。ユキヲに、私は思ったよりも多く執着しているということが、
「別れたいのだが」と言われた瞬間にわかったのだが、それでも
やはりなすすべがなかった。悲しくすべきは私なのに、ユキヲよりも
悲しそうにはできなかった。悲しそうなユキヲの横の水槽で、亀が
きゅうと鳴いた。引越しの段になり、荷物を分別しているとき、
ユキヲは新しい女の話をした。その女と寝て、なかなかよかった、
などという。私が「なぜわざわざ言うの」と反論すると、ユキヲは
私の首をしめはじめた。意識を取り戻すと、ユキヲは優しいユキヲに戻った。
私といると、ユキヲはだんだんに沈んでしまう。また亀が鳴いた気がした。

この本には男にどうしようもなく溺れてしまう女が描かれている。
若い女ではなく、たぶん30を超えているであろう女たち。男はどこか
「普通」ではないようで、女の首をしめる男だったり、性交で痛めつける
のが趣味であるような男だったり、まるで清純さはない。どろどろと、
けれど濁りすぎず、そこにあるのが当たり前であるかのように、
男女の言葉や行動の交わりが、たんたんと描かれているのだった。
人間の人間らしい様子とは? 途中でそんなことを考えたのだが、
それは例えば物語を書くときに、一番先に避けて通る事柄ではないだろうか。
人間らしさはストーリーを構成する上で、必要がない。実際だってきっと
そうなのだ。そう思うと世間に向けた表の顔と家の中の裏の顔があるように、
その「普通」ではない「裏」の部分が、逆に彼らの人間らしさであるように
思えてくるのだった。その誰かを好きになった理由はわからないが、
いつしか一緒にいるうちに混ざり合い、相手の避けるべき
悪しき部分を愛してしまう。ダメな部分としりつつも、抜け出せず、
むしろ2人は足をもつれさせるようにして、揃って沈んでゆくのだろうと。
そう分かりつつ読んでも、なんだかまだわたしの頭では本当の意味で
理解することが出来なかった。その、誰かの「人間らしい部分」を、
本当に好きになったことがないからだろう。だから、この本は時が
きたらまた読みたいと思った。もしくはすべてを経験したことのある方は、
ぜひ読んでいただきたい本である。きっと深い共鳴を得られると思う。

★★★☆☆*84

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2010年5月10日 (月)

5/10つばき@下北沢CLUB Que『正夢になった夜 vol.5』

201005102003000
5/10つばき@下北沢CLUB Que『正夢になった夜 vol.5』

■セットリスト(つばき)

 ブラウンシュガーヘア
 雨音
 スタイル
 夢見る街
 タブレット
 来る朝燃える未来
 花火
 銀河列車
 太陽
 最低な気分、雨に打たれて
 覚めた生活
 花が揺れる
 
EN

 君がいなければ

長澤さんに間に合いませんでした。残念です。
でもつばきにも間に合わないかと思っていたので、
着いたら転換中だったときは心底安心しました。

しかしぎゅうぎゅうのQueは大変見づらい。

久しぶりに一色前で観ました。
しかし小川さんの方が良く観えるといういつものパターン。

今日はライブとは違うことで鬱々とした気分だったので、
ライブを観る気分ではなかったのですが、
けれども「哀しい歌はそんなときのためにある」というその言葉を、
あぁそのとおり、と素直に思えるようないい感情を得ました。

いつしかつばきを観始めたころも鬱々としていた時期で、
今日のライブでは、つられていろいろな感情を思い出しました。
そういえばわたしはつばきのこんなところが好きだったんだった、
と、忘れかけていた思いすら、過ぎったように思います。
もちろん今も好きですが、その原点のようなものが。

でも一つ違ったのは、今のわたしは
「哀しい歌はそんなときのためにある」ための
つばきだけではなく、笑いがとまらなくなるような
楽しいつばきを知っているということでした。
哀しい気持ちに惹かれながらも、なぜか笑ってしまうような、
視線が過ぎるだけで、笑い出してしまいそうなその感情が
混ざり合って、なんだかぐるぐると複雑な心境でした。

タブレットと夢街、来る朝と、
こんなところで!、な、銀河列車がよかったです。
春に聴くタブレットは初めてかもしれません。?
気合の入った雨音やったから(笑)帰り雨でしたね、雨乞い!

