2010年5月11日 (火)

「溺レる」 川上弘美

溺レる (文春文庫) 溺レる (文春文庫)

著者:川上 弘美
販売元:文藝春秋
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溺れる事ができなかった。きっとまだわたしにはその時期が来ていないのだ。
最近本を読んでいると、「この本をあの時読んだらよかったのに」と、
思うことがある。それとは反対に「この本はまだ本当の良さがわからない」
と思うこともある。それは心から素直な言葉で、その日が来るのが待ち遠しい。

「亀が鳴く」
ユキヲと暮らしはじめたのはたしか三年ほど前だったように思うが、
さだかではない。さだかではないことが私には多くて、ついせんだって
ユキヲが「別れたいのだが」といいだしたときの様子でさえさだかではない
のだった。ユキヲに、私は思ったよりも多く執着しているということが、
「別れたいのだが」と言われた瞬間にわかったのだが、それでも
やはりなすすべがなかった。悲しくすべきは私なのに、ユキヲよりも
悲しそうにはできなかった。悲しそうなユキヲの横の水槽で、亀が
きゅうと鳴いた。引越しの段になり、荷物を分別しているとき、
ユキヲは新しい女の話をした。その女と寝て、なかなかよかった、
などという。私が「なぜわざわざ言うの」と反論すると、ユキヲは
私の首をしめはじめた。意識を取り戻すと、ユキヲは優しいユキヲに戻った。
私といると、ユキヲはだんだんに沈んでしまう。また亀が鳴いた気がした。

この本には男にどうしようもなく溺れてしまう女が描かれている。
若い女ではなく、たぶん30を超えているであろう女たち。男はどこか
「普通」ではないようで、女の首をしめる男だったり、性交で痛めつける
のが趣味であるような男だったり、まるで清純さはない。どろどろと、
けれど濁りすぎず、そこにあるのが当たり前であるかのように、
男女の言葉や行動の交わりが、たんたんと描かれているのだった。
人間の人間らしい様子とは? 途中でそんなことを考えたのだが、
それは例えば物語を書くときに、一番先に避けて通る事柄ではないだろうか。
人間らしさはストーリーを構成する上で、必要がない。実際だってきっと
そうなのだ。そう思うと世間に向けた表の顔と家の中の裏の顔があるように、
その「普通」ではない「裏」の部分が、逆に彼らの人間らしさであるように
思えてくるのだった。その誰かを好きになった理由はわからないが、
いつしか一緒にいるうちに混ざり合い、相手の避けるべき
悪しき部分を愛してしまう。ダメな部分としりつつも、抜け出せず、
むしろ2人は足をもつれさせるようにして、揃って沈んでゆくのだろうと。
そう分かりつつ読んでも、なんだかまだわたしの頭では本当の意味で
理解することが出来なかった。その、誰かの「人間らしい部分」を、
本当に好きになったことがないからだろう。だから、この本は時が
きたらまた読みたいと思った。もしくはすべてを経験したことのある方は、
ぜひ読んでいただきたい本である。きっと深い共鳴を得られると思う。

★★★☆☆*84

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2010年1月18日 (月)

「蛇を踏む」 川上弘美

蛇を踏む 蛇を踏む

著者:川上 弘美
販売元:文藝春秋
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なんとなく、不完全融合って感じ。川上さんの不思議系小説(人間
ではない何かが出てきたりする)を、一冊でも読んだ人なら、例え
その存在の意味が分からなくても、俗に言う「空気感」を自然に
味わっているだろう。しかしこれはまだ不完全融合。まだ違和感。

「蛇を踏む」
ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。
蛇は柔らかく、踏んでも踏み切れない感じだった。
「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それから
どろりと解けて形を失った。「踏まれたのでは仕方ありません」
蛇は今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方向へさっさと
歩いていってしまった。人間のかたちになった蛇は五十歳くらいの
女性に見えた。勤めている数珠屋―カナカナ堂で働き、家に着くと、
部屋には蛇がいた。女のすがたをしており、「おかえり」などと言う。
作られていた食事を勧められ、深く考えぬまま箸を取った。
「何なんですか」と聞くと「私はヒワちゃんのお母さんよ」などと言う。

