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2009年12月14日 (月)

「ざらざら」 川上弘美

ざらざら ざらざら

著者:川上 弘美
販売元:マガジンハウス
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川上さん好きだなぁ……としみじみ思った。しょんぼりしているときに
読むと、こころがほっこりする感じ。ひらがなって温かいんだなぁ、
と再認識できる本だった。「私」や「僕」と話す自分の中にも、
「わたし」や「ぼく」という柔らかい部分が存在しているように思う。

「ざらざら」
クリスマスって、なんか、もういいよって感じだけどさ、
正月はいいよ。これからは、正月だよな。
そんなふうにおだをあげながら、わたしと恒美とバンちゃんの三人で、
お酒を飲んでいた。一月の、世間の人たちは仕事始め、
というころだった。恒美は高校時代からの友だちで、バンちゃんは
バイト先で知り合った男の子だ。みんな同じ二十七歳、お酒がすきで、
すこしもうヤバイ感じだった。ヤバイっていうのはつまり、人生の
執行猶予がそろそろなくなってきてる、っていう感じ。賞罰の、
賞も、罰もなく、長い間、のへーっとやってきたけど、
そろそろアレだし、っていうような。酒を飲みまくり、正月にも飽き、
わたしの部屋で三人はそれぞれ目を閉じる。正月が嫌いな恒美は、
わたしと友だちになれてよかったといい、眠りに落ちていった。明日は
バイトかぁ。バンちゃんと一回ぐらいセックスしたいなぁ、とわたしは思う。

あらすじ、というか、ほとんど本文冒頭なんだけれども。この独特の
空気がたまらなくいい。ほわほわしているというか、つかみ所がない
というか、うわっつらというか、深く考えない、というか。
ぬくぬくと柔らかい毛布でくるまれたような感覚の下には、
けれどひどくしっかりとした現実が見え隠れしている。
現実から逃げているわけではなく、ただなしようもなく漂っている
弱さというか、その逆の留まっている根の強さと言うか、
アンバランスな印象を受ける。どちらも兼ね備えている感情。
どちらがなくても成り立たないし、どちらが多くても居心地が悪いし、
どちらも愛しいものだ。その融合というか、
ミスマッチ具合が、あぁ心地よいという感情を作ってくれ、
悩みすぎるこころを解してくれるような気がした。
ここに収められている話には、ほとんど「終わる」ということが
存在していないように思う。これからどうしようという不安であったり、
よし、これからは、と歩き出してみたり、何もないけど、アレだけは
ちょっとやってみたいんだよね、というささやかな「これから」の
上に成り立っているように感じた。「わたし」や「ぼく」といった、
ひらがなで語られる言葉たちは、驚くほどするりと読み手の中に
入ってきて、そっと諭してくれる。あぁ、日本語ってこんなに
優しかったんだ、と思った。ひらがなを学んだ子どもたちは、
大人になり漢字を使うようになる。画数が多く、堅苦しく、
立派な漢字を使いこなすのが大人であるけれども、こころの中に住む、
「私」ではなく「わたし」の思いを時には聞いてみるのもいいな、
と思えた。短編にも満たないSSばかりだが、どれも一遍で充実した
思いを得ることが出来る。これは女性だけの感情だろうか?
分からないけれど、この本を読んだ男性が、何かを感じてくれたら嬉しい。

★★★★★*92

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