いつもいつもわたしを救ってくれてどうもありがとうございます。

※どこかのMC

一色さん「いや~僕のMCはもうね、だらだらしゃべっていて、
お客さんにももうやめてくれ、って言われるって有名なんですが、
みなさん、どうです? 聞きたいですか?」

お客さん「(笑)」

一色さん「あーーなんか(聞きたいお客さんと聞きたくないお客さんが)
半々って感じだね、どうする小川君?」

小川さん「……」
お客さん「……」
(曲が始まりそうな感じの雰囲気)

一色さん「最近ですね、」

お客さん「(笑)」
(やっぱり話すんだ、の笑い)

一色さん「最近、僕の中で土鍋でご飯を炊くのが流行ってまして、
最初はダメだったんですけど、5回目くらいかな、
上手くできてね、それが美味しいんですよ。
(中略・忘れました)
でもアレなんですよね、僕の土鍋は一人用の土鍋なんです。
だから友だちとか誘って3人とかで来てもダメなんですよ。
ほら、分量とか分かんなくなっちゃうから。
遊びに来るときはね、ひとりでご飯食べに来てください(笑)」

※アンコール前のMC

一色さん「僕たちは今年10周年ということで、こうして
『正夢になった夜』というものを企画しまして、
(中略・忘れました)
今回で5回目を迎えるわけですけれども、今回は長澤君ということでね、
いや~長澤君かっこよかったなぁ……。本当かっこよかった。
このあと打上げでお酒を飲んじゃおうかなぁ、と思っているのですが、
もちろん長澤君も一緒に、今日は逃がさないよってことで、
痛さを堪えながらも酒に付き合って貰おうともいます(笑)
(後略・忘れました)」

一色さん「じゃ、小川君一言。今日しゃべってないからさ。
あっ、ほら、物販! 物販の話ししてよ」

小川さん「物販かよ。
この企画では毎回新しいグッズを出そうってことでね、
始まったんですけど、いやもう、そんなこと言うんじゃなかった
って思うよね。もうネタ切れだよ、ネタ切れ(笑)
んで、5回目の今回は、鏡ね、ミラーです。
オシャレっ子のための必須アイテムですよ。
そこの出口の物販で売ってるので、みなさん帰りに買って、
そんで、みんな髪の毛乱れてると思うんでね、
ちゃんと正してから、帰ってください」

一色さん「お前もなって」

小川さん「もちろん、バッチリだよ」

な、つばきでした。
バッチリだよ。

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2010年5月 9日 (日)

「アサッテの人」 諏訪哲史

アサッテの人 アサッテの人

著者:諏訪 哲史
販売元:講談社
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群像と芥川を同時受賞。思わず全文掲載雑誌を買ったのを思い出し
ました。読み終わって感嘆。今回は再読でしたが、それでも尚、
興味を引かれる強烈なインパクトを感じました。諏訪さんすごい
作家になるんじゃ、と。楽しみですね。とか、手放しで褒めてみる。

行方不明になった叔父は、あえて文章で表すならば「アサッテ」な
人であった。どのようなところが、と例を挙げるならば、まず妻朋子さん
の話しなどに耳を傾けるといいだろう。近々結婚する朋子さんの
友人を2人を招き、ほのぼのとした会話をしていた、そんな時である。
叔父は新婚旅行の話に耳を傾けながらも、徐々に気分を害し始めた
ようであった。2人の話はちょっとした口論になり、友人は叔父に対し、
「明さんならどうします?」と話題を振った。叔父は沈黙したかと思うと
暖かみのある声で言ったのだった。「つまり、それは、タポンテューだ」
友人たちが呆気に取られたのは言うまでもない。「ポタンテュー」
その言葉には意味などはないのだから。叔父はつまり、
そうした「アサッテ」を追い求める人であった。しかし不運なことに昨年
朋子さんが亡くなってからというもの、叔父はだんだんとおかしくなり……。