この「蛇を踏む」は芥川賞受賞作である。へーなるほど、である。
確かにこういう現実離れした世界を主として書く人はあまりいなかった
のかもしれない。でも他の川上さんの本を読んでから読むと、まだ拙い
ような印象を受けるのだった(僭越ながら)。しかし芥川賞自体が、
「次の時代を担うような新しい作品」的なものに与えられるのだった
と思うので、それを考えればまさに狙い通りとも思う。
上に不完全融合と書いたけれども、今の川上さんの本では、
人間と人間ではないものが完全に融合していると、わたしは思う。
その人でないものは、暗に意味を持っているようで持っていないような、
絶妙な線を描いていて、けっしてそれについて語られることはない。
けれども、文章の隙間から伝わる何かで、いつの間にか
読んでいる人間はそれを「理解」しているのだった。俗に呼ばれている
川上さんの「空気感」というものだが、とても心地のいいものだ。
この作品はと言うと、人間ではない何かについて濃い意味を持っている。
意味を持たせてしまう、ことによって、結果その「意味」以外ではない
というような不可抗力が働いて、奥行きのない物語になっているような
気がしたのであった。ほら、曖昧の方が、いろいろな可能性や、
受け取り方が出来るように、多く語らず読み取らせることだけを
主として描いた方がいいタイプの作風というような。しかし、裏を
返せば、語られ示されている分、川上さんの「書きたかったこと」を
知ることが出来る本でもある。蛇とはなんなのか。悲しみなのか、
卑屈さなのか、孤独なのか、負のイメージの、しかし収まってしまうと
温かい場所。蛇の世界に来なさいよ。蛇は言う。あぁ行きたいと私も思う。
他にも短編と大題のついたSSが入っているが、それはちょっといまいち。

★★★☆☆*83

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2010年1月 6日 (水)

「パレード」 川上弘美

パレード パレード

著者:川上 弘美
販売元:平凡社
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そういえば、「はじめての文学」シリーズを読んでみたいなぁ、
と思いつつ、かれこれ数年経っている。川上さんのも、当然ある。
村上春樹もあったし、重松清もあったし、小川洋子もあった気がする。
吉田さんはまだない。しかし、なんとなくよしもとばななとかが、最適ね。

「昔の話をしてください」とセンセイが言った。センセイの家でそうめんを
食べ、眠くなったからと2人ごろりと横になったときである。
センセイはわたしのてのひらをぽんぽんと叩きながら、言った。
センセイの手が、温かい。叩かれている部分から、温かいものが
からだじゅうに広がってくる。「昔、っていうほど生きていませんけど、
小さいころの話でも、しましょうか」わたしは話し始める。
小学生のときに、わたしの前に現われた、2人の赤い天狗の話を。

「センセイの鞄」の続編、というか、サイドストーリー的な本。
出てくるのはツキコとセンセイである。あとがきにもあるように、
もしかしたら、あったかもしれない2人の時間、が描かれていた。
小説を読んでいるといつも思うのだが、登場人物が「生きている」本
というものがある。生き生きしている、というか、なまめかしいというか、
一言で言ってしまえば、キャラクターが立つ、というものなんだけど、
本の中で生きていて、その本の上のストーリー以外でも、生活を想像して
しまうような登場人物がいる。ミステリではほぼ感じられない分野である。
もちろん、ミステリでだってキャラクターは感じられるけれども、
そうじゃないんだよな、その奥の温かい部分、私生活の部分を、なのだ。
そう言った描きが、川上さんは抜群に上手い。まるでそういう人が
もともと存在していたような(もちろん本の中で、なのだが)
気持ちになるし、本を閉じた後も、その本の中で生きつづけているような
不思議な感覚を得る事が出来る。そして、この本の内容は、とても川上さん
らしい内容になっている。「センセイの鞄」ではやや抑えられていた、
現実にはありえない存在の登場が描かれている。ありえない、というより、
あったらいいな、なのだが。その空想が具現化するという面白さを、
この本でも感じることが出来た。こんなやつがいたら、自分を間接的に
もっとよく知る事が出来ていいな、と思う。「昔の話」は特に、
「センセイの鞄」とは繋がっていないので、別ストーリーとして出てきても
面白かっただろうな、と思う。「いつごろまでいたんですか」「ひみつ」
「なるほど」ゆっくり流れる、温かい会話を堪能したいときに。

