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2009年10月12日 (月)

「走れメロス」 太宰治

走れメロス (新潮文庫) 走れメロス (新潮文庫)

著者:太宰 治
販売元:新潮社
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太宰治である。最近太宰づいている。何だか良く分からないのだが、
読んだ方がいいという強迫観念がある。別段、太宰治は好きではない。
なぜなら、わたしにそっくりであるからだ。そもそも、死んでから、
今さら人気なのは、そんな人が多いんだ。発行部数が物語っている。

「走れメロス」
間違ったことが大嫌いなメロスは、変わってしまった国を前に
愕然とした。平和だったはずの隣国はまさに惨劇といってよかった。
人を信用できなくなった国王が、妻を、親を、子どもを惨殺し、
家来や市民にまで手を加えようというのである。あの豊かだった国は
どこへ行ってしまったのか。激昂したメロスは国王に直訴しようと城へと
乗り込んだ。メロスは当然のごとく捕まり、たまたま所持していた
ナイフが見つかり、大騒ぎとなった。捕らえられたメロスは
極刑に処されることになる。しかし、メロスは願い出た。
たった一人の家族である妹の結婚式がある。それを終えた三日後、
必ず戻ってくる。身代わりに友人セリヌンティウスを置いていこう。
果たしてセリヌンティウスは拘束されることになった。
友人と別れたメロスは、全速力で国へ戻る。無事三日後に間に合うのか。

そもそも、この表題作「走れメロス」は太宰治が考えたものではない。
いや、構想を練り、執筆したのは彼なのだが、その話の下敷きには、
ギリシャ神話があるのだ。そう、もうお話があるのである。
今風で言うならば、パロディ小説と言っていいだろう。
そのギリシャ神話を読んだことがないので、どれくらい似ているのか、
どの部分を抜粋したのか等は全く分からないが、それを知ったとき、
わたしは太宰治という人間をまた少し理解したように思った。
太宰治は、発想力がない。私小説で散々こぼしているが、
物語の主となる’物語’を生み出す、ということが出来ない人なのだ。
それはそう、ここ最近読んだ3,4冊でも簡単に分かることで、
書いてあるのは、もしくは言いたいことは、
同じことの繰り返しなのである。あるいは、実際に自分が味わった
直接的な感情でしかないのである。作家として致命的であろう。
その証拠に、太宰作品に出てくる男性はほぼ「作家」であった。
作家以外の職業をしたことがないからだろう。また、興味もないのだろう。
そして作品は、小説なのか、私小説なのかごちゃまざになった、
産物ばかりなのである。以前太宰の生涯、と言った本を読んでいたので、
どのような人物だったのかは知っていた。それにこの本の最後にも、
別記で載っている。知ってから、それらの小説を読んでみると、それは
まるで名前だけを挿げ替えたエッセイのようで、その気持ちが
痛々しく、または名前を変えていることすら滑稽に思えてくる。
才能がない。散々叩きのめされた。自分でもそう思っている。
それでも彼は小説家になりたかったのである。応援する人がいたのである。
ところで太宰治の『人間失格』は、現在の日本語小説の中で、
夏目漱石と肩を並べて発行部数が日本一である。太宰治の小説は、
楽しくない。ぜんぜん、「面白」くない。ぜんぜん、物語感がなく、
「小説」ですらないように思える。けれども、こんなに多くの
人間が指示するのは、「そんな人間」が多いからだろう。
「何かになりたい人間」である。しかし、太宰治は生きているうちに、
それを心から達成できたとは言えないだろう人生を送っている。
苦悩し、苦悩し、挫折して、苦悩し、そんな彼の姿に、
多くの人間が共感を得、叶えられない何かを思うのだろう。
この本はとてもつまらない。けれども、太宰治を知ることが出来る。

★★★★☆*80

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