ここ数年の芥川賞の中ではダントツにいい作品だと思う。尚且つ
「群像」の要素を含んでおり、ダブル受賞も大いに頷ける感じだった。
雰囲気は、あっさりした森見さんのような。ともかく、とても
個人的に好みの文章だったので、するすると話しが頭に入ってきて
これでもか、と「群像」を感じることができた。「群像」といえば、
かの村上春樹、や村上龍を輩出してきた賞である。村上春樹は
ハードボイルドであるし、村上龍はアクが強い。どちらも突き放された
高見にある素晴らしさ、というものだったきがするのだけれども、
しかし諏訪さんは違い、とても身近なで親切な印象を得た。一つに、
「群像」という、ちょっと犬猿されがちな傾向(書こうとすると、
格好つけて難しくなるから)ものを目指しながらも、読者が納得できる
という点が挙げられると思う。この本では最初から最後まで、
「アサッテ」について語られている。「アサッテ」などというと、本来
狂人的、いわゆる常識を逸脱した狂っている状態、そしてそれが
「自然」である状態を意味すると言う。だが、「叔父」はだんだんに
「アサッテ」を追い求めすぎるあまりに、「アサッテ」を自ら生み出す
ことに固執し、「アサッテ」の重複による「アサッテ」の消滅して、
「アサッテ男」ではなくなってしまった、云々…。「アサッテ」という
事柄が意識中から抜け出し、変貌を遂げる、その様子を
諏訪さんはとても丁寧に描いていた。そして面白い。読んで納得し、
これらを面白さをもって描けるのだ、という驚きがあった。
人物を多面的に炙り出すような章構成になっている堅苦しさに、
人間の苦悩の滑稽さ、面白い描写と、頓珍漢な「ポンパ!」、そして
極めつけの巻末の音頭。やはりギャップや温度差のあるものが、
絶妙に絡んでいる小説は、それだけで奥行きを感じる気がした。
少しの知識を身につけたようになりながら、それを「学ぶ」という
堅苦しい認識にさせない文章力。面白かった。他の本も読んでみよう。

★★★★☆*89

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2010年5月 8日 (土)

【映画】劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル

2010022600
待ってました、待ってました。10年前の深夜枠から大ファンでございます。
なんなんでしょうね、このゆるーい感じが、個人的にとてもツボです。
仲間由紀恵も阿部寛も真面目な役をやってるのをみると、なんか違うんだよ
と思う。それ位2人のスタンダードになっている作品です(わたしの中で)

霊能力者“カミハエーリ”が統治する万練村では、その後継者を決める
大会が行われようとしていた。カミハエーリになることで、村の財宝を
手に入れようと考えた貧乳マジシャン・山田奈緒子は、霊能力大会に
参加するため村へ向かう。一方、霊能力大会に参加する人間たちの
インチキを見破るため呼ばれていた、自称天才物理者の上田次郎と
村で鉢合わせをし、大会を探ることになった。お互い知り合いだとは隠し、
情報を持ち合う。村に隠されたインチキ霊能力をあばこうと推理を始めるが、
それをあざ笑うかのように次々と死者が出始めた。すべての事件には、
説明のつけがたい謎が残る。これは霊能力なのか? 果たして2人は、
この陰鬱な霊能力のトリックを暴くことが出来るのか?

※ネタバレしてます、ご注意願います。
「え? パクリ?」なシーンがオンパレード(笑)著作権大丈夫ですか? 
ともはや違う方面で心配した。撮影場所は栃木県佐野市。今回の重要キャラ
である佐藤健が、ものっすごい訛っているのだが(しかも訛りが上手い)、
妙に親近感を感じるな、と思ったら、地元の訛りだったからだった。
いや、実際はあんなに訛ってないのだが……。内容はというと、
「さすが」と思えたのは、やはりうら怖ろしさ。毎回同じようなもって
いき方をしており、パターン化しているにもかかわらず、このゾッとする
感じに脱帽。死体は目の前にある。そして、犯人はきっとこの人である。
しかしトリックが分からない……。なんとかして、暴きたい。しかし、
また死体が増える。「次は誰だ?」という恐怖。にやりと笑う犯人の顔に、
なぜか必要以上の畏怖を感じる物語運びが、他にない秀逸さだと思った。
そして「神」や「お告げ」、「巫女」と言った目では見ることの出来ない
「何か」に対する、未知の恐ろしさとの融合も絶妙である。
ストーリーの7割は茶番とギャグで出来ていると言っていいトリック
シリーズだが、この茶番があるからこそ、そこに畏怖を感じられると、
そう再認識できた。じゃなかったら、あんなギャグみたいな格好をした
人間が死んで怖いと思うはずない。このアンバランスな、それでいて、
絶妙なポイントを突いた、殺人と能天気のコントラストこそ、トリックの
真髄である、と勝手に納得して映画館を出た。しかし、物語はというと、
遊びすぎな感じが否めない。いくら広告主であるとはいえ、麦とホップは
出てくるわ、チキンラーメンは出てくるわ…挙句の果てに貞子は出てくるし、
暴れん坊将軍に遠山の金さんである。なんかもう、言う事ないよ……。
せめてどれか1つか2つだったら、笑って終われたかもしれないが、
狙いすぎのあまり、最後の方はちょっとあきれ気味になった。
久しぶりに新作だし、今までとは違う、とオマケしたつもりが、
仇になったような感じ。濃すぎてマニア受けすぎる仕上がりに。
しかしテレビドラマでやったよりは面白かった。安い日に観たらいかがかと。
元気を貰ったので、星4つ。

