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2009年12月29日 (火)

「真鶴」 川上弘美

真鶴 真鶴

著者:川上 弘美
販売元:文藝春秋
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むむむ、いいような、悪いような。わたしのあまり好きではない川上さんの
傾向。川上さんの本は圧倒的にひらがなが多いのだけど、それを何というか
多用すればいいわけじゃないんだよな、と思った本だった。内容はとても
好きである。この女の人にしか書けない柔らかい感じ、大切にしたいね。

歩いていると、ついてくるものがあった。まだ遠いので、男なのか、
女なのか、わからない。どちらでもいい、かまわず歩きつづけた。
ついてくるものがあらわれ始めたのは、夫がいなくなってからだ。
そろそろ十数年になる。三歳だった娘の百は、そろそろ高校生になる。
あかんぼうのころの百は、大切だと思った。生まれたばかりの、
その体はまるでわたしの一部のように思え、近く感じたのだった。
けれど今、百は遠い。だんだん遠くなってゆく。礼、と夫を小さく呼ぶ。
いないものを呼ぶ。夫は死にたいと思ったのだろうか。それとも、
生きたいと思ったから、失踪したのだろうか。わたしは消えてゆく礼と、
遠くなってゆく百を思いながら、真鶴へと足を運ぶ。

真鶴、とは一体どこなのか? 微妙すぎて場所を思案してみたり、
様子を想像する事も出来ない。というのが、まずいいのか、悪いのか。
場所を知っていたり、行ったことがある人なら、大いに世界を広げて
読めるかもしれないが、わたしの中で真鶴は終始さびれた旅館が立ち並ぶ
人気のない場所、のような感じであった。いいのか、悪いのかわからん。
で、問題はそこではなく、最初から最後まで単調につづく、「喪失感」の
あふれ出る文章たちである。そこにはひらがなが多用してあり、
柔らかいや温かいという効果を通り過ぎて、読みづらい、中だるみ、
への助長となっている気がした。特に何が起きるわけではなく、
というか、そもそも「何かがついてくる」という事柄から肯定で当たり前
のように続いていくので、一体なにで驚くべきなのか難しい。
ひらがなで続けられる単調で不思議なリズムの文脈は、とても独特で、
はまったら病み付きなんじゃないか、と思う。わたしははまれないでいる。
途中で飽きてしまうから。よかったな、と思った「センセイの鞄」や
「ざらざら」ではその文脈の緩急があってとても好きだったのだが、
この本は緩急の緩ばかりで、のびっぱなし、というイメージであった。
とまた毒を吐いてしまったけど、一番の魅力は、親密感の表現であった。
母親と、娘の間の微妙な親密感。かつては自分の体の中にいたものであり、
けれど、成長していくにつれそれは別のものになっていくのだ。
遠く、近く、遠く、何か些細な一言で、仕草で近くなり、遠くなる。
大雑把に言えば、「きまづくなる」というような感情であるけど、
それを川上さんはとてもよく表現する。そうの気持ちわかる、って、
思わず膝を打ちたくなる、微妙な、でも的確な人の気持ちを描くのが上手い。
温かく、そして女性にしかかけない文章だと思う。まぁ、ある意味
これを男性が書けたらびっくり、というか思わず手を握り締めたいとこだが。
大切にしたい何かを思い出させてくれる作家さんである。

★★★☆☆*84

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