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2010年1月25日 (月)

「69 sixty nine」 村上龍

69 sixty nine (文春文庫) 69 sixty nine (文春文庫)

著者:村上 龍
販売元:文藝春秋
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久しぶりの村上龍。ふと読みたくなって2軒の本屋を探したのだが、
どこにもなく、結局図書館(しかも書庫入りしていた)で借りたという、
なんともじれったい本だった。しかし読みたいな、と思ったとき、
すぐに手に入ってしまう本よりも、苦労した方がなぜか面白いのである。

一九六九年、この年、東京大学は入試を中止した。街にはビートルズや
ローリング・ストーンズが流れ、髪の長いヒッピーと呼ばれる人たちが
愛と平和を訴えていた。パリではドゴールが退陣した。ベトナムでは
戦争が続いており、女子高生はタンポンではなく整理綿を使用していた。
一九六九年はそんな年で、僕は高校三年生、十七歳だった。
九州の西の端にある、進学普通高校である。理系の進学クラスだったので、
女子は七人しかおらず、その中の五人までもがブスだった。そのため、
僕たちのもっぱらの憧れは英語劇部のレディ・ジェーンこと松井和子
という美女であった。閉塞感あふれる学校の中から飛びだし、
何か楽しいこと――映画や劇を放映する「フェスティバル」を行おうと
決めた僕たちは、松井を主演女優に誘い計画を始めるのだが……。

下品なことは、それを隠そうとするから下品になるのかもしれない、
という微妙な思考革命が起きそうな本だった。この本の中では、
下品なことが一切隠されておらず、むしろ率先して書かれているから
そうでない部分を探す方が大変なくらいだった。しかし、それと同じ
ように「伝えたい何か」が全力で描いてあったため、すべてを許せる
ような、その下品さがあったから魅力が引き立ったような、よい印象を
受けたのだった。と、称えてみたものの、まぁなんとも救いようのない
下品さなのは代わりはないのだが。この本の上品なもの、として、
村上龍お得意の音楽がたくさん出てくる。ビートルズから始まり、
レッド・ツェッペリン、ベルリオーズまで、これもまた村上春樹と同様、
聞いてみたくなる音楽なのだった。小説を読んでいて、
「あぁこの音楽どんな風なのかしら」と思わせることは大変である。
内容に興味をもてないと、そこに書かれていることに興味をもてないし
書いている人間が、そんなに好きではないものをごり押ししても、
読んでいる方は何となく分かるものなのであった。何となく興味を
惹かれないのである。だけれど、ここにある音楽は本物である。
このシーンに必要不可欠な音楽なのだと、自然に分かることが出来た。
村上龍は言いたい事を大げさに書く人だな、と改めて思ったのだが、
その大げさ加減がとても絶妙で、心地よかった。例えば、本当に
そうだと信じていないものを語るとき、なぜか標準語となってしまい、
どこか遠くの、自分とはかけ離れたものに思えるということ。例えば、
お前はダメなヤツだ、と叱られることがどんなに惨めであっても、
叱られないよりはマシなのであり、叱られなくなってしまったら、
そんな自分に気に掛けてくれる人すらいなくなるのだということ。
どれも何度も描写する割りに、そこから導き出される結末を書かない。
虚しいという感情や、寂しいと言う感情を。その度合いが心地よかった。
最後の文章もまた、いいね。「元気です、野生化したニワトリ
十メートルもジャンプ!」この気持ちを味わうために、じっくり
腹を抱えて読むべし。勿論1969年を知らなくても、楽しめる。
知っていたら、もっと楽しいかもしれない。そう思うと、少し悔しい。

★★★★★*91

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