★★★★☆*85

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2010年5月 7日 (金)

「鷺と雪」 北村薫

鷺と雪 鷺と雪

著者:北村 薫
販売元:文藝春秋
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これで直木賞ですか……。なんかちょっと残念ですね、うーん。
ここ数年の直木賞はどうもなんかちょっと、という本が多い気が
します。確かに面白いんです。でもそれは「普通に」面白いのであって、
天下の「直木賞レベル」なのか、と考えると、うーんって感じで。

「不在の父」
桐原家のお嬢様、道子さんとお話ししていたところ、
遠い親戚である子爵・吉広様が行方不明であるという話が出た。
良家であるため、子爵がいなくなったとなれば大騒ぎである。
そのため現在桐原家では、吉広様は病気で臥せっていることに
なっており、真実は他言無用らしかった。その話を聞き、
わたしはふと先日の雅吉兄さんの話を思い出した。
東京――浅草の町で、吉広様によくにたルンペンさんを見かけた、
という話である。いなくなった時期と、雅吉兄さんの見かけた時期も
合っている。わたしは家に仕えているベッキーさんの力を借り、
吉広様を探そうと動き出すのだが……。

子爵、とかいう単語が出てきている時点である程度予想できるだろうが、
この本の舞台設定は、大正昭和初期ころの日本である。なんとも微妙な
時代設定である。その上、その微妙さを助長している原因は、筆者が
大正時代の人間ではない、という拭いがたいものだった。
まぁ、今を生きているのだから、仕方がないことではある。
もちろんそれに限りなく近づけることは、技巧として可能だろうが、
北村さんがそれをできているか、と聞かれると、ノーと答えたい。
まず雰囲気を想像できない。理由は、景色や建物、衣装、品物などの
描写が乏しく、想像を読者に任せているからだ。大正時代……もはや
わたしを含め若い世代には、想像のつきにくい、むしろ江戸時代と
変わらないくらいの平成との「時代の差」なるものを感じる時代である。
例えば芥川龍之介なんかは、もろに大正を生きた人だが、芥川の
書く物語には、自然と「大正」が息づいているのだった。書かれている
品々が、大正じみているというか、まぁそこにあったのだから当時
としては当たり前のものなのだけど、それはまさしく「大正」なのだ。
でも、北村さんのそれは、大正ではない。「大正、のようなもの」
といった微妙な違和感を感じ、「大正時代に作られた映画」ではなく、
「大正時代を模し作られた平成映画」といった感じがするのだった。
まるでそう、時代劇のような。主人公は平成の人間ではないか?と
思われるような思考回路。まわりは平成に作られた「大正の模倣風景」
といった、なんともいえない居心地の悪さがつきまとうのだった。
話は「普通に」面白い。北村さん、って感じがする。けれども、
これが直木賞なのか? と首を傾げる。何度も候補になっているから
妥協したのでは、と嫌な考えすら頭を過ぎる本だった。『スキップ』
三部作で取っておけばよかったんじゃ……みんなそう思うのではと。

★★★☆☆*82

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2010年5月 3日 (月)

「脳が変わる生き方」 茂木健一郎

脳が変わる生き方 脳が変わる生き方

著者:茂木 健一郎
販売元:PHP研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する


500冊目の本が、この本だなんて、誰が予想したことでしょう!
読み終わった今でさえも、これでいいのだろうか、と少し思います(笑)
けれども、このずぼらなわたしがここまでこの感想文を続けてきたのが
すごいのであって、例え500冊目がなんであろうと、決して、まったく……