★★★★☆*87

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2009年12月29日 (火)

「真鶴」 川上弘美

真鶴 真鶴

著者:川上 弘美
販売元:文藝春秋
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むむむ、いいような、悪いような。わたしのあまり好きではない川上さんの
傾向。川上さんの本は圧倒的にひらがなが多いのだけど、それを何というか
多用すればいいわけじゃないんだよな、と思った本だった。内容はとても
好きである。この女の人にしか書けない柔らかい感じ、大切にしたいね。

歩いていると、ついてくるものがあった。まだ遠いので、男なのか、
女なのか、わからない。どちらでもいい、かまわず歩きつづけた。
ついてくるものがあらわれ始めたのは、夫がいなくなってからだ。
そろそろ十数年になる。三歳だった娘の百は、そろそろ高校生になる。
あかんぼうのころの百は、大切だと思った。生まれたばかりの、
その体はまるでわたしの一部のように思え、近く感じたのだった。
けれど今、百は遠い。だんだん遠くなってゆく。礼、と夫を小さく呼ぶ。
いないものを呼ぶ。夫は死にたいと思ったのだろうか。それとも、
生きたいと思ったから、失踪したのだろうか。わたしは消えてゆく礼と、
遠くなってゆく百を思いながら、真鶴へと足を運ぶ。

真鶴、とは一体どこなのか? 微妙すぎて場所を思案してみたり、
様子を想像する事も出来ない。というのが、まずいいのか、悪いのか。
場所を知っていたり、行ったことがある人なら、大いに世界を広げて
読めるかもしれないが、わたしの中で真鶴は終始さびれた旅館が立ち並ぶ
人気のない場所、のような感じであった。いいのか、悪いのかわからん。
で、問題はそこではなく、最初から最後まで単調につづく、「喪失感」の
あふれ出る文章たちである。そこにはひらがなが多用してあり、
柔らかいや温かいという効果を通り過ぎて、読みづらい、中だるみ、
への助長となっている気がした。特に何が起きるわけではなく、
というか、そもそも「何かがついてくる」という事柄から肯定で当たり前
のように続いていくので、一体なにで驚くべきなのか難しい。
ひらがなで続けられる単調で不思議なリズムの文脈は、とても独特で、
はまったら病み付きなんじゃないか、と思う。わたしははまれないでいる。
途中で飽きてしまうから。よかったな、と思った「センセイの鞄」や
「ざらざら」ではその文脈の緩急があってとても好きだったのだが、
この本は緩急の緩ばかりで、のびっぱなし、というイメージであった。
とまた毒を吐いてしまったけど、一番の魅力は、親密感の表現であった。
母親と、娘の間の微妙な親密感。かつては自分の体の中にいたものであり、
けれど、成長していくにつれそれは別のものになっていくのだ。
遠く、近く、遠く、何か些細な一言で、仕草で近くなり、遠くなる。
大雑把に言えば、「きまづくなる」というような感情であるけど、
それを川上さんはとてもよく表現する。そうの気持ちわかる、って、
思わず膝を打ちたくなる、微妙な、でも的確な人の気持ちを描くのが上手い。
温かく、そして女性にしかかけない文章だと思う。まぁ、ある意味
これを男性が書けたらびっくり、というか思わず手を握り締めたいとこだが。
大切にしたい何かを思い出させてくれる作家さんである。

★★★☆☆*84

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2009年12月14日 (月)

「ざらざら」 川上弘美

ざらざら ざらざら

著者:川上 弘美
販売元:マガジンハウス
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川上さん好きだなぁ……としみじみ思った。しょんぼりしているときに
読むと、こころがほっこりする感じ。ひらがなって温かいんだなぁ、
と再認識できる本だった。「私」や「僕」と話す自分の中にも、
「わたし」や「ぼく」という柔らかい部分が存在しているように思う。

