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2008年6月26日 (木)

「ラン」 森絵都

ラン ラン

著者:森 絵都
販売元:理論社
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こんなこと書いたら、ファンに叩かれそう……とか思いつつ。
読むんじゃなかった、と相当後悔した本でした。
序盤非常に読みやすく、さすが森さんだわ、と思っていたのに、
この物語はちょっとまずかろうよ、と思ってしまったのでした。

両親と弟を事故で亡くした環は天涯孤独の人生を送っていた。
人は皆、環の境遇を知ると、同情したり哀れんだりして、
態度をころりと変える。その上、悲しみをひけらかすなんて、
と文句を言う者までいるのだった。そのため、
元々控えめな環は、よりいっそう内向的な性格になってしまっていた。
心の支えだった、自転車屋の紺野さんも引っ越してしまい、
残されたのは紺野さんのくれた、ロードバイクだけだった。
環はそれに跨り、気分を変えようと走り始めた。すると自転車は、
するすると勝手に走り出し、物凄いスピードである場所を目指し始めた。
死者の待つところ……両親と弟のいる場所へ。

何だ、この本……。前半で嫌な予感はしていたものの、
終わってみると、更に追い討ちをかけるように脱力感が過ぎった。
この本はあの名作『カラフル』同じく、死者を取り扱った本である。
『カラフル』では自殺をして、魂になってしまった主人公が、
記憶を取り戻すために、人生をやり直す。
あの感動は、いつ読んでも心にしみるのだが、
この本を読んでしまうと、森さんの思いの空回りに白けて、
『カラフル』の感動まで薄れてしまうようで嫌であると、始めに言う。
『ラン』という、いかにも「走る」ということを描いているようで、
まったく心は違うとことにあり、ぜんぜん描けていないところが問題。
「死者に会いに行くために走る」そんな邪念を抱いたランナーなどに
悪いけど『ラン』などと言って欲しくないと、私は思う。
勿論、走り始める理由は自由だ。死者に会いに行くために走り始めても、
例えば賞金稼ぎのために走ったのだとしても、
もしくは誰かに無理やり走らされたのだとしても、それは自由なのだ。
けれども、そこで終わってしまってはこの本と同様、
「あぁそうですか」で終わってしまうことになる。
理由は何であれ、その登場人物が「走る」ということの楽しさや、
生きがい、ストレス解消、自分を見つめる、など、
「何かしらを得ること」に意義や目的があるだろう。
それをすっ飛ばしたこの話は、ただの天国再開物語で終わっていて、
非常に残念な感じになってる。伝えたいことは分かる。
でも、それを押し出しすぎて、「走る」という重要性を見落として
しまっては、元も子も……。次回に期待しましょう。

★★☆☆☆*68

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