人はどこまでも変われる。脳には、変わることを支える力があるのです。
けれども、みなそのことをわかっていない。取扱説明書もなしに、
われわれは日々、自分の脳を使ってるのです。私たちは、
いかに素晴らしい可能性に気づかずに生きているのでしょう。
物事には、「偶有性」というものがあります。どうなるかわからない、
という不確定な要素です。脳はその要素を感じると活性化します。
そうしてそのことを成し遂げると、より多くのドーパミンを分泌し、
より大きな達成感を得ることができるのです。私は「偶有性の海」
に飛び込み、その瞬間を楽しむ事をおすすめしています。

ビジネス書だが、あらすじを書いた。とても面白くためになる、いい
本だった。わたしが頭から褒める本などあまりないので、われながら、
ためになったんだろうと思う。だが読んでいくと、同じことが何度も
繰り返されていたり、なんだか話しがアサッテの方向に飛ぶことがある。
(まぁアサッテに話しが飛ぶのは、茂木さんの頭の中が、
きっとそうなっているのだろう、とも思えるのだが……)
一応章だって書かれているものの、章があるのか、ないのか、
イマイチ分からない煩雑ぶり。しかしそれはあとがきを読んで納得した。
これは茂木さんの講演会の内容を、出版社の方がまとめた本である。
ご本人も「お得」と言っているが、なるほど本当にお得な本だと思った。
以前何冊か茂木さんの本を読んでいるが、それらに書かれていたことは
全て集約されているのではないか、と思えるほど濃密なものになって
いる。だからこの一冊さえ読めば、かなり濃厚な実感を得られるだろう。
この本に書かれているのは、タイトル通り「脳の変わる生き方」に
ついてである。人間の脳は、変わらない部分と「偶有性」を含む
変わる部分が存在する。その「偶有性」により出会う人に影響され、
人は次々に変わってゆくのである。その変化を避けてはいけない、
と茂木さんは言う。変わる、ということは、不安を孕むものである。
今後、自分がどうなるかわからない。しかし、だからといって
前へ進まず、じっとしていたのでは、自分の可能性を狭めるだけなのだ。
例えば元々「英語が苦手な脳」というものが存在しないように、
ただ、どういう方法が自分に合っているのか、というのを知らない
だけである。その方法を見つけるためにも、いつでも新しい場所に
飛び込んでゆくような気持ちが大切だと言うのだった。それが、
「どうなるかわからない」のなら、「ダメかもしれない」可能性と
同時に「上手くいくかもしれない」可能性も含んでいる。それらを
考慮し、「どうなるかわからない」状況を楽しめるようになったら、
人生を上手く歩いている証拠だろうと。この本では他人と関わりを
もつことを強調している。他人は自分の鏡であり、生きている
どうしようもなさを実感させる存在だと言う。なるほどまったく
その通りだと思う。それぞれの人に対応する時、自分の中に、
それぞれの自分が生まれるように、他人はいくつもの鏡となって、
わたしを映し出す。いろいろな人間がいるし、性に合わない人間だって
いるだろう。けれど、その存在を認め、言葉で否定しないことが、
大切であると。なんだか人生を説かれているような、本だった。
どんなに気分が落ち込んでいても、そうか自分は変われるのだ、
そう思うだけで、まとわり着いていた閉塞感から、光が見えるような、
そんな気分になった。みな、いろいろな閉塞感の中で、生きている
のだろう。ぜひ一度読んでみていただきたい。今まで相手にしていた
対応が、間違っていたのではないか、と見直すことができる。
それは相手のためでもあり、自分のためでもある。

★★★★★*93

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2010年5月 2日 (日)

5/2a flood of circle、mudy on the 昨晩、the HANGOVERS、wash?@神戸ポートアイランド『COMEIN' KOBE10』

5/2a flood of circle、mudy on the 昨晩、the HANGOVERS、wash?@神戸ポートアイランド『COMEIN' KOBE10』

■セットリスト(a flood of circle)

 Buffalo Dance
 泥水のメロディー
 新曲
 プシケ
 月に吠える
 春の嵐

新曲をやると言うので、どれどれどんなもんかしら、
とちょっと(いや、かなり)足を伸ばし神戸へ行ってきました。
しかしアレですね、これで無料なんて、すごいフェスですよ。

天気は晴天。
もう少し夏に近かったら、倒れていたかも、くらいに疲れました。
フラッドは体育館の中の、まんま舞台を利用したステージでした。
広いステージで、それだけでなんだか、あああ、おおお、って感じ。
一つ文句をつけるなら、音響。
体育館なので、ただでさえ音が響くのに、爆音。
いろいろ聞こえない音がありました。