「ざらざら」
クリスマスって、なんか、もういいよって感じだけどさ、
正月はいいよ。これからは、正月だよな。
そんなふうにおだをあげながら、わたしと恒美とバンちゃんの三人で、
お酒を飲んでいた。一月の、世間の人たちは仕事始め、
というころだった。恒美は高校時代からの友だちで、バンちゃんは
バイト先で知り合った男の子だ。みんな同じ二十七歳、お酒がすきで、
すこしもうヤバイ感じだった。ヤバイっていうのはつまり、人生の
執行猶予がそろそろなくなってきてる、っていう感じ。賞罰の、
賞も、罰もなく、長い間、のへーっとやってきたけど、
そろそろアレだし、っていうような。酒を飲みまくり、正月にも飽き、
わたしの部屋で三人はそれぞれ目を閉じる。正月が嫌いな恒美は、
わたしと友だちになれてよかったといい、眠りに落ちていった。明日は
バイトかぁ。バンちゃんと一回ぐらいセックスしたいなぁ、とわたしは思う。

あらすじ、というか、ほとんど本文冒頭なんだけれども。この独特の
空気がたまらなくいい。ほわほわしているというか、つかみ所がない
というか、うわっつらというか、深く考えない、というか。
ぬくぬくと柔らかい毛布でくるまれたような感覚の下には、
けれどひどくしっかりとした現実が見え隠れしている。
現実から逃げているわけではなく、ただなしようもなく漂っている
弱さというか、その逆の留まっている根の強さと言うか、
アンバランスな印象を受ける。どちらも兼ね備えている感情。
どちらがなくても成り立たないし、どちらが多くても居心地が悪いし、
どちらも愛しいものだ。その融合というか、
ミスマッチ具合が、あぁ心地よいという感情を作ってくれ、
悩みすぎるこころを解してくれるような気がした。
ここに収められている話には、ほとんど「終わる」ということが
存在していないように思う。これからどうしようという不安であったり、
よし、これからは、と歩き出してみたり、何もないけど、アレだけは
ちょっとやってみたいんだよね、というささやかな「これから」の
上に成り立っているように感じた。「わたし」や「ぼく」といった、
ひらがなで語られる言葉たちは、驚くほどするりと読み手の中に
入ってきて、そっと諭してくれる。あぁ、日本語ってこんなに
優しかったんだ、と思った。ひらがなを学んだ子どもたちは、
大人になり漢字を使うようになる。画数が多く、堅苦しく、
立派な漢字を使いこなすのが大人であるけれども、こころの中に住む、
「私」ではなく「わたし」の思いを時には聞いてみるのもいいな、
と思えた。短編にも満たないSSばかりだが、どれも一遍で充実した
思いを得ることが出来る。これは女性だけの感情だろうか?
分からないけれど、この本を読んだ男性が、何かを感じてくれたら嬉しい。

★★★★★*92

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2009年9月16日 (水)

「龍宮」 川上弘美

龍宮 (文春文庫) 龍宮 (文春文庫)

著者:川上 弘美
販売元:文藝春秋
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うわー凄い灰汁。いや、いい意味でも、悪い意味でもです。
これをいい本だとお薦めしても、首を傾げる人が多そう。
好き嫌いがはっきり分かれる本だと思います。相当、濃い。
私も嫌いじゃないけど、好きでもない。でもこれが川上味ですね。

「島崎」
わたしは先祖に恋をした。ひとめぼれ、というのだろうか。
七代も前の人間なのだから、めったにお目にかかれない。
恋に落ちたのは、あった瞬間ではなく、それから五分後くらいだった。
わたしはどうにかして先祖と恋仲になろうとした。
先祖は人生相談のようなものをしながら、収入を得ている。
妻がセックスをしてくれません。この十年ほどは毎晩頼んでいるのに、
一回たりとも応じてくれません。妻はわたしより六十歳年下です。
どうしたらよいでしょうか。羽曳野市、二百三十歳。という具合に、
手紙が来るのである。先祖はそれに丁寧に答え、返信をする。
人間はどんなに長生きをしても、悩みが尽きないらしい。
わたしもどうしたら先祖を射止められるかと、ずっと悩んでいる。

