« 「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野晶午 | トップページ | 「眠れるラプンツェル」 山本文緒 »

2009年10月14日 (水)

「茗荷谷の猫」 木内昇

茗荷谷の猫 茗荷谷の猫

著者:木内 昇
販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


あぁ読んでよかった、と思う本は、存外少ないものである。
ただ楽しければいいというものではないし、ためになった、
というのも、何だか違う気がする。この本は、その、とてもいいところ
を突いた本だった。何がいいのかな、絶妙すぎて表現しづらいのだけど。

「六 庄助さん」
一日の上映が終わると、支配人は誰もいない客席に一人腰掛け、
館内の隅々にまで目を配る。浅草がまだ活気付いていた頃のことを、
ふと思い出そうとする。そんなとき足元にバシャッと水が飛沫を上げた。
「あっ、こら! 客席を汚しちゃいけないと何度も言っているだろう」
支配人は水をまいた青年を叱った。怠け者で従業員の仲間から「庄助」
とあだ名をつけられた男である。しかし青年は上の空といった感じで、
支配人の言葉を軽く受け流している。「なぁおっさん」青年は言う。
「僕は活動写真を作りたいんじゃ」目上を馬鹿にしているのか、
けれど真剣な眼差しをした青年は、何度となくそう語った。
「今に活動写真家になってみせる」最初は白々しい思いで聞いていた
支配人であったが、話を聞くうち、段々にそれは本当になるのでは
ないか、と思えてくるのだった。期待し始めたそんなとき……。

連続短編集。タイトルの、猫、に惹かれて読んだ。しかし、猫は
それほど重要ではなく、ちょっとがっかり、なんて思っていたのだが、
読み終わってみたら、とても満足して、この人の他の本を読んでみたい
と思わせてくれた本だった。テーマは束縛からの抜け出したくて、
そうして抜け出せた時に生んでしまった、代償、か。
通り一遍の、一瞬で過ぎ去ってしまいそうな、「感情」が丁寧に
描かれていた。脈絡がなく、……違う言い方をするなら、
オチ、というものを作らぬよう精巧に細工されたような、
とても上品な文章たちだった。けれども、突きつけられる「感情」は
濃厚で、とても胸が痛んだ。特にこの「庄助さん」は、とても、
そんな感じであった。戦時、ということを忘れてしまうほど、
いや、忘れようとしているからか、映画という「夢」を追っていた
青年に突きつけられた、現実が、とても沁みた。そうだ、きっと、
こんな風だったのだろう。夢を持て、夢を持て、と言われながら、
けれど、声が下れば、その夢は有無を言わさず捨てなくてはならない。
そう言った理想と現実、の対比がとても上手かった。
何も対比するほどくっきり隔てているわけでもないのだが、
ゆるやかな曲線の向こうにある現実に、ある日突然背中を押されて、
入って行かなくてはならない、そんな感じ。
そこに魅力を感じたのは、後味があまりよくないから、だと思う。
苦い、現実。話はとても楽しく進んでゆく。善人の上っ面を、やんわり
棘なく描いているからだ。そして最後、本当はこうなんだ、
と逃げていたものを突きつけてくれる。だれど、逃げていたから、
楽しかったのであり、その来たる現実は、やはり来るべきもの
だったのだ、と。最初の「染井の桜」もよかったな。空虚が。
この作家さんは、好きなものに一途でいたいと思う心と、
文章では汲み取れない声の温度の表現が上手い。
ところどころで感じられる桜の温かさも、ぴりりと響き、そして和む。

★★★★☆*88

|

« 「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野晶午 | トップページ | 「眠れるラプンツェル」 山本文緒 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/126354/31849178

この記事へのトラックバック一覧です: 「茗荷谷の猫」 木内昇:

« 「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野晶午 | トップページ | 「眠れるラプンツェル」 山本文緒 »