でも楽しさのほうが上でしたけどね。
フェスのりっていうのでしょうか、違うバンドのファンも一緒になって
楽しんでいる、その新鮮な一体感がありました。
(わたしがあまりフェスに行かないから、というのもありますが)

いつもと違った雰囲気のステージに、とびきり4人とも楽しそうでした。
楽屋も大学の教室だったそうで、なんだか学園祭みたいでいいな。

ライブは最高に楽しかったのですが、
まったく別のところでいろいろあった1日でした。
わたしの心がもう少し強かったら、と、そう思いました。

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2010年5月 1日 (土)

「藪の中」 芥川龍之介

藪の中 (講談社文庫) 藪の中 (講談社文庫)

著者:芥川 龍之介
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


気がついたら、感想500冊まで、あと1冊だった。そんなこんなで、手にした
499冊目は、芥川龍之介。原点に帰るのも大概に、と言わんばかりの原点。
最後にきちんと読んだのは中学生の時だと思う。あの時は分からなかった
ことも、今なら(少なくともあの時よりは)分かるような、と錯覚に陥る。

「杜子春」
或春の日暮れです。
唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がいました。
若者の名は杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い
尽して、その日の暮らしにも困るくらい、憐れな身分になっているのです。
「―こんな思いをして生きているくらいなら、
一そ川へでも身を投げて、死んでしまった方がましかも知れない。」
杜子春はひとりさっきから、こんな取りとめもないことを思いめぐらして
いました。するとどこからやって来たのか、突然彼の前へ足を止めた
片目の老人がいいました。「お前は何を考えているのだ。」
「私ですか。私は今夜も寝る所もないので、どうしたものかと考えている
のです。」杜子春は答えました。「そうか。それは可哀そうだな。」
そう呟いた老人は、「好いこと一つ教えてやろう。」と金がたくさん
埋まった在り処を杜子春に教えてくれるのだが……。

皆さまご存知、「芥川龍之介賞」の由来でもある、芥川龍之介。高校の
現代文のT先生が、芥川龍之介の大ファンで、「龍さま、龍さま」言って
いたのを思い出した。ヨン様が流行るそのご時世に、彼女は一人、
芥川龍之介の写真を机に飾っていたな。今頃になって、その本当の魅力を
ようやく感じることが出来たような気がした。もちろん、顔ではなく(笑)
この短編集の中には、『藪の中』と古典ものの5編が入っている。
『藪の中』に始まり、『鼻』で終わる、芥川龍之介の代表作がみっちり
つまった本だ。「王朝物」は、特に教訓めいたものが多く、この『杜子春』
なんかは、まるで漢文を読んでいるような気分になる。杜子春は、
謎の老人の手により、金持になり豪遊する。しかし、金は尽きる。
再び憐れな身分になると、また謎の老人に遭遇し、また金持になる。
そうして金がなくなり……と続き、けれど杜子春はある日気づいてしまうの
だった。人はみな、金を持っていると近寄ってきて、なくなると去ってゆく。
そのような人間に嫌気が差し、老人(仙人)に弟子入りを願い出るのである。
天界に着き「絶対に声を出すな」と約束させられた杜子春は、災難を
死に物狂いで乗り越える。だが、最後に両親が現われ八つ裂きにされた時、
その約束を破ってしまうのだった。どんなことに耐え得ても、
親が目の前で殺され黙っているようなことはできない。と、いうことは、
仙人にはなれないわけで、それと同時にそれ以外のものごとにはどんなに
辛くても人間は耐えられるものなのだ、というような教訓のようなものが
描かれている。あるいは、その部分が人間らしさであると、強調している
ような。と『杜子春』を語っておきながら、一番好きな話は、やはり
『藪の中』かもしれない。『藪の中』は芥川の中で中盤の作品だが、
この頃の話が好きであるように思う。藪の中であった、女と二人の男の
惨劇。夫だった男は、盗賊に殺され、女は逃げる。男はなぜ殺され、
女はなぜ逃げたのか。しかしすべての人間の話は食い違っており、
解決されぬまま、話は「藪の中」という話。この混沌とした中に、
茶目っ気と狂気を垣間見るところがとても好きである。ぼちぼち、
掘り起こして読んでみようかなぁ。そして夏目さんも読みたくなってくる。

★★★★☆*87

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