すべてが歪んでいる。この短編集の中には、「人間でないもの」が
必ず1人(1匹)以上出てくる。明らかに異様な設定にもかかわらず、
主人公たちは何を驚くこともなく、坦々と物語を紡いでいる。
この「島崎」なんかは、先祖に恋をしてしまう女、を描いている。
先祖、と言っても写真などではなく、何と700歳という年齢で、
生きているのである。そして主人公自体も「年寄り」の分類である。
川上さんはそんな世界を、突然、何の説明もなく、笑顔で、始めるのだ。
だから、読者はぎょっとする。突然異世界に踏み込んでしまい、
きゃろきょろと、辺りを見回し、怯えながら前へ進む、そんな感じ。
「センセイの鞄」でも感じたことだったが、川上さんの本では
「年齢」はまったく関係がない。確かに年を取り、
長く生きることは知恵や知識を学ぶものだが、その「個」たる部分は、
全てにおいて対等であり、だから、年がいくら違っても、
情愛、愛情、友情は生まれるものである、と暗に語っている。
それと、もう1つは、こっそりと隠しに隠された教訓めいた感情。
決して語られない、部分。そこがとてもいい。この話では、
主人公は先祖に振られてしまう。「君は俺の事をあまり好きではないね」
と言われてしまうのだ。肉親から来るのか、その愛おしさと、
けれどひっそりと隠れている、耐え難い嫌悪。なぜなら、
それは先祖だから。自分の血縁者であるから。きっと主人公は、
自分のことがあまり好きではないのだろう。その嫌いな部分が、
もしやその先祖から受け継いだものではないかと、考えるんだろう。
だれど、そんなことは書かれていない。そっとそっと隠されて、
突然核を突かれたときの空虚だけが、不思議な世界と共に余韻となって
心に残るのである。怖い作家だと思う。角田さんと同じ、怖い作家です。

★★★★☆*87

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2009年9月13日 (日)

「センセイの鞄」 川上弘美

センセイの鞄 (文春文庫) センセイの鞄 (文春文庫)

著者:川上 弘美
販売元:文藝春秋
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お薦めされて読んでみました、川上さん。何だか昔川上さんの本は
読んだことがあった気がしたのですが、まったく覚えていないので、
初めてということにします。この本凄くいい。
今読むことが出来て本当に幸せな本でした。なかなかないですよ。

正式には松本春綱先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。
センセイとは馴染みの居酒屋で飲み合わせて以来、
ちょくちょく往来するようになった。「大町ツキコさんですね。
ときどきこの店でお見かけしているんのですよ、キミのことは」
センセイはわたしのことをツキコさんと呼んだ。
私がそろそろ三十八になろうと言うのだから、高校の教師であった
センセイは七〇近くゆうに30以上離れていることになる。
始めのうちは店で居合わせたら、一緒に飲みかわす程度であったが、
店の後、センセイの家へ行ったり、市場を見て歩いたり、
だんだんに傍にいる時間が増えていった。センセイからは、温かい空気を
感じる。センセイの老いを感じながらも、惹かれてゆくわたしは……。

久しぶりに、読み終わってからすぐに再読したくなった本だった。
ので、すぐに再読して2回ほど読んだ。あぁ、いいね。すごく、いい。
私も「センセイ」を求めていることが分かった。なにも、
年上の男の人を、と言うわけではない。教師、という人生には
必ずいる、道を教えてくれる人が、必要だと言うことだ。
高校や大学を卒業すると、「先生」はいなくなる。
誰も私を叱ってくれなくなるし、褒めてくれなくなるのだ。
何が正しいのか自分で判断しなくてはならないし、
それは大人として当たり前のことであるけれど、だけど何かが足りない。
「ツキコさんはいい子ですね。本当にいい子だ」
子どもに言うようにセンセイが発するその言葉は、
教師の教えとは別に、とても安らかな気持ちを運んでくれる。
あぁ私、間違ってなかった、という安心感が、温かさと一緒に
こみ上げてくるのである。この本の一番のよい点は、
月子の私生活を書かないことだろう。独身生活を送っているのは
ちらりと書かれているが、詳しくはない。会社に勤めているはずで、
たぶん重職に就いているのだろうが、そのことにも触れられていない。
あるいは、重職でなくても問題ではない。そこで起こるはずの苦労と
その悩みを、この本では一切書かれていないのである。
センセイが聞かないからだ。けれど、人には悩みがあり、壁があり、
苦しみがある。それを労わるように、かけるセンセイの言葉は、
心に響くのである。「ツキコさんはいい子ですね。本当にいい子だ」
私も言われたい。ただそう言ってもらえるだけで、頑張れる気がするから。
その気持ちと、ゆっくりとした恋愛との混ざりあいが絶妙な本だった。
嫌いな恋愛の本だけど、相当好き。また何度でも読みたい。

★★★★★*95

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